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■白馬に乗った竜之介

 人間界の住人となった葵は、公言通り始終竜之介にべったりであった。周りの隊長達がやっかむ程、彼女の愛情表現は直接的で眩しすぎる位、無邪気で純粋だったのだ。


 好きな異性に対して「好き」と面と向かって言える者が葵の他隊長の中にいるだろうか? 応えはノーである。何故なら、たったニ文字の言葉を口に出す事が彼女達にとっては崖から飛び降りる事よりも困難なのだ。


 今日も葵は躊躇無く竜之介の腰にしがみついて目を細めて笑っている。その様子を一人の隊長が建物の影から身を乗りだし、トレードマークの銀のカチューシャを光らせながら口を歪め面白くないといった表情を見せていた。


「――あの小娘、気に入りませんわ」


 威圧的な口調と態度でどこまでも自身を疑わないプライドの持ち主、角組隊長、加藤玉美。彼女は懐から徐に小型の通信機を取り出し、手馴れた手付きで操作した後、通信相手に話し掛けた。


「あ、山本? ちょっとお願いしたい事があるんだけど――」


 全てを話し終えた玉美は通信機を再び懐に収め、先程の不愉快な表情から一変して耳に付くような高笑いをし始めた。傍から見れば何時もの傲慢な高笑いである。だが玉美の胸中は何故これほどまで他の女達が竜之介に魅力を感じているのか、その真意を確かめたかった。何処にでも居そうなあどけない顔の竜之介。そんな温い男が一変して別人を思わせる顔を覗かせる時がある。竜之介に秘められた膨大な闇もその一つ。その差異に玉美も何時の間にか引き込まれてしまっていた。やがてその高笑いは胸中を表すかの様に徐々に力弱くなっていった。


「……竜之介。貴方は私を導いてくれるのかしら?」


 寂しそうに呟きながら、玉美がその場を立ち去っていったその頃、竜之介はなんとか葵から解放され、自室で深い溜息を付いていた。


「うう、このままだと葵ちゃんの愛に押し潰されてしまいそうだ」 


 ふらふらになりながらテーブルに手を置いて自身を支える。


「お前、自分の立場を見失っているのではなかろうな? そんな余裕があるのならもっと己を鍛えろ」


 天竜がテーブルの上で呆れた顔をしながら竜之介を見る。


「し、師匠っ! 一体何処を見て俺に余裕があるというんですかっ! そもそも俺からは何もしてないしっ!」


「愚か者。お前に隙があるから、そこを付け込まれるのだ、よって全てお前が悪い」


 竜之介の必死の反論に天竜が一蹴したところで、突然部屋のインターホンが鳴った。二人はモニターで確認してみたが、そこには誰も映ってはいなかった。


「ま、また葵ちゃんかな……」


 恐る恐るドアを開けてみるが、やはり誰もいない。竜之介が一歩身を乗り出した時、突然目の前が真っ暗になった。


「うわわっ!」


 天竜の目にはスーツ姿でサングラスを掛けた数人の男が大きな袋に竜之介を詰めている姿が映っていた。


「たっ、助けてください! 師匠っ!」


 竜之介が助けを求めた時、天竜の視界には大きな網が広がっていた。


「山本さん、この奇妙な生き物はどうします?」


「構わないから一緒に袋へ詰めてしまえ」


「へいっ!」


「よし! ターゲット捕獲完了、お前達さっさとここから引き上げるぞ!」


「へいっ!」


「えっほ、えっほ、えっほ!」


 竜之介達はサングラスの集団にそのまま持ち抱えられ、外に連れ出されて行く。


「竜之介、これは一体どういう事だ?」


「いっ、いや! 俺にも何がなんだか……」


「おっと! こいつはいけねぇ、危うく忘れるところだった! お前ら、一寸止まれ!」


「へいっ!」


 竜之介が混乱している最中、男共の足音がぴたりと止まった。刹那、一瞬袋の先から光りが漏れたかと思うと白い煙で袋の中が充満した。


「くっ! 師匠、これは!」


「だんだん……意識が朦朧としてきました」


「竜之介、どうやらこれはバッドエンドだったみたいだな……油断したお前が悪い。男らしく諦めろ」


「そっ、そんな……こんな虫の様に殺されるなんて……なっ、情け……な……い」


「くそ、これから……なのに」


 竜之介はそのまま意識を失った。


「よし! お前ら行くぞ!」


「へいっ!」


「えっほ、えっほ、えっほ!」


「そこの者、ちょっと待ちなさい!」


 竜之介達を連れ去った男達が門番に呼び止められる。それもその筈、大きな箱をサングラスを掛けた数人の男が抱えて棋将武隊の正門を通り抜けようとしているのだ、当然怪しまれても不思議では無い。


「なっ、何ですかい?」


「その大きな荷物は何ですか? 中を検めさせて貰います」


「こっ、これですかい? そりゃあ、ちょっと……」


 男が困惑の表情を見せながら言い掛けた時、もう一人の門番が慌てて口を挟んだ。


「ちょ、ちょっと! 止めなさい! その者達は玉美様の使いの者ですよ!」


「ええっ?」


「その玉美様からは、私の『私物』だから決して中身は見ないようにと釘を刺されています」


「万が一それを破って、軽々しく中を見て見なさい、後々恐ろしい事になりますよ!」


「ひいいっ!」


「すっ、すみません! たっ、大変失礼しました! どっ、どうぞ、お通りください!」


「いやいや、お仕事ご苦労さんっ!」


「あっ、ありがとうございます!」


「よし……お前ら、行くぞ」


「へいっ!」


「えっほ、えっほ、えっほ!」


 竜之介達はそのまま黒塗りのトラックに乗せられ、連れ去られて行く。程よい距離を走ったトラックはそのまま大きな屋敷の前に開かれた門の中へと消えて行った。


「お嬢、戻りました」


「山本……その呼び方はおやめなさい、それと今日は私の事を『玉美様』と呼ぶように」


 サングラス集団を取り仕切る男――山本は玉美の思いがけない言葉に何処と無く顔を曇らせたが、サングラスに手を掛けゆっくりと外しながら小さく頷いて言われたとおり返事をする。


「……分かりました、玉美様」


「――ぷっ!」


「誰だ? 今笑った奴、前に出ろ……」


「すっ、すいません、つ、つい!」


 山本が笑った部下へとゆっくり近づいていく。


「あわわわっ!」


 山本は容赦なくその部下の鳩尾を拳で殴り、後方へ吹き飛ばす。部下は海老の様に身を折りながら床へと翻筋斗打った。


「……連れて行け。お嬢――玉美様を笑う奴は例え身内であっても俺は容赦しない、それなりの報いは受けて貰う」


「山本さああんっ!」


 そのまま部下は両脇を抱えられ、部屋の外から引きずりだされて行く。暫くして遠くの方でその男の悲鳴が聞こえた。


「山本……例の『物』は手に入れて来ましたか?」


「へい、おじょ……すいやせん、玉美様、ここに」


 山本がゆっくりと袋を降ろして開けると、幸せそうな寝顔ですやすや眠っている竜之介が姿を現した。


「ん? 確かはハリネズミも捕まえて一緒に入れた筈なんだが、いつの間にか逃げたのか?」


 眉を顰めながら山本が袋の中を探したが、天竜の姿は無かった。麻酔の類が一切通用しない天竜は息を殺しながら竜之介の懐の中へと避難していたのだった。


「山本……丁重に起こしなさい」


 玉美の呼び掛けに気付いた山本は天竜を探す事を諦め、ゆっくりと竜之介を抱きかかえるといきなり往復ビンタを喰らわせる。その途端、玉美のしなやかな足がしゃがみこんでいた山本の頭を蹴り上げた。


「うごおっっ!」


「私は、丁重にと言っただろうがっ! 聞こえなかったのかよ! いきなりなんて事しやが……、す、するのですか?」


「お嬢! しっ、失礼しました!」


「……もういい、山本。頼んだ私が馬鹿だった。玉美様は取り消します」


「すみません、何しろ自分、不器用な者で……」


 玉美が憂鬱そうに溜息を付いた時、竜之介が腫れた頬を両手で摩りながら目を覚ます。


「うーん……い、痛い……」


「此処は……何処だ?」


「目が覚めましたか? 竜之介?」


 竜之介が空ろな目で見上げると、真っ赤なドレスに身を纏った玉美が満足そうな笑みを浮かべて立っていた。


挿絵(By みてみん)


「……玉美さん?」


「竜之介、私の屋敷にようこそ」


「屋敷って……えっ、えええええ?」


 やっと我に返った竜之介はあちこち見回し始めた。大きな壁の真上には神棚が飾られ、その周りに明らかに飾り物には見えない刀や銃等が立て掛けられている。怖そうな虎の絵の鋭い両眼は今にも竜之介に襲い掛からんとばかりに睨んでおり、正面の窓の上には「仁義」と大きい字で書かれた額が威圧するかの様に掲げられていた。


 ふと竜之介が何処となしか雰囲気が違う玉美を見て、普段西洋を思わせる頭の上で巻いた髪と自身を際立てさせる程、光を放つ銀のカチューシャがツインテールに赤のリボンへと変わっている事に気付いた。


 その反応に気付いた玉美は少し照れながら微笑んだ。


「ふふっ、気付きましたか竜之介? あの髪型は棋将武隊で馬を駆る時の私の姿ですの。普段はいつもこんな感じですのよ? どう……かしら?」


 玉美の問い掛けに答えるよりも先に玉美の口が開いた。


「そんな……似合うなんて……恥ずかしいですわあっ!」


――ええっ!? 俺まだ何も言ってない!。


 呆気に捕らわれながらも竜之介はいきなり玉美に抱きつかれる。それを目の辺りにした部下達が理不尽な声を上げると共に懐の中で豊満な胸に押し潰されそうになった天竜が悲鳴を上げた。


「てめええ! お嬢に何て事を!」


「いやいやいやっ! 今の見てましたよね! 今のは玉美さんの方からですよっ!」


 そんな言い訳が極道の二文字を背負った男共に通用する筈など無い。あるのは目の前の現実、直様血の気の多い部下の懐から鋭い刃物が顔を覗かせた。


 刃物を見せた部下に玉美がつかつかと歩み寄ると、竜之介の目の前で信じられない事が起きた。


「だぁ、かぁ、らぁ、誰が竜之介に獲物を向けろて言ったんだよ! おらああっ!」


 玉美がその部下に思いっきり頭突きを喰らわしたのである。鈍い音が部屋に響いた後、部下は白目を剥いたまま、膝から崩れ落ちた。その後玉美は何事も無かった様に頬に両手を添え言葉を重ねた。


「私、誰にも邪魔されず、竜之介とどうしても二人きりになりたくて……でも、棋将武隊の中ではおしとやかな私は恥ずかしくてとても出来ませんでしたの」


――おしとやかな女が、いきなり人を袋詰めにしてさらうなんて事しないと思うけどな。


 正論を弾き出した竜之介は唖然としたまま、頭の中で上品そうに微笑む玉美の姿が音を立てて崩れ落ちる代わりに両手に刀と銃を握り締め、倒れたヤクザの背中を片足で踏みつけながら高笑いをしてる玉美の姿が浮上していた。


「……あら? そこに居るのは天竜様ではないですか?」

 

 玉美の視線の先、危うく変形しそうになった天竜が竜之介の懐から顔を覗かせてぜえぜえ言っている。


「あっ、この野郎! そんな所にいやがったのか!?」


 部下が叫んだ瞬間、天竜の真の姿を理解している玉美は無言のまま部下に一撃を喰らわした。


「天竜様もようこそ私の屋敷へ、歓迎いたしますわ」


 天竜に向けて丁寧に挨拶をした玉美は、竜之介を見てにっこりと微笑む。


「やっと、やっと2人きりになれましたね竜之介、私は秀光の一件で貴方に大きな借りを作ってしまいましたから、今日はそのお礼をしたくて貴方をここへお呼び差し上げたのですわ」


 その最もらしい理由に納得しない顔を浮かべながら玉美をじっと見つめる山本の姿があった。


――お嬢、それは違いますぜ。竜之介をここに呼んだ本当の理由は今晩ここに来るあいつらを……。


 普段玉美に最も近い位置に居る山本はその真意を見通していた。それだけに茶番を演じている玉美を見ると心苦しくなり、その表情を表に出すまいと震える手を押さえサングラスを掛け直した。


「竜之介、私は準備がありますから少しここを離れます。あとは山本に指示しているので何なりと聞いてくださいな。山本、後は頼みましたよ」


「はい……」


 玉美はいそいそと部屋を出ていく。その瞬間、部屋に異様な殺気が走り、山本が重たい口を開いた。


「餓鬼が……調子に乗るなよ……?」


 そのまま竜之介の胸倉を締め上げる。


「くっ!」


「お嬢はな、強え男が好きなんだ。それなのに何でお前みたいなひ弱な男なんかに血迷ってしまったのか」


「お嬢と釣り合うには、一生守り抜く事の出来るどえらい強え男じゃねえと駄目だ。だから俺はお前を絶対に認めねえ」


「仮にも、日々チェスと戦っている棋将武隊のお前さんが簡単に袋詰めされるようじゃなぁ……はん、ざまぁねえな!」


 山本に核心を突かれた所で、部屋に据え付けてある通信機が鳴り出し、山本は締め上げていた手をぱっと離す。


「……俺だ。……ああ、分かった」


 通信を切ると、竜之介を見て怪訝そうに口を開く。


「お嬢の命令は絶対だ。今日のところは大人しくしといてやろう……俺に付いて来い」


 部屋を出る瞬間、山本が背中越しに聞こえるか聞こえないかの声で何かを呟いた。


「お嬢はな、本当はあんな……ねえんだよ」


 廊下に出ると部下たちがずらっと並んで頭を下げていた。竜之介はその中を通過する度にいろんな殺気が向けられているのを感じ取る。その中には舌打ちをする者さえもいた。


「えらい嫌われようだな、竜之介」


 天竜が懐から身を乗り出して面白そうに言うと、竜之介は困惑した表情をして苦笑いする事しか出来なかった。暫く長い廊下を歩かされ、竜之介達は大きな扉へと案内される。


「山本です、客人を連れて参りました」


 扉が開かれると、数多くの豪華な料理が竜之介の視界に飛び込み、その上座に玉美とその両親達が居る事に気付いた。


「おお、君が風間竜之介君か、初めまして。私は玉美の父、加藤正清。そしてこっちが家内の久美だ」


「は、初めまして、風間竜之介です。いきなり、ここに来てすみません……」


「まぁそう、固くならずに竜之介君。娘が大変世話になったそうだね。君には本当に感謝しているよ! さぁ、掛けてくれたまえ」


 竜之介の机には何本ものフォーク、スプーン、ナイフ(カトラリー)が規則正しく並べており、その周りには山本を含め、給仕達が数人立っていた。


 家族だけで座るのに十分事足りる長いテーブル。その端から屋敷の主へと誘導するかの様に無数の燭台に立てられた蝋燭の火が揺らめいていた。


「何でも娘が手荒な真似をして、強引にここに連れて来たとか。本当にすまなかった、娘には日々上品にしろと言っているのだが――」


 深い溜息を吐き、鋭い目で睨むと玉美は気まずそうに視線を下に向けた。


「さぁ、竜之介君。料理が冷めない内に食べてくれ」


「はい……では、頂きます」


――しかし、これはどう使えばいいんだ?。


 ずらっと並んだカトラリーを見て竜之介が悩んでいると懐から天竜が「端においてある物から順々に使えば良い」と助言してくれた。


「あっ、有難う御座います!」


 竜之介は声を殺して礼を言うと、ぎこちなく料理を食べ始める。談笑もそこそこに一見、穏やかな食事風景にも見えたが、竜之介は玉美の様子がおかしい事に気付いた。


――あれ? 玉美さん何だか楽しんでいないような気がする。


 竜之介が違和感を感じた時、静かな空間の中で何かがぶつかり合う不協和音が響いた。玉美が思わず皿にフォークを落とし、音を立ててしまったのだ。それを見た正清の顔が一変し、玉美を怒鳴りつけるように叫んだ。


「玉美! 何度教えたら上品に食事が出来るようになるんだ!? 竜之介君に失礼じゃないかっ!」


「はっ、はい、お父様……申し訳ありません」


「貴方、そんなに怒鳴らなくても」


 久美が正清をなんとか宥めるが、正清の怒りは収まらず更に玉美を攻め立てた。


「久美、お前は甘過ぎる! 玉美には自分の将来の為、もっともっと上品に振舞って貰うようになってもらわんといかんのだっ!」


 その様子を山本が肩を震わせながら心苦しそうに見つめていた。


 食事も終わり竜之介が先程の部屋で休んでいると、扉を力強く叩く音がした後に扉越から低い声で男が話し掛けてきた。


「客人……風呂の準備が出来やした。こちらへ……」


 扉を開けるとそこに背を丸めた小柄な男が立っており、男は無言のまま浴場へと竜之介を案内する。


「では、ごゆるりと……ちっ」


――うう、今すぐ帰りたい。


 心の中で泣き言を呟きながら、恐る恐る服を脱ぎ、浴場に足を一歩踏み入れた。そこは個人レベルではとても使用するとは思えないほど広く豪華なものであり、それを誇示するかの様に湯船の中央で虎の口からお湯が勢い良く流れ出ていた。


「うお……凄いな……」


 湯船に浸かった竜之介は今までの疲れを凝縮した深い溜息を付き、天竜は気持ち良くすいすいとその周りを泳ぎ始めた。


「だけど、なんでこんな事に……」


 日が暮れる前までは自室にいた筈なのに気が付けば玉美の屋敷にある大浴場に浸かっている。蒸気が天窓に吸い込まれていく様を何気に見ていた時、誰かがこの大浴場に湯煙に包まれながら入ってきた。


――誰だ!?。


 竜之介の警戒心を他所にその者は湯船に入ると、どんどん近付いてくる。それが誰であるかは直ぐに分かった。


「や、山本さんっ!?」


「竜之介、ちょっくら邪魔するぜ……」


 一瞬にして湯船が異様な雰囲気に包まれる。


「いい湯だな、なぁ……竜之介?」


「そっ、そうですね……」


 暫くお互いに沈黙の時間が過ぎ、山本が問い掛ける様に言葉を吐いた。


「竜之介、おめぇ気付いたか?」


「……玉美さんの事ですか?」


「おおよ、お嬢はなあ――」


 山本は徐に顔を洗った後、溜まっていた想いを押し出すかの様に言葉を重ねていく。


「お嬢は……あんなの本当は望んでたりしてねえんだよ」


「俺は、お嬢にちっちゃい頃からずっと付き添ってんだ。お嬢はな、俺らみたいなヤクザ者に優しくしてくれてな。昔は何時も俺等のどまん中で楽しく笑ってたんだぜ?」


「ところが、親父さんが『わしらのような人生を歩ませてはいかん』と言ってな」


「俺らも納得するしかなかった。そりゃあ俺らみたいにはなって欲しくねえ。お嬢にはまっとうな人生を歩んで欲しいもんなぁ」


「だがな、俺はあんなお嬢を見ていると、俺は心臓が破裂しちまいそうになる位、苦しくなるんだよ」


「山本さん……」


「で、思った訳よ、ふっとお嬢の前に白馬の王子様なんてしゃれたもんが現れてよ、こんな茶番を全部掻き消してくれねえかなってな」


「まぁ……それがお前だなんて俺はこれっぽちも思ってねえけどな」


 鼻で笑いながら山本は天井を仰ぐ。


「竜之介、俺はこれから何が起きようが死んでもお嬢を守るぜ? その覚悟はお前にはあるのか?」


 何やら意味深な言葉を投げ掛けた山本は、普段誰にも見せない自分を竜之介に向けて曝け出している事に気付いて思わず苦笑した。


「ふん、ちぃと喋りすぎて、どうやら上せちまったようだ。俺はそろそろ上がるぜ、邪魔したな」


 タオルを肩に掛け、湯船から上がると浴場の入り口でピタリと足を止めて最後にぼそりと呟く。


「お嬢は、俺等と一緒に縁日やりてぇみたいだなぁ……おっと、今日の俺は独り言が多いぜ、いけねぇ、いけねぇ」


「――縁日か」


「竜之介、何だかまた女難の相の匂いが漂ってきたみたいだな」


 自分用のタオルを頭に乗せながら呑気そうに言う天竜を横目に竜之介は首を横に振る。結局その日は

そのまま屋敷に泊まる事となり、部下に用意されていた部屋へと案内された。


「なんだかんだで、ここに泊まる事になってしまった」


「まぁ、たまにはこんな大きいベットで寝るのもいいんじゃないか?」


 天竜がこれまた呑気そうに言う。


「師匠、なんだかお気楽ですね?」


「ああ。今俺は何も出来ないし、のんびりさせてもらうさ」


「師匠みたいな楽天家に俺もなりたいなあ」


 本気で竜之介が天竜の性格を羨ましく感じた時、誰かが扉を叩く音が聞こえた。


「あ。開いてますよ、どうぞ」


 静かに扉が開くと、部屋に玉美が入ってきた。


「竜之介……先ほどはお見苦しいところを見せてしまいましたね」


「いっ、いや、全然大丈夫です」


「良かったら、少し私に付き合ってくれません?」


 片手に一升瓶を掲げながら、玉美は微笑んだ。


「もしかして、それって酒とか?」


「口に含めば分る事ですわ」


 今度は悪戯っぽく笑う。二人が程よく飲み続けた頃、気持ちそうに揺らいでいた玉美の肩がふと止まった。


「たっ、玉美さん、大丈夫ですか?」


「――かなぁ?」


「え?」


「どうして、私は皆と同じようにしちゃ駄目なのかなぁ?」


「玉美さん……」


「何で親父は、あんなに変わっちゃったのかな。昔は私がね、『親父』って声掛けるとさ、頭に鉢巻した親父がね、『おぅ!』って笑ってくれてたのにさ」


「うちの勢力も大きくなって、ある日を境に急に態度が変わってしまって……部下との接触も絶たれてしまって……私、皆と一緒に縁日とか出したいなぁ」


「――たこ焼きとか焼きたい……なぁ」


 玉美がそう寂しく呟いた瞬間、耳に激しい破壊音が鳴り響いた。それは屋敷の窓ガラスが何者かによって割られた音だった。廊下側が部下の声で騒然とし始めた時、中庭に無造作な向きで車を何台も止めたその一台の中から一人の男が降りてくるなり、大きい声で叫び始める。


「弱小の加藤組よお、今日こそ返事を聞かせて貰おうじゃあねえか! 俺等、天下の島津組の傘下に入るのか入らねえのかよお!」


 島津組の若頭に対して、山本が面と向かって返事をする。


「島津組、何度来ようが俺達の考えは変わらねえ、お前にお嬢は絶対渡さねえよ」


「ああ? 俺等の人数はお前等の三倍近くもあるというのに、とても頭に立つ者から出る言葉じゃあねえなあ」


「……それが返事ってんなら、今から俺等と戦争するという意味になるが、その覚悟はできてんだろうなあ?」


「人数で俺等に勝てると思ってるのなら、そいつは大きな誤算だ。統率の取れていない頭でっかちの組なんざ、直ぐに根元から折れるぜ?」


「今吐いた言葉、鉛の弾と一緒に、喉の奥へ飲み込ませてやらあ!」


 二人の会話を窓際で聞いていた竜之介は、驚いた表情をしながら思わず玉美を見る。


「言葉の通り私の身と共に、加藤組が島津組の傘下に入る事を条件として身内の者には一切手を出さないと言われていますの」


――何だって!?。


 思い掛けない玉美の言葉に竜之介は自身の耳を疑った。


「身内を守る為には致し方ありませんわ。今宵が最後の返事をする日でしたの。竜之介、黙っていて御免なさいね」


――私は何を竜之介に期待していたのだろう? 穏やかな表情と仕草の中に垣間見えた力強い何かに触れて見たかったのかも知れない。私は昔から力強い男に惹かれる傾向があった。だから秀光の持つ計り知れない闇の力に憧れた。その力に劣らない闇を持っているから竜之介に興味を持った? 違う、私が惹かれたのは自分の信念を貫き通そうと自信に満ち溢れているその力強い瞳――私はそれに縋り、導いて欲しかったのだ。


 自分の本心に辿りついた玉美は、口をきゅっと引き締めると、無駄な戦いを止める為、腰を上げ中庭に向かおうとする。


「――待ってください、玉美さん」


 竜之介が窓の外で銃器類を構えながら対峙している山本達を指差し力強く叫んだ。


「伝わってきませんか? 貴方を守ろうとする皆さんの気持ちが」


「え?」


「俺にはがんがんに伝わってきますよ! 何故なら――」


「俺もあいつらに玉美さんを取られたくはないですから」


 竜之介が口にした言葉は決してその場を取り繕うだけのものでは無い、深く重みのある言葉である事を玉美は痛感していた。先程まで目の前で困惑していた竜之介が眦を上げながら更に言葉を重ねた。


「玉美さん、本当はどうしたいのですか? 俺にはっきりと言ってください」

  

――どうしたいですって? この男は本気で私を正しい方向へ導こうとしている、ああ、貴方は何故、そんなに自信に満ち溢れた目ができる? 駄目だ、私はその目に縋り付いてこう言うのだ。自然に玉美の瞳から泪が溢れ出て、一度引き締めていた口元が無様に振るえる様を感じながらゆっくりと口を開いた。


「私は何処も行きたくない! 皆と一緒に居たい! そして自分らしく生きたい!」


 吐き出す様に口に出した言葉を竜之介はしっかりと受け止めるとにっこりと微笑む。


「分りました! さあ、俺と一緒に行きましょう!」


 力強く差し出した竜之介の手を玉美が握り締めた瞬間、中庭から銃声と爆音が鳴り響いた。


「急げえっ、おめえら! ぼさっとしてんじゃねえ! 島津組と戦争だ! 獲物を取って、さっさと中庭へ行けええっ!」


 刹那、勢い良くドアが開かれた。


「お嬢! ここは危険です! 早く安全な場所へお逃げくだせぇ! 竜之介さん、お嬢をお願いします!」


 部下が叫びながら竜之介に何かを手渡す。手の中を確認するとそれは玉美が普段使っている「馬型」であった。竜之介は玉美の手を引きながら戦場と化した屋敷の中を走り抜け、勢い良く外に躍り出た。


「待て、竜之介」


 中庭に出た竜之介が玉美を背にして鍔を取り出し、抜刀しようとした所を天竜が制止した。


「し、師匠、こんな緊急事態に何ですか!」


「ふん、力加減も出来ないお前がこんな狭い所で技を繰り出してみろ、味方にも相当な被害が及ぶぞ。いいから二人共さっさと馬に乗れ」


「わ、分かりました!」


 竜之介は馬型から白馬を出現させて玉美を乗せた後、自分も騎乗し、手綱を持つ玉美の手を上からぐっと握り締めた。


「いいか竜之介、これから俺の言う通りにしろ」


 天竜が竜之介の肩に乗り耳打ちをする。それを聞いた竜之介は大きく頷いた。


「玉美さん、しっかり手綱を握っていてください!」


「分かった!」


 竜之介は白馬を中庭に勢い良く走らせた。


「見ろ! 加藤の娘が出てきたぞ! 捕まえろっ!」


「お嬢っ!」


「馬鹿野郎、竜之介っ! お前は何をやってるんだ!」


 山本が交戦しながら叫ぶ。竜之介はあっという間に敵に取り囲まれてしまった。


「やるぞ竜之介、手綱を思いっきり引けえっ!」


 天竜が竜之介に指示を出し、白馬を操り始めた。白馬は力強く前足を上げ、咆哮を上げる。


「竜之介、馬に自分の力強い気を手綱を通して伝えろ、そうすればそれが馬に伝わり、その力を発揮する」


「分かりました! いっけええええ!」


 竜之介が思いっきり自身の気を手綱に流し込んだ瞬間、白馬の青い目に活力が漲り、周辺の敵を一瞬にして蹴散らした。その動きは目から放たれる青い旋光が夜の中庭に美しい横線を描く程、華麗で俊敏なものであった。


 玉美は自分の愛馬が普段よりもそれ以上に力強く地を駆けているのを感じ取っていた。


「これが……私の馬!」


「お前はこんな風に走りたかったんだよね! そして――それは私も同じ!」


「うっ、うわああああ!」


「怯むなぁッ! 撃て撃て撃てえええっ!」


「だっ、駄目だぁ! 早すぎて狙いが定まらないいいっ!」


「うわ! 逃げ、逃げろおおお!」


 瞬く間に敵の数を削り取った竜之介を見て、山本が歓喜の声を上げて叫ぶ。


「白馬の王子……中々やるじゃねえかああっ!」


 形勢は逆転し、加藤組が島津組を畳み掛ける。


「これがお前の力! 凄い、凄いよおおっ!」


 白馬に跨りながら楽しそうに笑っている玉美を正清が目の辺りにして、自分の考えを改めた言葉を口に漏らした。


「あの笑顔は、あの頃の時の玉美……わしの考えは間違っていたのか?」


「あなた、もういいじゃありませんか。ほら、見てくださいな、玉美のあんなに楽しそうにしている笑顔を。あれがあの娘の本当の姿なんですよ?」


「ああ……そうだな」


 正清はそう言って静かに目を細める。戦いに勝利した加藤組は島津組に二度と加藤組には関わらないという念書を書かせて開放した。


 騒動はひとまず落ち着いたものの、屋敷が大幅に壊れてしまった為、竜之介達は帰る事となった。


「すまないねぇ竜之介君、もっとゆっくりして貰おうと思ったのだが、屋敷がこんな状態ではね……。今車を回したから」


「いえいえ、こちらこそ急に来てしまって、すみませんでした」


「ははは……。来たというより、玉美にさらわれたのだろう? なぁ、玉美」


「……はい、お父様。迷惑をお掛けして本当に申し訳ありませんでした」


「――玉美」


「はい、なんでしょう? お父様」


「すまなかったな。私は今日までどうやらとんだ思い違いをしていた様だ」


「これからはお父様と呼ばなくていい」


「――え?」


「今日からわしは玉美の『親父』なんだからな……」


「あ……!」


 その瞬間、玉美の瞳から止め処ない涙が溢れ出す。周りの部下達も次々と涙腺が波状し、猛獣にも似た声を上げて泣き出し始めた。


「それに――将来を考えてという心配が無くなったからな。なぁ、久美よ」


「そうですね、あなた」


 久美はにっこりと笑って頷いた。


「お、親父、それってまさか――?」


「なぁに、ほれ、そこに玉美に相応しい婿候補がおるではないか」


――まっ、まさかそれって俺の事っ!?。


 第三者の目で暖かく皆を見守っていた竜之介の顔が急に引き攣った。


「親父、私、幸せになるからねっ!」


 玉美が思いっきり竜之介に抱きついた瞬間、部下達の視線が一気に竜之介へ向けられた。刹那、一斉に歓喜の声が半壊した中庭に響き渡る。


「おおお! そいつはめでてぇ! これで加藤組も安泰だぁああ!」


「良かった、本当に良かったなぁ! お嬢っ!」


「よっしゃあ! そうと決まったら、さっさと片付けをして大宴会じゃああ!」


「おおおおおおっ!」


 その光景を山本が車の傍で煙草の煙をくゆらせて満足そうに見ていた。


「さてと……、寝床まで送るぜ、さっさと乗りな竜之介」


「竜之介さん! これからお嬢をよろしく頼みますぜっ!」


「これから俺達を引っ張っていってやってくだせええ!」


「おめぇ、気が早いぜ? おやっさんに失礼だろうが!」


「すっ、すいやせん! でも早くお嬢の花嫁姿が見たくて……つい……」


「へっ、ちげえねえ!」


「わははははははっ!」


 部下達に暖かく見守られながら車が屋敷から静かに離れていく。道中、山本が後部座席でぐったりとしている竜之介に話し掛けてきた。


「竜之介……お前が本当に茶番を掻き消しちまうとはな、全く恐れ入ったぜ。こんな近くにとんだ白馬の王子様がいたもんだ」


「あ、あははははは……」


 竜之介はどう答えていいか分からず、ただ、苦笑いをするしか出来なかった。


「竜之介よお、おめぇさん分かってるとは思うが、お嬢を泣せるような真似をしたら――その時は俺達がお前を全力でぶっ飛ばすからな、肝に銘じとけよ」


 竜之介はバックミラー越しに映る山本の真剣な目を見て、それが冗談で無い事を察した。


「……はい」


「ならいい。……ところで竜之介、お前はたこ焼きを美味く焼く事が出来るか?」


「いえ、ちょっと自信ないです」


 頭が真っ白になった竜之介は朦朧としながら答える。


「そいつはいけねえなあ。今度この俺がみっちり教えてやるから、覚悟しときな」


 嬉しそうに笑いながら山本はアクセルを思いっきり踏み込んだ。


「うう……分かりましたって、ちょ、や、山本さん、す、スピード出し過ぎいいいっ!」


 夜空に広がる満天の星空をボディへ映し描いた黒塗りの車が一台、十洞の町中を嬉しそうに飛び跳ねながら、走り抜けていくのであった。


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