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■二人だけの楽園

 チェス界にも朝は来る。だがここには神々しい朝日など昇らない。地面が白く光リだすだけだ。


 その光が目覚め始めた頃、人間界に居る竜之介を想いながらドゥルガーはシェルを口へと運ぶ。


 用意した服を着て部屋を出たドゥルガーは足音を殺し、周りを警戒しながら奇門室に忍び込む。


「よしよし。誰も居ないな……」


 静まり返った奇門室でドゥルガーは一人、手馴れた手つきで出現場所を設定する。


「出力を極限に抑えて……この格好なら近くても安全だな。うん!」


 日傘を差し終えたドゥルガーに青い光が照射されると、その姿が消え始めた。


「しゅっぱーつ!!」


 ドゥルガーが奇門を開いた時、棋将部隊の奇門監視装置から警告音が鳴った。


「ん?」


「おい、今警告音が鳴らなかったか?」 


「そうか? 一瞬だから分らなかったぞ」


「念の為、出現場所を確認してみろ」


「分った。ええっと……ああ? なんだこりゃ?

拠点のすぐ側に出たってコイツは言ってるぜ?」


「流石に無いな。単身で乗り込んで来るそんな大胆なチェスがいるもんか」


「違いねえ。誤報だな、調子悪いのかな?」


「こいつは年中無休で働いてるからな、そりゃあたまにはグズりたくもなるさ」


「確かに。わはははは!!」


 監視員が呑気に笑い合っている頃、単身で乗り込んだドゥルガーが拠点を目の前にして姿を現した。


 普段は鎧が受ける日差しをドゥルガーは今、自身の体で受けている。


「あう、暑い……流石に生身の日差しは辛いな。」

 日傘で自分を庇う様にして日差しを遮断する。ドゥルガーの心が早くも折れ掛けた時、冷ややかな風が全身を駆け抜けて行った。


「お!気持ちいい」


――ここがリュウノケの居る世界。


――向こうがリュウノケが見る町並み。


 長く積み上げられた石段の横に立てられている石柱に刻まれている文字をドゥルガーは口に出して読む。    


棋将武隊きしょうぶたい


「おお……今まで何度か見た事のあるこの記号がドゥルガーはちゃんと読めるぞ!! それどころかこの世界の言葉もちゃんと喋れているではないか!! 凄い薬だな、これは!!」


 自身の完璧振りにドゥルガーは思わず喜びの声を上げ、確かめる様にその文字を再度読んだ。


――棋将武隊。ここにリュウノケが居る。


――どくん!!。


――どくん!!。


 不思議だ。そう考えただけでもドゥルガーのここが早くなる、苦しくなる、不安になる。


 頬を赤く染め、苦しそうに石段を見上げたドゥルガーは大きく深呼吸をして、その先を目指した。 


 石段の方向から見慣れない女が一人、自分達の方に接近して来るのを確認した門番達は訝しそうな顔をして目を細める。


「ちょっと!! あれを見て、何か変な格好をした娘がこっちに向かってくるわ!!」


「え? わ! 本当だ!! 何なの、あの娘の格好、日傘を差して全身黒尽くめって……」


 門番達の前まで来たドゥルガーは日傘をぎゅっと握り締め、恐る恐る話し掛ける。


[あ、あの……リュウノケはいるか?]


「リュウノケ?」


 門番達は顔を見合わせながら互いに首を傾げていたが、暫くして何かの結論に達した顔を見せた。


「貴方……もしかして竜之介様の事を言っているの?」


「……」


 リュウノスケ? その名を聞いたドゥルガーは一瞬石の様に固まった。


 な、なんて事だ!! ドゥルガーは今までずっとリュウノスケをリュウノケと言っていたのかっ!? 名前を間違えるなどと、なんたる不覚っ!! ドゥルガーは顔を真っ赤にして門番達に叫ぶ。


「先程のは単なるいい間違いだ!! ドゥル……わ、私は最初っから、リュウノスケって分っていたんだからなあっ!!」


 ドゥルガーの慌てぶりを見て門番は苦笑しながら十洞山を指差す。


「何処の何方か存じませんが、竜之介様なら朝早くこの上にある十洞山に修行する為に入られましたよ?」


「テンドウザン……そうか、分った!」


 竜之介の居場所を聞くや否や、ドゥルガーはすたすたと武隊専用の入口に向かって歩いて行く。


「あっ!! ちょっと待ちなさいっ!! そこは武隊専用の入口ですよ!! 一般の方は入ったら駄目です!!」


――煩いな。


 ドゥルガーは一刻も早くリュウノスケに会いたいのに。敵は二人、今ここで殺ってしまうか?日傘を傾け、後ろ足を下げながら片手で身構える。


 自身の持つ力を片手へと集中させる。が、全く力が漲って来ない。ドゥルガーはふと解析主任の言葉を思い出した。


”シェルを服用すると、一時的に自身の力が奪われて餌同様になる……”


「……そうだった」


 構えを解いたドゥルガーは深い溜息を付いた。その様を不思議そうに見ていた門番が慌てて言葉を付け足す。


「ごめんなさい。その入口が規則で駄目なだけであって、十洞山への一般用入口が拠点を出て少し歩いた所にありますからそちらから入れますよ?」


「え、本当か!?」


 その言葉を聞いた途端、ドゥルガーの顔がぱあっと明るくなった。門番達から入口の場所を確認すると急いで方向転換をする。


「あ、ちょっと待って!! ところで貴方は竜之介様とどういったご関係ですか?」


 ドゥルガーの容姿の可愛さは同姓の者が見ても群を抜いていた。気になった門番が思わず背中越しに声を掛ける。


 踵を返したドゥルガーは少し恥ずかしそうな仕草をしながら答える。

 

「リュ、リュウノスケは……、将来、わ、私の婿になる男だ……」


「『ええええっ!?』」


 馬鹿でかい100tハンマーが頭上に直撃した様な顔をし、門番達は口をあんぐりと開けたまま、徐々に小さくなっていく日傘を見送った。


ドゥルガーが十洞山に入って少し時間が経過した頃、奇門監視装置から警告音が再び鳴った。


「おい、また一瞬鳴ったぞ?」


「またかよ? 今度は何処だ?」


 監視員が確認すると、奇門監視装置は十洞山の入口付近を指し示していた。


「げっ、まただよ!!」


「今日はえらくご機嫌斜めだなあ」


「本格的にメンテナンスが必要か?」


「そうだな。予備機に切り替えて、早めにメンテナンスして貰う事とするか」


 その頃、十洞山に一人のルークが姿を現した。


――ドゥルガーは何処だ?。


 昨日から様子がおかしいと思って部屋を覗いて見たらもぬけの殻じゃねえか。調べてみれば奇門を開いて単独でこんな危なっかしい場所に来ていやがった。ゼノンは辺りを警戒しながら十洞山を登って行く。


――この俺よりも、リュウノケの方がそんなにいいのかよ!?。


 ふざけんな!! ドゥルガーは俺が最初っから目を付けていた女だぜ? ライバルは”シヴァ”だけかと思っていたのに、まさか餌風情に横取りされるとは!! くそっ!! くそっ!! くそおっ!! ゼノンは力任せに周りの草木を握っている剣で薙ぎ払った。


――探し出して、俺の手でぶっ殺してやる!!。


 袋の中で何かが蠢いている生物をゼノンは手で掴み取って無造作に頭上へ放つ。それは一つ目の悍ましい蝶であった。


 蝶はドゥルガーの匂いを追ってゆらゆらと飛び始めたが、匂いがシェルによって微弱になっている為、蝶は困惑した表情を見せる。


「ちいっ!! この役立たずがっ、さっさとドゥルガーを探せっ!!」


 ゼノンは歯軋りをしながら怒りを露にした。


「ふええ、山の中は広すぎるよぉ……リュウノスケは何処お?」


 体力も通常の何倍も低下しているドゥルガーは歩き疲れ、思わず泣き言を口にする。静寂な山の中、ドゥルガーは遠くで沢山の水が落ちる水音を微かに聞き取った。


 その水音に導かれる様に獣道を進んでいくとやがて水分を含んだひんやりとした空気がドゥルガーの鼻を擽り始めた。暑さも殆ど感じ無くなったドゥルガーは日傘を静かに畳んだ。


 水音が轟音へと変わった時、ドゥルガーの目の前に大きな滝壺が現れた。その場所に足を踏み入れた途端、何故かドゥルガーの鼓動が激しく脈を打った。


――リュウノスケがここにいるっ!!。


 確信したドゥルガーがゆっくりと滝壺の方に向かって歩いていくと、轟音を立てながら落ちる滝の中で竜之介が座禅をして手を合わせながら瞑想している姿が目に飛び込んで来た。


「リュウノスケ……ドゥルガーやっと会えた!!」


 再開の喜びを噛み締めながら、ドゥルガーが竜之介を真正面に捕らえた時、その真下で両目が縞模様一色になっている天竜が居た。


「なっ、なんでこの様な場所に女が入ってきた!?」


 ドゥルガーを見上げながら天竜は驚きの声を漏らした。暫く顎に手をやり何かを考え込んでいたが、やがて納得がいったのかポンと手を打った。 


「ふむ。これはどうやら竜之介得意の”女難の相”発動と見た。これに講ずる対策はだな……」


「さらばだ竜之介!! 俺様の直勘がここから逃げろと言っている!!」


 修行に付き合っていた天竜は滝壺から離れると出口まで走り、踵を返して奇妙な格好をしたドゥルガーを見て深い溜息を付き、首を横に振った後、その場から早々と立ち去った。


 そんな事も露知らず、竜之介は未だ目を瞑ったまま瞑想に耽っていた。ドゥルガーはその姿を幸せそうに眺めていたが、やがて何か思いついたのか、突然頭のリボンを解いた。


 それだけではない。


 今度は上着、スカート、靴下と次々に脱いで、最後の一枚さえも脱ぎ近くの岩場にそっと置いた。


「おお……冷たくて気持ちがいいなっ!!」


 自身の手で水の冷たさを確かめた後、静かに滝壺の中に入っていく。


「ふふふ……」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、竜之介のすぐ近くまで接近する。間近でその顔を見た時、ドゥルガーは抑えていた感情をとうとう抑えきれなくなった。


「リュウノスケ、がぼべぼがあっ(会いたかったあ)!!」


 思いっきりドゥルガーは竜之介に抱きついた。


「――!!」


「ぐぼあああ!! がばみごはああっ!? (うわああっ!! 君は誰だああっ!?)」


 お互いに口の中に嫌というほど水を飲み込んだまま、滝の奥にある大きな窪みへ倒れ込む。


「リュウノスケ!! 凄く会いたかったっ!!」


 目の前に見た事も無い女が清く澄んだセピア色の瞳に涙を浮かべ竜之介の名を呼んで全裸で抱きついている。事情が全く飲み込めない竜之介はどう対応していいか分らず、ただ目の前の女を唖然と見る事しかできなかった。


 やっと我を取り戻した竜之介は自分の胸板にお釣りがくるほど押さえ付けていた胸の感触をなんとか振りほどき、慌ててドゥルガーに背中を向けた。


「ちよ、ちょっと待ってくれ!! 俺は君を知らない!それなのに君は何故俺の名を知っているんだ!?」


「それは……」


――私がドゥルガーだから。


 喉の先まで出掛かった言葉をドゥルガーは強引に飲み込む。今の私がドゥルガーだと言ってもリュウノスケには多分分からない、そう考えたドゥルガーは寂しく笑った。


「それは……私がリュウノスケを良く知っているからだよ」


「俺を良く知っている?」


 腕を組んだ竜之介は過去の記憶から今まで出会った女を必死に手繰り寄せたがそれに該当する女を思い出す事は出来なかった。


「うーむ……駄目だ。ごめん! 俺はどうしても君を思い出す事が出来ない。名前を教えて貰ってもいいか?」


――名前。


――自分の名前をここで言えたらどんなにいいだろう。


 今ここにいる自分はドゥルガーであってドゥルガーでは無い、何の力も無い人間の女。ドゥルガーが演じる悲しい女だ。ドゥルガーはふと頭を過ぎった言葉を呟いた。


「私の名前は……須恵千葵すえち あおいだ、私の事は葵でいい」


「葵ちゃんか、やはり覚えがないなあ……」


――そう、私は葵。この姿で唯一リュウノスケが人間の私として認識してくれる名前。


 竜之介に本当の自分を明かすのは竜之介が本来の自分を取り戻しからでも遅くは無い。これから出会いを重ねて徐々に此方側に引き込めばいいだけ。


慌てず、焦らず、ドゥルガーの物にすればいい。方針を固めたドゥルガーは手始めに竜之介に近付く為の言葉を口にする。無論ドゥルガーにとってはなんとも無い言葉だった。


「リュウノスケ、今すぐ私を抱け」


「ぶほああっ!!」


 その瞬間、竜之介が吹いた。耳まで真っ赤になって目を手で隠しながらしどろもどろで狼狽える。


「あ、葵ちゃん!! なっ、なんて事を急に言い出すんだっ!! 女の娘がそんな事を気軽に口へ出したら駄目だよっ!!」


「そ、そうなのか? 男は女を抱きたがる、そういう生き物ではないのか?」


「ううっ、確かにその考えは否めない所はあるんだけど……ってそうじゃない!! お願いだからまずはお互い服を着に向こうへ戻ろう!!」


――おっかしいなぁ?


 向こうではやたらにドゥルガーに言い寄って来て、しきりに「抱かせろ」と言ってくるんだが……。まあ、誰にも興味は無かったから一蹴していたんだど。でも、リュウノスケなら話は別。ドゥルガーは別に構わないのだぞ? 少し残念そうな表情をして見せた。


「あれ? 師匠はどこに行った?さては、葵ちゃんがここに現れた時に直ぐ逃げたな!!」


 正解である。


 呆れた顔をした後、竜之介は大きめなタオルを手に取るとドゥルガーに手渡す。


「葵ちゃん、ここの水は冷たいから、風邪を引いたらいけない。これで早く体を拭くといいよ。」


――リュウノスケは優しい。


 屈託の無い竜之介の笑顔はドゥルガーにとってとても眩しく見えた。また、滝の轟音が二人だけの空間を切り抜き包み込んでくれている様な、そんな優しい気持ちになっていくのを感じていた。


 全て着替え終わったドゥルガーを見た竜之介が驚いた表情をする。


「あ、葵ちゃん、その格好でここまで来たのか?!」


 全身黒尽くめで、頭には大きめなリボンおまけにひらひらのフリル付き。とても山の中に入る格好では無い。だが、それを差し引いてもその衣装はドゥルガーに良く似合っていた。竜之介は思わず見惚れてしまう。


「リュウノスケ、どうだ似合うか? 平伏すか?」


「え?! う、うん!! 凄く似合っていると思うよ」


「そうか、嬉しいな」


――似合ってる。


 リュウノスケの言葉一つ一つがドゥルガーの心を高く跳ね上げさせる、躍らせる、舞い上がらせる、ドゥルガーこんな気持ちは初めてだぞ。赤く染まった頬を両手に添えながら竜之介を見つめた。


「あ、葵ちゃん……」


 二人の会話が止まり、滝の轟音だけが周りに響き渡る。そう、時が止まったみたいに。お互いの距離が自然に縮まった時、その雰囲気を断ち切る音が混入した。


「あう!!」


 その音はドゥルガーのお腹の方から発せられていた。顔を真っ赤にしながら必死にお腹を押さえて下に俯く。


――不覚っ!! 不覚っ!! 不覚っ!! 不覚っ!! なんてこと!! リュウノスケに会いにいく事だけを考えてていた為に今日は朝から何も口に入れていなかった!! ドゥルガーの馬鹿ああああっ!!。


涙目で自分を悔やんでいた時、目の前に白く三角形であろう形をした柔らかそうな食べ物がドゥルガーの目の前に差し出された。


「お腹空いたね。俺が握ったから形は歪だけど、味は保証する。葵ちゃん、良かったら持ってきたおにぎりを一緒に食べよう」


「おにぎり……?」


「うん。おにぎり。塩と梅しかないんだけど……」


「塩……梅?」


 大きな平たい岩の上で二人は腰掛けて、ドゥルガーは最初に塩のおにぎりを口にした。


「おお……これは!!」


 一口程口にしてドゥルガーは今まで知らなかった味に感動していた。あっという間にペロリと平らげてしまった。竜之介はそんなドゥルガーの様を見て優しく微笑んだ。


「今度は梅か……どれ」


 ドゥルガーが梅のおにぎりを口にした途端、頭の奥が木の棒で叩き付けられた感覚を覚えた。


「う――っ!!」


 目を必死に瞑ってその感覚を楽しんだ後、ドゥルガーは満面の笑みを浮かべた。


「リュウノスケ、梅は凄いぞ!! パカーンって頭に来た」


「あははは。種は抜いてるから大丈夫だけど、一気に食べると結構来るよ?」


 微笑みながら竜之介は近くに置いてあった出納からお茶を注いで、ドゥルガーに手渡す。 


「このお茶はそこの自然の水から汲んで作ったんだ。冷たいけど大丈夫か?」


「うん、私は冷たいのは全然平気だから大丈夫!!」


「そっか、それは良かった。あれ?」


 ドゥルガーの口元にご飯粒が付いているのに気付いた竜之介は手を差し伸べそっと取ってあげた。


「あ、有難う……」


――ああ、なんて幸せなんだろう。


 目の前にある笑顔が今だけでは無く、永久にドゥルガーの傍にあればこれ以上何も望むものなど無い、ドゥルガーとリュウノスケ意外何も存在しなくていい。


こんな溢れる感情が芽生えたのはリュウノスケ、お前が初めてだ。ドゥルガーは目を細め幸せそうに二人だけの空間を見つめた。そう。ここは二人だけの楽園なのだと。


 だが、その楽園の地に魔の手が迫って来ている事などこの時の二人は知る由も無かった。


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