■奪われた光
竜之介と天竜は宗政が修行していた秘密の場所に居た。その場所を取り囲んだ茂み達は程よい風に踊らされ、波音にも似た音を奏でている。
古び朽ちて半壊している道場を背に天竜は腕を組みながら竜之介を指南する。
二人は日々の修行の場所として宗政と長信の場所を使っていた。軽い準備運動を終えた竜之介に天竜は厳しい表情を見せた。
「さて……竜之介、風神を抜いてみろ」
「はいっ、師匠」
傍から見れば一見穏やかな雰囲気を全身から漂わせ、棋将部隊にはそぐわないあどけなさを思わせる竜之介が風神の鍔を握り締めた途端、徐々に剣士の顔へと変化していく。その面構えに初めて見た剣の無情に光る刃がひとつの命を刈り取る武器だと身体を震わせ恐怖していた頃の面影は微塵も感じられなかった。
「……抜刀……風神」
無の領域に足を踏み入れ、風神を静かに抜いた。
「ふむ、やっと抜刀が様になってきたみたいだな」
「はい。もう完璧に抜刀出来る様になりました!」
自信を含んだ声で竜之介は答えた。
「愚か者。風神の抜刀が直ぐ出来る様になったからと言って過信するな。お前はまだまだ無駄が多すぎる」
眉間に皺を寄せ、天竜は呆れる様に鼻を鳴らした。
「うっ、すみません……」
落ち込む竜之介の姿を見て、天竜は内心で竜之介の成長の速さに驚いていた。まさか自分と肩を並べられる風属性の適合者が目の前の年端もいかない竜之介だとは思ってもみていなかったのだ。
「長信といい、宗政といい、こやつが二人の鍔を使いこなせたのも最初から持ち合わせていた天性……かも知れんな……」
目を細めて苦笑した後、天竜は普段の厳しい表情に戻る。
「どうした?さっさと木刀に持ち替えて何時もの課題を始めんか、素振り1000、前後方への高速移動1000、2段、3段打ち合わせて1000。ほら、早くしろ」
「は、はいっ!」
左手で木刀を握り締め、前足を浮かすと同時に大きく振りかぶって前に打ち込んだ時、竜之介は木刀の遠心力に引っ張られる様に前にぐらついてしまった。
「馬鹿者ッ!! 何度言ったら分かるんだ? 重心を前足に掛けるな、それでは安定しないぞ? 左踵を少し浮かせて重心は中心より心持ち前に置け」
「はいっ!!」
「いいか、剣は左腕が全てだ。右腕は剣筋を決める梃子と思い、体の中心から外すな。軽く添えるだけで打ち切った時に力を入れろ、それが斬撃の時に威力を増す」
「分かりましたっ!!」
構えを修正しながら黙々と課題をこなす。激しく動く竜之介の残像の後に光る汗だけが取り残されて美しく飛び散った。
全ての課題を終えた時、後方の茂みから人の気配を竜之介は感じた。
「はぁっ、はあっ! そこに居るのは誰だっ? 今すぐ出てこいっ!!」
汗だくの状態で竜之介は気配のする方向へ向いて叫び木刀を構えたが、茂みから出てくる気配は一向に無かった。
「……敵っ?」
徐々にその差を縮めて行き、竜之介は一気にそこに踏み込むが、既に気配は別の場所に移動していた。
「速い……!」
その俊敏な動きに竜之介は驚いた。すぐにその気配を追うも暫く鼬ごっこが続く形となった。
「はあっ、はあっ、くそっ、体力が無い状態でこれは流石にきついぞ」
息を荒げながら竜之介はその後も気配を追い続け、その成果があったのか相手の動きが徐々に鈍くなり始めた。
「はあっ、はあっ、はあっ、次で……決めるっ!!」
遂に竜之介はその気配を追い詰める事に成功した。
「りゃあああっ!!」
叫ぶと同時に一気に距離を詰め、木刀を振りかぶり打ち込もうとした時、竜之介の目の前に瑠璃の驚いた顔が飛び込んで来た。
「うおおっ!?」
「きゃああっ!!」
強引に木刀の軌道を変え、なんとか瑠璃への一撃を竜之介は回避するものの、その勢いだけはどうにもならない、そのまま瑠璃に向かって突っ込んでいき、勢い余って押し倒す形となった。
「ううん……」
マウントポジション。それはどの戦いに於いても絶対有利な条件。しかし、今の竜之介には適用外であった。木刀を思わず手放した竜之介の両手は瑠璃の程よい胸を丁寧に塞ぎ、圧迫された胸は狭苦しそうに手の平から溢れ出ていた。
更に瑠璃の衣服は乱れ、竜之介の両手でこじ開けられた胸元の隙間からは柔らかな胸の軌跡が垣間見える。その姿勢を保ったまま、二人は息を弾ませながら見詰め合っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、瑠理さん、はぁ、はぁ、なんで、はぁ、はぁ、こんなとろに、はぁ、はぁ、はぁ」
「はぁ、はぁ、はぁ、竜之介さん、はぁ、はぁ、こっ、こんにちわです。はぁ、はぁ、実は、はぁ、はぁ、朝方に竜之介さんが十洞山に入る姿をお見かけしまして、はぁ、はぁ、はぁっ」
「それで、はぁ、はぁ、俺に付いて来たと? はぁ、はぁ、はぁ」
「はい、その通りなんですが、はぁ、はぁ、はぁっ、竜之介さん、その前に、はぁ、はぁ、その、手を、手を退けてもらえませんかっ!! はぁ、はぁ、はぁぅう」
顔を真っ赤にして、両腕を上に上げたまま倒れている瑠璃が必死に訴えた。
「ああっ! ごっ、ゴメンっ!!」
飛び退く様に瑠璃から離れた竜之介は申し訳ない顔をして声を掛ける。
「瑠理さん、だっ、大丈夫ですかっ!?」
胸を必死に手で隠した瑠璃の顔と耳は熟した林檎の様に真っ赤になってしまっている。そのままの状態で二人の間に何とも言えない気まずい空気が漂った。
その空気を手で払いのける様に竜之介が先に口を開く。
「俺が声を掛けた時すぐに出て来てくれないから思わず敵かと思ってしまって……本当すみません」
謝る竜之介を見て瑠璃は慌てて体を起こして乱れた服を正し、木屑を払いながら立ち上がった。
「そっ、そんな! 悪いのは私の方です。よ、呼ばれた時に動揺してしまい、思わず逃げてしまって……そ、それにしても竜之介さんは凄いです。最後には私、あの速さに、は、反応出来ませんでした」
苦笑する瑠璃の顔を見て竜之介は、瑠璃の移動の速さに流石銀組の隊長だけあって俊敏だと感心した。
茂みに消えた竜之介がやっと出て来た様子を見た天竜は竜之介の横に居る女に気付き顔をしかめる。
「なんだ? また女絡みか? 本当にどうしようもない奴だな、竜之介の背後に女難の相あり。巻き込まれては堪らん。俺は先に逃げるぜ?」
二足歩行で天竜は小走りに茂みの中に消えていった。
「ここには初めて足を踏み入れましたが、まさかこの様な場所があるなんて知りませんでした」
興味を示しながら瑠璃は辺りをしげしげと眺め始めた。
「ここで俺は宗政さんに火虎の使い方を学んだんだ」
既に役目を終えた道場を指差しながら、竜之介は懐かしむように見つめた。
「ええっ! そ、そうなんですか?」
「うん。今はもう使えないけど、あの時はちゃんとした立派な道場だったんだよ」
「成る程……だから竜之介さんが宗政殿に見えてしまうのですね」
しみじみとした表情を見せた後、瑠璃は大きな溜息を吐いた。
「竜之介さん……す、すみません。宗政殿と重ねて見る様な嫌な思いをさせてしまって」
急に真面目な顔をする。
「い、いや、逆に宗政さんみたいな人が俺と同一人物だと思われてるのが不思議な位ですよ」
竜之介は苦笑した。
「私は竜之介さんと小早川との試合で竜之介さんが宗政殿の鍔を使って火虎の技を見せた時、ああ、この人は宗政殿なんだ……って思ってしまいました」
「それだけじゃないですよ? 竜之介さんは普段のほほんとされているのに、き、急に凛々しくなられたり、私にはそれがもの凄く、し、新鮮に見えたのです」
「それからというもの、ついつい竜之介さんに目が行ってしまって……き、気が付けば後姿を追う事も、し、しばしば」
顔を赤らめながら瑠璃はそのまま俯いて本音を漏らす。
「竜之介さんが近くに居ると、な、なんだかとても暖かいんです。私を『自由に』してくれそうな、そ、そんな気がして」
この時竜之介は瑠璃に重い枷が掛けられている事など知る由も無かった。
「でも、竜之介さんは迷惑ですよね……私みたいな女に、つ、付き纏われて……」
「いっ、嫌、そんな事はないですよ!」
上目遣いで見ている瑠璃に竜之介は思いきり首を横に振った。
「瑠理さんはとても魅力的だし、運動能力も凄いし、なんだか眠たそうな瞳も素敵だし……えーと……うーんと……そ、そうだっ、胸も大きかったし!」
慌てて口に出してしまった言葉に竜之介は後悔した。その様子を見て瑠璃は恥らいながらにこりと微笑んだが、一瞬にして蝋燭の火を吹き消す様に暗くなった。
「でも、私は根暗だし、ひ、引き篭もりだし、他の皆に比べれば自分なんかまだまだだしし、ほ、蛍とか猫みたいでちっちゃくて可愛いし、小梅は着痩せする体質で実は胸が大きかったり、ね、音々さんとか髪が金髪でお人形さんみたいだし……ひ、姫野さんは……ぶつぶつぶつ……」
念仏のように自分を否定する言葉を瑠璃は次々と呟き始めた。
――なっ、なんだ? この精神の不安定の激しさは?瑠理さんってこんな娘だったのかっ!?。
何処と無く瑠璃の性格の一部が竜之介には見えた気がした。
「とっ、とにかく、瑠理さんは瑠理さんで本当に可愛いですから自信を持ってください!」
必死で竜之介はフォローする。それを聞いた瑠理は微笑むが立ち所にその灯火は消える。
「……いいえ、いいんですよ、竜之介さん。こ、こんな怪しい娘の前でとりあえず差し当たりいないフォローとかしとこうかなんて思わなくても……わ、私はちゃんと自覚してますし……ぶつぶつぶつ……」
「うわっ! また暗くなった! これでは切りがないぞ」
瑠璃との会話を必死に遡り、何か興味を引くものは無いかと竜之介は頭の中にある言葉を仕舞い込んだ箪笥の引き出しを開けては閉め開けては閉めを繰り返し、ようやくひとつの言葉を探し出した。
「あ、そうだ思い出した! 瑠璃さん先程自由がどうのこうの言ってませんでした?」
確かに竜之介の言葉に瑠璃は反応した。同時にその言葉を瑠璃自身が出していた事に驚いた表情を見せ、それはやがて何かに怯える表情に変わっていった。
「瑠璃さん……?」
いきなり挙動不審に陥った瑠璃を見て竜之介は動揺した。
「ごめんなさい。私は、じ、自由にしてはいけない娘なのです。周りに迷惑を掛けず、その存在さえも、め、目立たせてはいけないのです……」
「え? それは一体どう言う事なんですか?」
言葉の真意を聞こうとして瑠璃の肩に竜之介が触れようとした時、蛇が蛙を睨むような鋭い殺気が突き刺さった。
「――!?」
殺気のする方向に目をやると、すぐそこに一人の男が怪訝そうな顔をして竜之介を睨んでいた。
「瑠理……お前、こんなところで一体何をやっているのだ?」
男は瑠璃を呼び捨てにして怒りを露にした。竜之介はその男が入隊式の時、秀光の傍にいた人物である事を思い出した。
「あっ、兄上……どうして、こ、ここに!?」
瑠理がその男を兄と呼んだ時、竜之介の顔が引きつった。
「え?この人って……瑠璃さんのお兄さんだったんですか!?」
驚いた表情をして瑠璃を見ると、瑠璃は小刻みに体を震わせ、明らかに冷静さを失っていた。
男が瑠理をギロリと睨むと瑠璃の視線は虚ろになり、今にも泣き出しそうな悲しい顔を見せる。
「貴様は確か……風間竜之介とか言ったな……貴様はそこにいる女が棋将特殊武駒、近衛兵が一人、武田弦真の妹と知っての事か……?」
鍔を懐から取り出した弦真は竜之介の目の前に突きつけた。
「瑠璃に要らぬ希望を抱かせた罪は万死に値する……。今から俺が貴様を切り捨て、土に返してやるから覚悟するがいい……」
その姿勢を保ちながらゆっくりと後方に下がると弦真は竜之介を冷酷な顔で見下した。
「抜刀……夜刀!!」
背筋が凍りつく程殺意を込めて弦真が呟くと、鍔から悍ましい長剣が姿を現す。竜之介はその場で崩れ落ちて震え続ける瑠璃と目の前で抜かれた長剣を見て、事態を飲み込めないまま、ただ呆然とするのであった。




