■兄妹の枷
絃真は剣を抜き竜之介の前に立ちはだかる。自分の軽はずみな行動で竜之介を巻き込んでしまった瑠璃は恐怖で渇き切った口をなんとか勇気を振り絞って開く。
「あっ、あに、兄上……りゅ、竜之介さんは、かっ、関係……あっ、あり、ありませ……」
「誰が、口を開いていいと言った?瑠理……?」
竜之介を睨み付けたまま、弦真が瑠璃の言葉を一蹴した。
「ひっ、ひいっ、ごっ、ごめんなさい、あ、兄上……で、で過ぎた、まっ、真似を……」
まるで幼子の様に瑠璃は嗚咽を漏らし始めた。その様を横目で見た竜之介は瑠璃の足首に大きな足枷が取り付けられているかの様な錯覚に囚われた。
――私は自由にしてはいけない娘なんです。
瑠璃が何気に漏らした言葉が突然竜之介の頭を過る。
「ふん、興醒めだな。貴様からは全く力を感じぬ。本当に小早川に勝利したのはお前か?全くの別人だな」
抜刀を解除した弦真はしゃがみ込んだまま蹲まっている瑠璃に命令する。
「瑠理、帰るぞ……。誰が自由に歩き回っていいと言った……?」
「ううっ……ごっ、ごめんな……さい……」
「お前は、自分では何も出来ないのだから、俺の指示に従っていればいい……」
「……は……い」
よろよろと立ち上った瑠璃は竜之介の方に向いた。
「竜之介さん、迷惑を掛けてごめんなさい……」
瞳から今にも零れそうな涙を見せながら、寂しそうに笑った瑠璃を見て竜之介は愕然とした。
――俺は何も知らなかった。皆の前で普通に笑ったり話したり、そんな瑠璃さんしか目の中に留めていなかった。まさか、まさかこんな縛りと向き合ってたなんて……今日まで分からなかった。
瑠璃がその縛りの断片を言葉で自分に漏らした理由、それは自分に向け必死に手を伸ばし、掴んで欲しかったのではないのか? 踵を返し、立ち去ろうとする瑠璃の小さな背中を見て竜之介は両手拳を握り締め震えた。
「待ってください、弦真さん」
竜之介が突然引き止める。怪訝そうに振り向いた弦真が竜之介を見て目を見開いた。そこには 先程まで狼狽しながら自分を見ていた青二才は消え、目を据えた剣士の竜之介が立っていたからだ。
「貴方が瑠璃さんの自由を奪っていたのですか……?」
止め処も無い憤りを言葉に乗せる。
弦真は竜之介の纏う気が明らかに変化した様を感じ取り、不適に笑う。
「ほう、それはどんな手品だ? いきなり貴様の気が変化するとはな」
「俺の質問に答えてください……瑠璃さんを縛っているのは貴方なんですね?」
自分と対等に話す竜之介に弦真は苛立ちを覚えた。
「だったらどうだと言うのだ? 瑠璃は我が一族の疫病神もいいところだ」
「――!!」
「故に、俺が幼き頃から今まで人様の迷惑にならぬ様、監視してやっているのだ」
「瑠璃さんは疫病神なんかじゃないっ!! 兄なら何故それを分かってあげられないのですか?」
「それこそ、時間の無駄というものだ」
「なんだと……!?」
怒りを露にして自分に訴える竜之介を見て弦真はその考えを否定するかの様に言い放つ。
「貴様、先程から何を吐き違えておるのだ? 人様に迷惑を掛けるからこうして、俺が道を踏み外さないよう、見ているのではないか。瑠理はそうやって生きていればいいだけだ。何も事情を知らない部外者のお前が関与する事ではない」
「なるほど……そうやって、貴方は今まで瑠理さんの自由を奪ってきたのですか……」
「疫病神に自由など無い。これは古から定められた我が武田家の掟なのだ」
弦真の言葉を聞いた竜之介が口元を歪めて笑った。
「貴様……何が可笑しい?」
「確かに……俺は瑠璃さんの事情もその武田の掟についても分かってない。ただ、確かなのはそんな下らない縛りで、瑠璃さんの自由を奪うのは間違っているという事だ」
弦真の繭がぴくりと動く。
「俺の聞き間違いなら良いのだが、今貴様は『下らない』と罵ったか……?」
「ああ、下らない。そんな掟に従っている貴方もだ、そんなもの俺が今すぐぶっ壊してやる」
「貴様、この棋将部隊竜王の俺に本気で挑むつもりか?」
「……俺は自分の信念を貫き通す」
何処かで聞き覚えのある台詞に弦真は一瞬懐かしむ表情を見せ、目を細めた。
「……いい度胸だ。先程は軽い脅しのつもりだったが、貴様はどうやら本気で死にたいらしいな?それが嫌ならお前の力でこの俺を捻じ伏せて見るが良い、それが出来るものならな」
懐からゆっくりと鍔を取り出す弦真を見て瑠理が思わず叫ぶ。
「竜之介さん、兄上と戦っては駄目ですっ!! 兄上は誰にも容赦しません!! 本当に殺されてしまうっ!!」
「瑠理、お前はそこでこいつが死に行く様を黙って見ていろ」
「あっ、兄上!! どっ、どうか、竜之介さんを許して……!!」
「瑠理……誰が口を開いて良いと言った?」
「ごっ、ごめんな……」
「謝る必要はありませんよ?」
「――!!」
震える声で謝ろうとしていた瑠璃の言葉を竜之介は遮った。
「もう、そんな事しなくていいんです。俺が瑠璃さんをすぐに鳥籠から出してあげますから」
にこっと微笑んだ竜之介は鍔を取り出した。
「竜之介さ……」
弦真に睨まれ、口を両手で押さえ溢れ出る想いを必死で殺そうとする瑠璃。
「可哀相に……。自分の感情を自由に出す事さえも許してもらえなかったのですか……」
そのまま黙ってぽたぽたと泪で地面を濡らす瑠理を見た竜之介は弦真に向かって静かに言う。
「……約束してくれませんか? もし俺が貴方に勝ったら、瑠理さんを自由にすると」
「……良かろう」
暫く黙っていた弦真は竜之介の条件を呑んだ。それは自分こそが何かから開放されたいが故に、それが実現出来ずともその可能性に期待した一瞬の気まぐれだった。
「兄……様……」
兄の意外な答えを聞いた瑠璃は、兄の見えない部分が一瞬見えた気がした。
「ちなみに貴様の敗北は死を意味する……それでもこの俺と剣を交えるというのか?」
「俺は……先刻言った筈ですよ……? もう忘れたんですか?」
――俺は自分の信念を貫き通すか、「宗政」よ、これも運命か……?。
無言のまま、互いに距離を取る。
「抜刀……夜刀!!」
「抜刀……風神……」
同時に抜刀する。弦真の手には長剣の夜刀、竜之介の手には青剣の風神が握られた。
「来い、多可千穂」
長剣を前に差し出し、精霊を召還する。
*弦真様……*
目の前に鮮やかな朱色の髪を持ち、その前髪で左目を隠した精霊が現れる。その雰囲気は妖気に包まれていたが、その瞳から容姿は美の全てを物語っていた。
「リンクだ」
*はい*
多可千穂が剣にリンクすると、夜刀の刀身に5つの刻印が表示された。
「こんどは俺の番だ。ハル出て来い」
竜之介が召還すると、渦巻く青い風に乗ってハルが姿を現した。ハルは竜之介を見た後、目を横線の様にして項垂れる。
*竜之介……何やら訳ありじゃのう?*
「ハル……力を貸してくれ。俺はこの人に絶対負ける訳にはいかないんだ!」
真剣な眼差しで見つめられたハルは少し動揺し、顔を横に背けた。
*む、無論じゃ。わ、わしに任せておけ。*
慌ててハルがリンクすると、風神の刀身に5個の刻印が一気に現れた。
「ほう……只勝ち上がってきた訳ではないという事か」
風神の強さを見て弦真は感心する。
「弦真さん、武装した方がいい。怪我をしますよ?」
風神を突きつけながら弦真を見据える。
「これは驚いた。本当に別人だな……。俺に武装させておいて一太刀も浴びせれなかったなどと、俺の期待を裏切るなよ?」
弦真はニヤリとほくそえんだ後、武装した。
風神を中段に構えたまま、竜之介は力強く地を蹴って弦真に向け真っ直ぐ駆け出す。自身の持つ身体能力を全て足に注ぎ込み、低く、速く、一気に間合いを詰める。
「ここだっ!!」
左足を蹴って大きく踏み込んだ時、弦真が居た場所に地面の落ち葉がふわりと舞い上がった。
刹那、本能で身体を右に捻り風神を頭に翳した時、風神の刃先を滑る様に夜刀の刃先が火花を飛ばし上げながら根元まで食い込んで来た。
「ほう、今の一撃を良く止めたな。それくらい出来ないと俺と戦う資格は無い」
「くっ!」
夜刀を振り払うと、竜之介は距離を取って構え直した。
「ふふ、さっきの威勢はどうした? 早く向かってこないか」
「言われなくても行ってやるっ!!」
「愚か者が!!」
弦真の懐に入ろうとした瞬間、夜刀の刃先が顔面に迫り、斬撃を阻まれたと同時に怒涛の連撃を受ける。
「どうだ?俺の懐に入ってこれまい!?」
「くそ、遠くから剣が伸びるように襲い掛かってくる! 迂闊に踏み込めないっ!」
互いの剣が凌ぎ合う音が山中に響き渡る。激しくぶつかり合った音が響いたかと思うと、一瞬静寂が訪れた後、直ぐに連続で金属音が鳴り始める。
――この人……強いッ!!。
弦真からの連撃を浴び、自分の間合いに入れずに竜之介は受けるのが精一杯だった。二人が目にも留まらない速さで剣を打ち合う度、互いの刃から火花が飛び散った。
「俺の夜刀の攻撃範囲はお前の比ではない!」
やがて竜之介は長剣の夜刀に攻め込まれ、遂に隙を見せてしまった。
「まずいっ!!」
慌てて構えを立て直そうとしたが、時既に遅く弦真は夜刀を八相の構えに持ち変え、剣先を竜之介に向けていた。
「ヒュウッ……」
弦真が物凄い勢いで殺気を放ち始める。一瞬にして周りが赤く染まり、弦真の背後に火を纏った大蛇が現れた。
「ぐううっ、殺気の具現化かっ!!」
風神の剣先が徐々に下がり、竜之介の片膝は地を舐めさせられた。
「夜刀毒炎牙!!」
動きを封じられた竜之介に容赦なく弦真の技が炸裂する。夜刀が竜之介の甲冑を連撃で切り刻んだ後、激しい炎を巻き起こした。
「ごふうっ!!」
竜之介の甲冑は紙のように貫かれ、胸部に亀裂が走った。肉体まで達した夜刀の刃先は竜之介の血を噴水の様に吹き出させ、風神は一瞬にして3個の刻印を削り取られた。
*竜之介っ!!*
朦朧としている竜之介に向けハルが呼びかける。自身の技に手応えを感じた弦真は夜刀を引き抜くと目の前で火達磨になった竜之介を呆然と見ていた。
「風間竜之介……所詮ここまでの男だったか。この技は焼かれ斬られるだけでは無い。夜刀の毒が体内を駆け巡り、お前を確実に死に誘う」
「いっ、嫌あああっ!! 竜之介さんっ!!」
瑠理が髪を乱し、狂ったように叫んだ。
――瑠理さん……。
泣き崩れる瑠理と炎に巻かれた竜之介を見ながら弦真は寂しい顔を見せた。
「宗政よ、やはり俺の生き方を変える事など、到底叶わぬ戯言だったよのぅ……」
目を閉じ、ぼそりと呟いた後、再び厳しい顔に戻る。
「さぁ、茶番は終わりだ! やはり俺の生き方は間違っておらぬのだっ!!」
「瑠理ッ!! お前が二度とこんな馬鹿な行動ができないように再教育してやるっ!!」
「いいかっ!! お前がこの世で生られているだけでも、有り難いと思えっ!!」
「所詮、お前は俺の操り人形に過ぎないのだからなぁっ!!」
無慈悲な言葉を容赦なく瑠璃に叩き続ける弦真を燃盛る炎の中で竜之介は目を見開いて見ていた。激しい怒りと心の奥底から吹き出る闘争心が竜之介を奮い立たせる。こんな傷の深さなど瑠璃が追った心の傷の比ではない、今直ぐ立ち上がって風神を構え、目の前の敵を討てと。
「ふざ……けるなっ!!」
「何っ?!」
竜之介の中で何かが激しい音を立てて外れた時、先程まで自分を苦しめていた業火の熱さも感じなくなり、自分を死に追いやろうとした体内の毒が次々と消え去っていくのを感じた。
刹那、風神から激しい旋風が巻き起こり、業火を飲み込んで空中で掻き消した。そればかりでは無い、風神の刻印が力を示すかの様に5つへと蘇っていた。
「信じられん!! 俺は幻術を見せられているのか!?」
ゆらりと立ち上がり風神を構える竜之介を見て思わず息を飲んだ。
「何故だ!? 何故貴様は死なないっ!? 何故削った刻印が蘇った!? こっ、こんな馬鹿な事がある筈がないっ!!」
愕然とし、この世の者ものでない物を見るような目付きで竜之介を見て体を震わせる。
「弦真さん、あるんですよ実際貴方の目の前に。……それと俺は少し普通じゃないんで……」
風神の剣先が静かに下がっていくのを見て弦真は只ならぬ危険を感じ、自身も下段の構えをとった。
「この化け物めっ!!」
力任せに振りきった夜刀が風を切り裂きながら襲い掛かったが、力が回復している竜之介にはその連撃がまるでコマ送りの様に見えた。
「無駄です。その攻撃はもう俺には通用しません」
その連撃を掻い潜る様に交わしながら竜之介は前に出る。
「一撃も当たらないだとっ?!」
弦真が動揺した一瞬、眼下に電光石火で竜之介が懐に入ってくる様が見えた。
「しまっ……!!」
「風神……華之舞……」
風神の刃が鋭い風を巻き上がらせ、舞い散る花弁の様に弦真の甲冑を切り刻んだ。
「ぐうううっ!!」
その花弁は弦真の頬を掠めるとその皮を切り刻み、その傷口の端から端まで血がだらりと流れ出す。辛くも後方に退いた弦真は傷を手で覆うと後方に後ずさり、その手に付いた自分の血を見て唖然とした。
「馬鹿な……? この俺が斬られた……だと!?」
「りゅ、竜之介さんっ!!」
今まで兄が戦いの中、退き下がり狼狽える所を見た事が無い瑠璃はその姿を目の前で見せられ、円らな瞳を見開いて竜之介を見つめる。
「お、俺は変わらないっ、変わってはいかんのだああああっ!!」
弦真はこの時、混乱している頭の中で幼少の頃を思い出していた……。
「――兄上、今日は私の能力を一族皆にお披露目する日……私……自信が……」
「瑠理は父上の力を授かっている。自信を持って儀式に望めば容易い事だ」
儀式の場に集まった大勢の一族を目にして不安そうな面持ちをしている瑠璃に弦真は優しく微笑んだ。
「これより、『射抜きの儀式』を執り行う。瑠理、見事あの的を射抜き、皆に武田の繁栄をもたらすのだ!!」
「はっ……はいっ! 父上っ!!」
瑠璃が震える手で的に向け矢を引き始める。的を捕らえて矢を制止した時、一陣の風が吹き荒れ、舞った砂が瑠璃の目に入ってしまった。
「いた……っ!!」
その時、掴んでいた矢を瑠璃は手放してしまい、放たれた矢は無情にも大きく逸れて空しく地面に突き刺さった。
「――なんと!!」
「外した……っ!!」
「そんな、射抜きの能力を持つ我等が、誰一人として外した事の無い的を、あの娘は外したぞっ!!」
「恐ろしい!! これで武田は滅びるぞおおおっ!!」
「瑠理っ!! お前はなんて恐ろしい事を!!」
「武田に取り憑いた厄病神を浄化する為、掟に従いその娘に一生の枷を背負わせろ!!」
「良いか弦真、これからその悍ましい女をお前が見ろ」
射抜きの儀式に失敗した瑠璃を一生涯監視する様、父親が弦真に向けて命じた。
「父上っ!! 瑠理はたまたま不運に見舞われただけの事!! 今一度、今一度、お考え直しくださいっ!!」
「母上っ!!」
「弦真……これは武田家にとって初めて起きた異例の出来事なのです。私はこのような子を身篭ってしまった。なんと情けない事やら」
――こいつら一体何を言ってるんだ!?。
「俺は、俺は……納得がいきませんっ!! 父上っ、母上っどうかっ!! 今一度、瑠璃に汚名挽回の場をっ!!」
「弦真、貴様、いい加減にせんかっ!!」
「――!!」
「いいかっ、良く聞けっ!! わしが言う事は絶対服従だ。お前は俺の言う事に従っておれば間違い無いのだッ!! 良いなっ!?」
――すまん瑠璃、俺の力では……。
「……はい。俺は武田を欺きません。父上に従います……」
「あに……うえぇぇ……」
泪をいっぱい溜めて自分を見つめる瑠璃を見て弦真は決心する。瑠璃を傷つける奴は俺が全て叩き潰す、自分の心に鬼の面を付け、瑠璃に枷を掛ける代わりに、弦真もまた自分に辛く重い枷を掛けた。
――瑠璃……お前は俺が一生守ってやる。
鬼の面の下で弦真は泪を流す。自分に縋り付く瑠璃を救えなかった自分を、武田の掟に背けなった自分を、力が無い自分を怒り、呪った後、絶望の淵で弦真は硬く心を閉ざしたのであった。




