■斎藤姫野編(漆)
――少し冷気を伴った自然の空気が姫野の体に送り込まれて来る。瞼を開けた姫野はそれが朝を迎えている事を理解した。不安が拭えないのだろうか、姫野は直ぐに宗政の姿を確認する。が、其処――姫野の寝床とは別に宗政が寝ていた畳の上にその姿は無かった。
「道場か……」
姫野は宗政が日々朝練をしている事を知っていた。次第に姫野の顔は不満な表情を見せ始める。
「宗政の奴……昨晩『何なりと命令を』と言うから、一緒の布団で寝る命令をしたら……見事に断りおった」
「……もしかして……宗政は私の事が……嫌いなのか?」
溜息を交えながら姫野は、道場へと足を向ける。道場が近づくにつれ、窓から差し込んでくる太陽が僅かな温もりを床に与え始めていた。入口に差し掛かった姫野は、道場の中央で木刀を静かに構える宗政を見た瞬間、動きを止めてしまった。
背中から日差しを浴びた宗政の立ち姿は、床に反射した光達が美しく輝かせていた。本来であれば普通に道場へ入った姫野が朝の挨拶をし、稽古に付き合うといった感じだったのだろう。だが、戦場でみた宗政の惨劇を頭から切り離す事が出来なかった姫野は、全く違った行動に出る。壁に立て掛けてあった木刀を握ると宗政の方へと歩み寄って行った。
「あ、姫野隊長! おはようございます!」
頭を伏した姫野からの返事は無い。その変わりに木刀の剣先が宗政に向けられた。
「……姫野隊長?」
「……宗政。今から私と勝負しろ。もし……私がお前から一本取れれば、私の質問に答えて貰う……良いな?」
「え? いきなりですね……困りました」
「……行くぞ!」
「わ! ちょっと、姫野隊長落ち着いて――」
その瞬間、互いの木刀が激しくぶつかる音が道場内に響き渡った。姫野が挑んだ勝負とは、はっきりって槍の型が基本となる姫野に勝ち目など無い。
「ひ、姫野隊長、本気ですか? 剣技となりますと、幾ら姫野隊長と言えど――」
「……煩いっ! 黙れ! ……私は本気だ!」
「そうですか……では、その気持ちには応えねばなりませんね」
その一言が姫野の心を逆撫でさせてしまった事を宗政が理解出来る筈もない。
「……お、お前は、そうやって……自分に都合の良い気持ちだけに……応えて」
「――え? な、何故?」
姫野が豪快に木刀を振り回す。それはもはや剣技等と呼ぶには到底及ばない物であった。宗政は姫野の攻撃を上に下にと交わしながら困惑していた。何故なら、宗政は姫野の瞳が涙で滲んでいるのが気付いたからだ。
「な、何故に泣いてらっしゃるのか――」
その答えは、姫野の繰り出した大振りを交わした後に理解出来た。
「……宗政、お前の私に向けてくれた今までの優しさは……只の忠義か? ……それとも同情か? 答えろ!」
「あ、あの……姫野隊長、申訳ないのですが、まだ私から一本取ってません――」
間髪入れずにまた、姫野の大振りが宗政を襲う。
「……何故お前は私の事を『姫野隊長』としか呼んでくれないのだ! 答えてみろ!」
「そっ、それは――!」
「所詮私とお前は……隊長と「と成」の関係でしか無い……そう言いたいのだろう!?」
「ちっ、違います――私は!」
「嘘! ……お前は何時も私から一定の距離を……取っているではないか! ……体も、心さえも!」
「――っ!」
苦しそうな表情を見せながら、宗政は木刀を弾き返す。
「……私は、隊長と「と成」の関係等どうでもいいっ! ……私は、お前が、宗政が好きだっ! ……お前はどうなんだ!? 答えてくれ……宗政!!」
宗政は何も答えない。
煮え切らない態度を見せる宗政に、ずっと見ていた竜之介が、宗政に聞こえる筈も無い、怒りの声を投げ掛けた。
――宗政さん! あんたがそうやって自分の気持ちを押さえて来た事が、どれだけ姫野さんを苦しめているのが分かっているのか!?。
――だからあんたは、思いも告げられずに、後悔と姫野さんを残して死んでしまったんだよ! 男なら、その運命を今此処で変えて見せろってんだよっ!。
「この私が――運命を変える?」
「そうですね……誰かは存じませんが、適格な助言痛み入ります……」
息を荒げた姫野の攻撃を簡単に避けた宗政はその瞬間、足の動きを止め、静かに木刀を収める。そして姫野から離れると深々と一礼をした。
「姫野隊長……参りました――私の負けです」
冷静さを取り戻した姫野は、唖然とした顔で宗政を見つめた。
「……宗政?」
「貴方の一太刀は、私の『心』から見事、一本を取りました」
頭を下げたまま、宗政は言葉を重ねた。
「私が、貴方の事を姫野隊長と呼ぶ理由、それは――そうする事によって上司と部下の関係だという事を自分に言い聞かせる為です」
「貴方は私に隊長と「と成」の関係でしか無い……そう言いましたね? 無論そう自分に言い聞かせてきました……ですが、そんな物は自分の中でとっくに超えてしまっていたのです。私はそれに大きな戸惑いと恐怖を覚えました」
「貴方から一定の距離を取っていたのも……貴方の背中を見て、お供する事が私にとって何よりの幸せだと納得する為だったのです」
宗政の頭はまだ上がらない。
「そして最後に……貴方は私を好きだとハッキリと伝えてくれました。私は男であるというのに、貴方と真っ向に向き合う事をしていませんでした」
次第に宗政の顔が姫野の方を向き始め、
「姫野隊長――いや、姫野さん。私は貴方を始めてこの眼で見た時から――この心、貴方に奪われておりました」
「私は――貴方の事が今の今でもずうっと好きなのです、はは、これは中々照れますね――おや?」
宗政が自分の思いを姫野に伝えた時、姫野の体は既に宗政に向かって飛び込んでいた。
「……う、嬉しい! ……宗政あっ!」
宗政は抱き抱えられる様な感じで宙を舞った後、床に叩きつけられ、それを姫野が上から覆うといった形になってしまった。
「あああっ! ……すまん、宗政! 大丈夫か!?」
「はは……正直、物凄く頭が痛いです。ですが、これが生きているという事なのですね……」
苦笑いをした後、宗政は真剣な眼差しで姫野を見る。
「姫野隊長、今の私では貴方と異性関係になる資格はありません。ですから、私が秀光を討ちとるまで少々、お時間を頂ければ幸いです」
「宗政……わ、分かった、私は何時までも待つ。でも、出来れば出来るだけ、その……早い方が……いい」
頬を染めながら、宗政を見詰め返す。
「私にお任せ下さい。直ぐにでも実現してみせます」
目を細めながら微笑む宗政に、姫野の顔が次第に近づいてくる。
「……あの、宗政……これは異性関係の前払い……」
姫野の唇と宗政の唇が重なり、道場内は一瞬、静けさに包まれた。そう、一瞬。その後、大きな声が道場内を支配したからだ。
*あ、あ、ああああああっ! この女狐めがあああああっ!*
道場の正面で、火目子が目に涙を溜め、金魚の様に口をぱくぱくさせながら、体を震わせて指を向けている。
*はいはい、残念、残念。ヤケ酒には私も付き合ってあげるからねー*
氷華が楽しそうに火目子を慰める。
――良くやった、宗政さん! 後は秀光をぶっ倒して、幸せ街道をまっしぐらだぜええっ!。
――こっちはもう大丈夫だ。さて、秀光の方はどうなってるか、確認しないと!。
幸せ一杯に包まれた道場(一部不幸あり)を後にした竜之介は、急ぎ拠点へと向かうのであった。




