■真田道場VS村上道場
「では、うちは外で素振りをするのからこの変で、また後で会うさね」
小梅は京子に自信に満ち溢れた表情を見せながら、横をすり抜けようとした。
「お待ちなさい、私もまだ肩が温まっていませんの。ご一緒しますわ」
「分かったさね、一緒に行くさね」
二人は、道場の外にある庭で槍の素振りを始めた。
京子は小梅の年々鋭さを増す槍捌きを横目に静かに口を開く。
「小梅、貴方はまだ棋将武隊などと言うくだらない集団の中にいるつもりなんですの?」
互いの槍が風を切る音を奏でながら、京子の問いに小梅が答える。
「あそこには、学ぶべき事が沢山あるさね。京子も入れば直ぐに嫌という程分かるさね」
「私が棋将武隊へ? ふふふ、何を戯言を。小梅も知っての通り我が村上一族は先祖代々から棋将武隊の設立に反対していて、これまで一切関わっていないですの」
「そもそも、真田一族も同じ見解だった筈なのに、どうして寝返ってしまったんですの?」
京子は納得のいかない表情を浮かべた。
「さあ?なんでも昔、ある剣豪と真剣真剣をして、ご先祖様が敗北した後に説き伏せられたとかなんとか、聞いた事があるさね」
それを聞いた京子は念を押す様に問う。
「棋将武隊が全ての力では無いですの。小梅、棋将武隊を抜けて私達の仲間になる気はありませんの?」
小梅は京子の言葉に何かを思い出した様に言う。
「そういえばそちらは何か裏で動いているみたいさね? でも、うちは今の棋将武隊から抜ける気は更々ないさね、なんと言っても今あそこには面白い男がいるからさねえ、あははは」
竜之介を頭に思い浮かべ、思わずにやけ顏を見せた。
「面白い男……ですって?」
京子は小梅の顔を見た途端、自分達への裏切りと年々屈辱を味わされているにも関わらず、目の前でだらしない表情を見せている小梅に強い憤りを覚えた。
「そう……、残念ですの」
京子の振り切った槍が鈴の音と共に突然軌道を変え、小梅の左足首を狙った。
竜之介が着替えを終えた時、庭の方から無数の雀が、驚いた様に飛び立って行った。
暫くして小梅が竜之介の所に現れた。
「あ、小梅さん!!」
その時竜之介は、小梅を見て少し様子がおかしい事に気付く。顔が苦痛に歪み、左足を庇っているからだった。
「小梅さん……その左足どうかしたのですか? ちょっと見せてください」
小梅さんの近くまで走り寄る。
「いや、ちょっと、しくじったさね……失敗失敗、あはははは!!」
気遣う様に振舞うが、小梅の左足首を見て竜之介は思わず声を上げた。
「失敗って……、足首が赤紫色に腫れあがってるじゃないですか!!」
「だっ、大丈夫さね、試合ではなんの問題もないさね!!」
気丈に振舞い、大丈夫だと言って飛び跳ねてみせたが、直ぐに苦痛の声を漏らし、顔を歪める。
「やっぱり駄目でじゃないですか!! 小梅さん、試合は棄権したが……」
言いかけた瞬間、小梅が慌てて両手の平をみせながら、ぶんぶん横に振った。
「だっ、駄目さねっ!! これはうちの真田と村上との年1回に行なわれる大事な試合さね。その大将でもあるうちが引く訳にはいかないさね……」
小梅は京子に左足首を怪我させられた事よりも、自分が油断していた事の方が何よりも許せないのであった。
「小梅さん……」
二人の間に暫く沈黙が続いた時、向こうから杉下が走り寄って来た。
「小梅さん、そろそろ試合が始まります。道場へ急ぎましょう!!」
「ああ……分かった、さぁ、行こうさね!!」
小梅は何事も無かった様に取り繕って道場に向かう。竜之介はその後を黙って付いていくしか出来なかった。
途中、杉下が踵を返したかと思うと、「お前の出番はない」という表情をしながら、竜之介を睨み付けた。
道場内では門下生がぐるりと囲み、お互いの主役達を待っていた。小梅達が一歩道場に足を踏み入れた時、”真”の旗が大きく振られ歓声が上がる。
「おおおおお!! 来たぞ、来たぞ!! 小梅さんだぁあ!!」
「今年も真田道場の連勝だあっ!!」
直ぐ様、村上側の門下生達から反撃の声が上がる。
「けっ、何を言ってやがる!! 真田の連勝も今日まで!! 今日こそは我が村上道場が引導を渡す時!!」
「そうよ!! 京子様が一番強いのよ!!」
「そういう事は、小梅様を打ち負かしてから言ってくださいな!!」
あちこちで、言い争いが始まっている。
竜之介は小梅の怪我を気にしていた。いくらなんでもあの小梅が不注意で怪我をするなんて事はない筈だ。きっと何かあったのだと心中は複雑であった。
「竜之介」
小梅が竜之介の肩を叩き、優しく話掛ける。
「うちは竜之介を信じてるさね、必ず勝利すると」
「なっ!!」
その様を見ていた杉下の表情が強張り、手に持つ槍を小刻みに震わせた。
そして、当主同士の挨拶が始まった。
「村上殿、お互い我が可愛い弟子達の成果を見届けようではありませんか!!」
「おお、真田殿、今年も胸を借りますぞ!!」
お互い綺麗事を言っているようだが、見えない火花が激しい音を立てて飛び交っているのが火を見るよりも明らかだった。
「さぁ、我と思わんものは名乗りを上げるが良いッ!!」
突然村幸が観衆の方へ向いて大声で叫んだ。
「腕に覚えのある者、年月は関係ない、新人でも構わんぞ?とにかく最後の相手を降参させれば勝ちだ。飛び込みは大歓迎!! はっはっはっ!!!」
村幸の呼び掛けに名乗り出た面々がそれぞれ横一列に並び対峙した。
「まずは、最初の者、出られよッ!!」
呼ばれて、真田側からは旗野、村上側からは山下が対峙する。
「知っての通りこの相面試合は防具無し、槍頭をこの木製の丸玉に取り替えた物を使用する」
「試合は何方かが降参する迄は止まる事は無い、心されよ」
村幸の説明の後、試合開始の声が高々と上がった。
「真田道場、旗野一郎いざッ!!」
「村上道場、山下新之条参るッ!!」
開始と同時に歓声が上がり、一瞬にして静まり返った。
互いに槍先で隙を探り合う。旗野がじりじりと間合いを詰めていく。
「くそッ!!」
山下が痺れを切らして、突きに出た。
「りゃあああッ!!」
旗野は気合を発しながら、その突きを柄で交わし、山下の鳩尾に向けて槍を突き入れた。
「がはあッ!!」
山下が鳩尾に手をやりながらよろよろと引き下がった。
旗野はすかさず、山下の槍を両手で勢い良く払い除けた。山下が堪らず手放した槍が宙を舞って無情に床へ落ちた。
旗野は槍頭をぴたりと山下の喉元に付ける。
「ま、参った……ッ!!」
山下が敗北を認めた瞬間、観衆から一斉に歓声が上がった。
「まずは一勝おおおッ!!」
「村上如き取るに足りぬわあ!!」
真田側の旗が勝ち誇るように振られた。
「す、すみませんッ!! 柴田さん!!」
山下が顔を強張らせながら柴田に謝罪した。
「なあに……山下、気に病むこたあねえぜ?」
柴田は山下の肩を掴むと、口元を歪めほくそ笑んだ。
「ぐあああッ!!」
突然山下が苦悶の表情を浮かべ、肩を抑えながら崩れ落ちた。
「けっ、村上の面汚めがッ……!!」
柴田は軽蔑する様な冷たい目で山下を見下す。
「次いッ、村上側、出られよ!!」
柴田が槍を左手で握り、肩に担ぎながらゆらりと現れた。
「村上道場……柴田剛、何処からでも来いよ?」
「真田道場、旗野一郎いざッ!!」
試合の合図が掛かっても、柴田は一向に構えようとはしない。
「貴様、槍を構えよッ!!」
旗野が苛立ちながら叫んだ。
「あ? さっきから言ってるだろ? お前から来いよ?」
柴田は槍頭を旗野に向けて挑発する。
「片手だけで私とやり合うだと? 貴様、愚弄するのも大概にしろおッ!!」
旗野が素早い動作で間合いに入り、突きを入れた。
刹那、柴田は片手で旗野の槍をいとも簡単に弾き、不敵な笑みを浮かべた。
「へっ、軽いねぇ……」
自分の渾身の一撃を片手で交わされた旗野が信じらないといった表情をする。
「こっ、こんな事がッ!?」
柴田が槍頭を旗野に向け、ボソリと呟く。
「じゃあ、今度はこっちの番な……」
言った瞬間、片手で鋭い突きが旗野に襲い掛かり、堪らず後退させられた。
更に柴田の槍捌きに観衆からどよめきが起きた。柴田は槍を手放すと、自分の腕の上で巻き込む様に右へ左へ回転させ、怒濤に突きを入れてきたのだ。
「くうッ!! 槍筋が読み切れないいッ!!」
旗野は柴田の槍頭に釣られ、槍を下げ隙を見せてしまった。
「しまっ……!!」
言い終わらない内に旗野は、後方に吹き飛んだ。
「ぐううッ!!」
旗野は意識朦朧の中、霞む目で槍を構え体勢を立て直そうと前を見たがその時既に柴田の槍頭が目前に迫っていた。
「――!!」
柴田はその一撃を躊躇無く突き通した。旗野は顔面から鮮血を飛び散らせながら、観衆の中に突っ込んでいった。
観衆は悲鳴を上げ、波が割れる様にそこから一斉に離れる。柴田は容赦なくそこに踏み込んで行った。
「待つさねッ!! 旗野は降参するさねッ!!」
道場内に立ち上がって叫んだ小梅の声が大きく響いた。
柴田は槍を打ち込む寸前で手を止め、息を荒げながら鬼の形相で小梅の方を見た。
「……あ? こいつはまだ『参った』って言ってないだろ? ふざけるなよ?」
柴田の言葉に小梅が一喝する。
「よく見るさね、もう旗野は口がきける状態じゃないさね」
言った瞬間、小梅が顔を苦痛で歪めた。杉下はその異変にようやく気付く。
――小梅さん、あっ、足がッ!?。
「……ちっ!!」
柴田は気を失っている旗野を見下ろしながら踵を返した。
途端に村上側から歓声が、上がった。
「見たかあッ真田あッ!! 柴田さん得意の一手槍おおおっ!!」
「これで真田の名もここまでだあッ!!」
柴田に圧倒的な強さを見せられた真田側はしんと静まり返ってしまった。
「なんだなんだ、お前らッ!! 勝負はこれからだぜ!!」
杉下が自分を指して叫んだ。
「そ、そうだッ!! 俺達にはまだ、杉下さんも、小梅さんもいるんだッ!!」
「まだ一勝一敗だ、これからだ、頼むぜ杉下さんッ!!」
「次いッ、真田側、出られませい!!」
歓声に包まれながら、杉下が前に出た。
「来いよ咬ませ犬、遊んでやるぜ?」
柴田が杉下を見下しながら言った。
「だっ、誰が、咬ませ犬だッ、俺を舐めるなあッ!!」
杉下は怒りを露わにして、槍を構えた。
「真田道場、杉下誠だ、いくぜえええッ!!」
――俺がここで全勝する!! 竜之介とやら、悪いがお前の出番は回ってこないぜ? 大人しくそこで見ているがいいッ!!。
杉下は溜めていた不満を吐き出すかの様に速攻で連続攻撃を仕掛ける。
「おらっ!! おらっ!! おらあっ!!!」
――小梅さんを試合に出させる訳にはいかない!! 俺がここで踏ん張るんだ……っ!!。
杉下の槍の勢いは一向に止まらない。これには思わず柴田も応戦しざる得なくなった。
「ちっ……雑魚が」
槍と槍が激しくぶつかる音が道場に響く。
竜之介は杉下の攻撃を見て、自分に文句を言っただけの事はあるな、と納得していた。
「うりゃああああ!!」
杉下の槍が鋭く柴田の胸元を突く。紙一重でそれを受け、激しく睨み合う。
「杉下、お前みたいな熱血野郎が俺は一番嫌いなんだよ……」
「アアッ?? 柴田ッ!! 俺をみくびるなよ!! テメェはここで終わらせるッ!!」
「あー……そうそう熱血君……・?」
「てめぇ、試合中だぞ、先刻からべらべらと煩せえぞっ!!」
「お前――真田の娘が好きみたいだねぇ……?」
「なあっ!! てめ……っ!!」
急に杉下の顔が真っ赤に燃え上がり、動揺が槍頭に現れた。
「馬鹿が……!!」
柴田はすかさずその隙を突いてきた。先程と同じ様に槍を自由自在に操り、杉下を攻め立てる。
「くそ!!」
柴田に一方的に攻め込まれ、反撃も出来ないまま、とうとう杉下の槍が押さえ込まれてしまった。
「くそっ、てめぇ、汚な……!!」
言い終わらない内に柴田に一突きされ、場外に吹っ飛ぶ。槍が無常にも手元から離れ、ガラガラと足元に転がり落ちた。
「あばよ……熱血咬ませ犬」
容赦なく槍先が杉下の頭上に振り下ろされた。
刹那、道場に槍と槍がぶつかり合う音が木霊した。
「次は…………私とやるさね……・」
柴田の槍は間一髪で小梅の槍が受け止めていた。
「ああ? まだ俺は試合をしてるんだぜ?」
柴田が怪訝そうに言った。
「小梅さん……!! すみません!! おっ、俺ッ!!」
不甲斐ない自分を責めながら、小梅見上げる杉下に小梅は労いの言葉を掛ける。
「杉下、良く戦ったさね。あとは私に任せるさね……」
そう言って、優しく微笑んだ。
「なんだぁ?……さっきから俺の邪魔ばっかりしやがって……」
柴田が交差した槍を振りほどこうとするが、押さえ込まれた槍がピクリとも動かない。
「……ちぃッ!!」
小梅がそのままの姿勢で杉下に言う。
「杉下、早く降参しないと柴田は攻撃を止めないさねッ!!」
杉下は悔しさを全面に晒け出して叫ぶ。
「あああッ!! くっそおお!! 降参だッ降参ッ!!」
杉下の降参の声と共に小梅が叫んだ。
「真田道場、真田小梅、いざっ!!」
柴田の槍は小梅に押さえ込まれたまま、中央に戻された。
真田側から、小梅に向けて一斉に応援の声が浴びせられた。
「見ろよ!! 真田はとうとう大将がお出ましだぜッ!!」
「この勝負、村上側の勝ちだあああッ!!」
村上側は初勝利を確信して、騒ぎ始めた。
「てめえ、いい加減俺の槍を放しやがれッ!!」
柴田の槍から小梅の槍がふっと離れたと同時に試合開始が告げられた瞬間、小梅の槍が美しい弧を描きながら目にも止まらない速さで柴田の咽元を目掛け、一気に襲った。
本来であればこの一突きで勝負が決したであろう。だが、その一撃は柴田の咽元に一歩及ばなかった。
「危ねえ……っ!!」
柴田が予想だにしなかった小梅の突きの速さに冷や汗を掻いた瞬間、小梅の顔が苦痛で歪んだ。
「……どうやら足の怪我が災いになっているみたいだな。……。惜しかったねぇ。あともう一歩踏み込めれば、あんたの勝ちだったものを……残念だな」
「じゃあ、今度は俺の番だ」
柴田が距離を取り片手で構え直す。そして一呼吸置いた後、一気に攻め込んできた。
「おらあッ!!」
柴田は小梅の左足首を狙って容赦なく槍を打ち込んだ。防戦一方になった小梅を見て、門下生達もその動きの鈍さに気付き始める。
「お……おぃ、小梅さん何か変じゃないか?」
「そう言えば……いつもの素早い動きが無い」
「これ、マズイんじゃないか?って、見ろよ!! 小梅さんの左足ッ!!」
「うわ!! 何だ? もの凄く腫れ上がってるじゃないかッ!!」
周りがざわつき始める。その中、柴田の攻撃は容赦なく続いた。
「そらあッ!!」
それを辛うじて小梅は槍で受け止める。
「流石、真田の大将、なかなかしぶといねぇ……でもよぉ、」
言うと、柴田は槍を両手で握った。
「もうそこから一歩も動けないあんたを崩すなんて造作も無い事なんだよおッ!!」
柴田が力で打ち込んだ一撃が、負傷している左足首に食い込んだ。
「ぎっ……!!」
小梅の口元から苦痛の声が漏れる。
「おおぅ……いい声で鳴くぢゃねえの。もっとその声を聞かせろよ……大将さんよぉ?」
小梅は激痛を堪え、槍を構えて苦しそうに息を整えようとする。
「ふうっ、ふうっ、ふうっ……!!」
柴田はまがまがしい笑みを浮かべながら槍を一気に振り下ろした。
「これで、てめえも終わりだあッ!!」
空気が一瞬動いた時、柴田の笑みが一変した。
「ご、ええええっ!!」
その光景を見て一同が愕然とした。柴田の槍は小梅の負傷した左足首を捉え、小梅の槍は柴田の咽仏を潰していた。
柴田は床下で咽元を押さえながら崩れ落ちた。小梅は負傷した左足をガクガク震わせながら、立ち続ける。
「……じ、自分の、あ、足を……捨てる……どはッ!!」
「き……棋将武隊の真田小梅を見くびってもらっちゃ……困るさね……ッ!!」
苦痛の表情を浮かべながらも、にかりと微笑んだ。
その瞬間、真田側から小梅に向けて、一斉に歓声が湧いた。
「上出来です。柴田、お前は下がりなさい」
鈴の音と共に京子が冷ややかな声で言った。
「小梅、貴方その状態では槍を満足に振るう事さえも叶わないでしょう?もう、諦められては如何ですの?」
京子の言葉に小梅は油汗を流しながら、笑顔で言う。
「だ、だれが降参なんかするものかさね。さぁ京子、うちと勝負さね!!」
「……そう、どうしても貴方は私と戦うと言うのですね?分かりましたわ、ここをあなたの墓場にしてあげますの」
「さてね……墓場になるかどうかは、やってみないと、分からないさね……」
京子は小梅の心が折れない様を見て、つい本音を悪意に満ちた顔で言い放つ。
「馬鹿な女、私に足を封じられるなんてねえ!! ざまあないですのッ!!」
その言葉を竜之介は聞き逃さなかった。
――小梅さんの足の怪我は、あいつがやったのかっ!!。
竜之介は物凄い憤りを感じた。
小梅は気丈に振舞っているが、門下生の誰もが分かっていた。試合開始と同時に真田側からは小梅の姿を見て涙する門下生も出始めた。
「村上道場……大将、村上京子、いざ参りますのッ!!」
もう、小梅が槍を動かす事も一歩もそこから動けない事を誰もが認めざるしかなかったのだ。
「さぁ小梅、反撃して見せてごらんなさいッ!!」
「ぜえっ、ぜえっ、ぜえっ……!!」
その試合は、一方的だった。
小梅は、どんなに打ち込まれても、握った槍は絶対に離さなかった。京子の鋭い一突きは胴着をも無残に削り取っていった。
「小梅、あなたに勝ち目は1パーセントたりともありません!! さっさと降参しなさい!!」
道場に京子の一方的な打撃の音が空しく響く。
小梅は片膝を突きながらかろうじて立っていた。
綺麗な顔は打撃で鼻と口から血が滲んでいた。その血がぽたぽたと床に落ちていく。
――あああ……もうっ、格好悪いさね……。
小梅は薄れ行く意識の中、霞んだ瞳で竜之介を見ていた。
――竜之介……うち……本当はもっと格好いい所を見せたかったのに……悔しいさね。
「このっ!! このっ!! 本当にしつこい!!早く降参しなさいってばッ!!」
「竜之介……ごめん……さね……」
「このおおおっ!!」
「ま…………」
小梅の「ま」が聞こえるか聞こえないか……その瞬間、京子の最後の打撃は竜之介の背中を打ち付けていた。
「――な?!」
「小梅さん……俺、しっかりと見せて貰いましたよ? 貴方の勇姿を」
京子は試合に割って入った見知らぬ竜之介を見て怪訝そうに言う。
「貴方は誰ですの? 見た事が無い人ですわね? 小梅はたった今降参しましたわ。試合は村上道場の勝利で終わりですの」
京子が踵を返そうとした瞬間、竜之介が引き止めた。
「まだ、負けていません……俺がいます……」
「はっ? 部外者が何を??さっさと引っ込みなさい!!」
京子がそう言った時、竜之介が真田の道着を着ている事に気付いた。
「あら、貴方は真田の門下生でしたの? つい、取り乱してしまって気付きませんでしたの」
直ぐにけたけたと京子は笑い出した。
「で、初心者の貴方が、私に挑むですって? 冗談はおよしになって」
竜之介を見下した時、竜之介は京子に背中を見せ救護班に話し掛けていた。
「ちょ、ちょっと私を無視しないでッ!!」
竜之介の耳に京子の声は届かない。
「小梅さんの……手当てをお願いします……」
静かに小梅を床へ下ろし、自分の槍をずっと手放そうとしない小梅の手に自分の手を重ね、優しく囁く。
「小梅さん……後は俺に任せて下さい」
その瞬間、小梅が安心した顔をしてすっと槍を手放した。
竜之介はその槍をぐっと握り締め、京子の方へ向き直った。
「……・」
「真田道場……風間竜之介……参る」
竜之介の挑戦を認めた審判が試合開始の合図を告げた。
「馬鹿馬鹿しいッ!! お前なんか、この一撃で終わりですのッ!!」
鈴の音が一鳴りした瞬間、鋭い一撃が竜之介の胸元を捉えた。
京子は確実に仕留めたと確信したが、槍頭からの手応が全く感じられなかった。
「え……?」
京子は自分の目を疑った。自分の攻撃が当たらないばかりか、竜之介に自分の槍を押さえ込まれていたからだ。
信じられないという顔で竜之介を見る。竜之介は京子の渾身の一突きを紙一重で横に移動して交し、返す槍で京子の上を取っていたのだった。
「村上……京子……」
竜之介が怒りを越えた口調でぼそりと言った。京子は反撃しようと竜之介から離れようとするが、槍がピクリとも動かない。
「くっ!! なんで??」
「小梅さんは……今日の試合を本当に楽しみにしていたんだ」
「このっ!! このっ!! 離しなさいっ!!」
強引に振りほどき、構え直す。
「きええええっ!!」
京子は槍を鋭く回転させながら、連続攻撃を仕掛けたが、竜之介に一突きたりとも有効打を与える事は出来なかった。
京子の攻撃を竜之介が簡単に交わす度に鈴が無様に鳴った。
「小梅さんは……真っ直ぐな女の子で……。貴方に正々堂々勝負を挑もうとしていた」
京子の攻撃が尽く槍で交わされる。
「なっ、何なのです!!お前はっ!?」
「勝利とは、日々鍛錬の積み重ねによって初めて得られる物なんだ」
「えええいっ!! 煩いッ!! 黙りなさいッ!!」
竜之介は無表情のまま京子の槍頭を右に左に交わす。
「何故? どうして、私の攻撃が一撃も当たらないのですの!?」
京子は目の前にいる只者でない相手に、小梅が言った言葉を思い出した。
――うちの道場には、誰も知らない秘蔵っ子がいるさねッ!!。
「――まさか!!」
「そっ、それはお前の事だったのですねッ、風間竜之介!!」
竜之介は見えない速さで手首を回し、京子の突きを全て受け流しながら追い詰めていく。
「そんな努力をしている人達を卑劣なやり方で真剣勝負を汚した貴方を僕は許す訳にはいかない……」
「だっ、黙れえええッ!!」
京子が激しく槍を上下に揺らすと、丸玉が半分に割れ鋭い刃先が現れた。
京子はそのままの勢いで竜之介の顔面を狙って槍を突き入れた。
京子と竜之介の間で静寂が走り、道場が水を打ったように静まり返った後、床に京子の槍が転がる音だけが響いた。
周りの者は皆、何が起きたか理解出来ず、京子は何も握っていない両手を狐に包まれたような顔をして呆然と見つめていた。
そしてゆっくりと京子が顔を上げると、竜之介の槍頭がピタリと自分の顔面に当てられていた。
竜之介の頬は京子の槍で皮一枚切られ、血が流れ出ている。
「村上京子……貴方の強さは……本当の強さじゃない……」
京子は竜之介に核心を突かれ、どこにもぶつけられない憤りを顔に出して竜之介を、睨み付けた。
「く……っ!!」
その時、竜之介が突然槍頭を下げ、にっこりと微笑んで京子に言う。
「だから今度は、正々堂々と小梅さんと勝負してあげてください」
――はううっ!!。
京子は竜之介の屈託のない笑顔に心が大きく揺らぎ、その瞳を直視する事が出来ず、顔を真っ赤にしながら下に俯いて言う。
「はい……。ま、まい、参りました……。私の負け……ですの」
ぽそっと呟いた。
「この勝負、真田側の勝利とするッ!!」
「うおおおおお!!」
道場が一斉に歓声で包まれた時、そこに割り込んで威勢のいい声が道場に響いてきた。
「どうさねっ、京子ッ!!うちの未来の旦那様わあッ!!」
小梅がびしっと腰に手を当て、京子に向けて指を指す。
「ええええええ?!」
真田側の門下生が一斉にどよめく。
「なあああああ!?」
杉下の目が丸くなった後、銅像のように固まってしまった。
「くうううっ!! お父様っ!!」
京子は父親の方を向いて言い放つ。
「私っ、竜之介がが欲しいいい!!」
竜之介を駄々をこねるような仕草をして竜之介を指差した。
「えっ……? お、俺っ!?」
竜之介がキョトンとして自分を指差す。
「なんだとおおおおおおお?!」
今度は村上側の門下生がどよめく。
「きっ、京子、お前、なっ、何をどさくさに紛れてほざいてるさねッ!!」
続けて京子は小梅を指差しながら宣言する。
「ふ、ふんっ!! ならば小梅、次回こそ正々堂々、『竜之介を賭けて』勝負するですの!!」
「よかろう!! 望むところさねっ!!」
「はっ、はっ、はっ!! 村上殿、これは次回、大変楽しみですな!!」
「うむっ!! 真田殿、次回、竜之介殿は京子が婿にもらいますぞお!!」
「なんのなんの村上殿、竜之介殿は小梅が貰い受けますぞおおおッ!!」
「いやいやッ!!」
お互いが顔を見合わせ、
「うわあっ、はっ!! はっ!! はぁあっ!!」
と、高笑いをする。
「やれやれ、つくづくお前には女難の相が現れているな……」
天竜が何処からとも無く舞い戻って来て、竜之介に向かって呆れ顔で言った。
「ははは……それは、師匠譲りだからでしょ……」
竜之介はその場に座り込みその不思議な様を見ながら、ぽそりと呟くのであった。




