■斎藤姫野編(伍)
――十洞山の中腹にある宗政の修行場所。秀光の策略を無事に回避し、シヴァを倒した二人は、秀光に動きを悟られぬ様、其処に身を移す事にした。
「すみません、姫野隊長。こんな所しか思い浮かばなくて……」
道場の入り口で宗政は申訳なさそうに頭を搔いた。
「……大丈夫。それに此処は手入れも行き届いているから……」
「では姫野隊長、先程お話をさせて頂きました通り、今日は此処でやり過ごし、明日秀光の不意をついてやりましょう」
「……分かった」
「では、その前に……」
宗政は小型の通信機を取り出す。其れは倒したシヴァが鎧の残骸と共に落していた物だった。
「これで、黒幕と話しが出来る訳ですか……では早速、もう一手程、打っておきましょうか」
「……それをどうする気だ、宗政?」
「ああ。そうでした、私の得意芸の一つを姫野隊長にはまだ披露していなかったですね」
「……得意芸?」
『姫野隊長……分かりますか?』
「――宗政! その声はシヴァなのか!?」
「ははは、姫野隊長。私はこう見えて、昔から声色を変えるのが得意なのですよ。それはもう何十人問わず。もしかしたら今の自分の声さえも誰かの物真似をしているかもしれませんね……」
宗政は屈託のない笑顔を見せる。姫野はその顔を見ながら「では、本当のお前は何処にいる?」と、心の中で呟き、少し寂しそうな愛想笑いで返事をした。宗政が通信機を操作すると、暫くして予想通りの男の声が反応した。
『……シヴァか。随分と予定時刻より報告が遅れていたが、何か問題でも起きたのか……?』
「申訳ありません秀光様、少々手こずりましたが、ご命令通り宗政を殺しました」
『………………』
宗政の答えに、秀光から暫く沈黙する。「まさか……疑っているのか?」そう宗政が焦りの色を顔に出した時、
『……良くやった。隊長の方はどうした?』
上手く秀光を騙し、大きな溜息を吐いた宗政は、そのまま会話を続ける。
「隊長の方は、大事な部下を失い、戦意喪失し、戦場から姿を消しました」
『そうか……ならば二度と此処に戻ってくる事もなかろう……上出来だ。後は我に任せるがいい』
「ははっ」
そのまま通信が切れた途端、宗政は慌てて姫野に弁解を始めた。
「す、すみません姫野隊長! あの場合ああ言っておかないとと思いまして……大事部下なとか、自分勝手な発言をどうか、お許しください」
「……気にするな宗政。それにお前が言った事……本当の事だから……」
「――ひ、姫野隊長」
二人の間になんとも言えない空気が流れる。この光景を当然竜之介も草葉の陰から見ていた。魂の中で竜之介は、体を捩らせ頭を掻き毟っている自分の姿を想像した。
――ああ、じれったい! 宗政さん、こんなチャンスは滅多にないぞ! 押せ押せっ!。
今度は両拳を握る感じで、宗政を見つめる竜之介。だが、そこに居合わせたのは竜之介だけでは無かった。
*本当、あの二人を見ていると苛々しまくりだわ*
呆れる様に氷華が呟く。その横では火目子が嫉妬の目で狂ったように暴れ、今にも二人の前に飛び出しそうになっていたが、氷華に体を押さえられままならなかった。
*離して氷華! マスターの所に行かせて! ああっ、もう、マスターったら、あんなにだらしない顔をしてっ!*
――いつの間に俺の近くに精霊が? そうか、此奴ら上級精霊だから召喚しようがしまいが、勝手に出て来れるのか。
精霊は通常契約者の召喚を通して、その姿を現わすといった物であるが、上級精霊と呼ばれる精霊達は契約者と共に経験を積み、ある一定の強さ――好感度を超えると、召喚せずとも精霊の方から此方側に姿を現す精霊達の事を言う。
ちなみに竜之介が契約しているハルも此れに当たるが、何故かハルは自分から竜之介に会いに行く事は無かった。竜之介は二人から離れて上空からの視点へと切り替えた。
「そ、そうでした、姫野隊長、食住に関してはこの道場の一室を私が何日も修行出来る様に部屋を設けているので、ご安心を。それに裏手には湯浴みも出来る風呂場もありますから」
その雰囲気に耐え切れず、慌てて口を開く宗政。
「……成程。となれば後は衣の方を……何とかしないといけないな……」
自分のボロボロになった着物を見ながら呟いた後、姫野は上空を見上げて指笛を幾度か鳴らし始めた。
すると、少し間を置いて、遠くから一羽の烏が物凄い勢いで此方の方へ飛んで来た。烏は姫野の上空を確かめる様に旋回を繰り返した後、その肩に降り立つなり、話し掛けるように鳴き声を上げた。
『姫野、おめえ何処に行ってやがった? ちょいと俺が留守をしている間に消えやがって! それに何だ? おめえの恰好ズタボロじゃねえか!』
「……すまない黒丸。今回の任務は少し嫌な予感がしてな……思わずお前を置いて来てしまった」
『んだと? 随分水臭いじゃあねえか! んなことより宗政、お前が付いていながら何だ、この有様は!?』
姫野は黒丸の言っている事が理解できているが、宗政は良く分かっていない。周りからして見れば烏が宗政を威嚇している様にしか見えないが、この時ばかりの宗政は黒丸が自分の不甲斐なさに怒っているのを感じ、「面目ない」と謝った。
『で、二人共なんでこんな所に居てやがる? 俺にも事情を説明しろ!』
姫野はまるで人と会話をしているかの様に普通に黒丸に説明をし始めた。黒丸は聞きながら黒い頭を何度か頷かさせている。
『なるほどねえ……そういう事か!』
「……で、すまないが黒丸、少し用事を頼まれてくないか?」
『皆まで言うない。その姿をみりゃあ、直ぐに分かるってもんさ! ひとっ飛びして直ぐに此処へ持って来てやるよ!』
全てを把握した黒丸が再び日の沈みかかった上空へと飛び立った。その方向は丁度竜之介のいる方へと向かって来ている。竜之介は何気に黒丸を見て何か違和感を感じていたが、ある事に気付くと、思わず大声で叫ぶ。
――ああっ! 何時も黒丸がしている眼帯が無い! そうか、黒丸は戦場に居なかったから、姫野を庇った時、シヴァに斬られた左目の傷が無いのか! やはり、向こうの世界とは何かが変わってるんだな!。
その瞬間、竜之介の手前で黒丸が羽根の勢いを調節しながら空中で止まり、鋭く光る両目を向けた。
『何だ? 今、誰かの声が聞こえた気がしたんだが……気のせいか?』
黒丸は暫く竜之介の前をゆっくりと横に移動した後、そのまま拠点の方に向かって飛んでいってしまった。
――び、びっくりした。もしかして俺の声が今、黒丸に届いたのか?。
黒丸の行動に動揺を見せた竜之介だったが、直ぐに落ち着きを取り戻して再び視点を戻した。
「……さて、これで何とかなるだろう。宗政も今日はかなり疲れただろう? 風呂にでも入って……疲れを取るが良い」
「そうですね。では直ぐに支度をしますので、姫野隊長は道場で休んでいてください」
裏手に回った宗政は、暫くして担い桶を吊った天秤棒を肩に担ぎ、再び姿を現した。
「流石に井戸までの設備は無いのですが、この近くに直ぐ川が流れてますので、水を汲んで参ります」
「いや……シヴァから受けた相当なダメージをお前は負っている筈……此処は私に任せろ」
姫野がその言葉を口に出した時には既に宗政の姿は無かった。結論からすれば宗政よりも姫野が行った方が正解だった。十洞の女性は生まれながらにして大小問わず皆怪力で、湯船の水を張るのに宗政が川を往復する数の半分で十分事足りてしまう。そもそも姫野であれば天秤棒を二つ肩に乗せる事等他愛も無い事だったのだ。
眉を上げ、一生懸命に水汲みを繰り返している宗政の姿を、道場の手摺に肘を付き、両手に顎を乗せて目を細めた姫野が、幸せそうに見つめていた。
暫くの時間が経過し、程良く風呂の準備を済ませた宗政が、息を弾ませて姫野の元に戻って来た。
「ささ、姫野隊長、風呂の準備が整いました。今行けば中々のお湯加減です、客人用でも無く、貧相な風呂場ですが、十洞山から流れてくる天然の水は十洞温泉にも引けを取りません」
――道場の風呂場。宗政が「貧相」と言った手作りの風呂場は、宗政のこだわりなのだろうか、小さいながらも立派な檜風呂であった。その外観は、雨が凌げる屋根の下に、コの字の様に板で仕切りられ、檜風呂の周りには、厚手のすのこが丁寧に敷かれていた。
檜風呂の正面は、十洞山の緑豊かな光景が飛び込んで来て、上流から流れてくる川の潺が緑を挟んで心地良い音を奏でながら聞こえてくる。
今まで自分しか使っていない自慢の風呂場を、姫野が見て驚く様を宗政は密かに楽しみにしていたのだった。
「いやぁ、本当に貧相な風呂場で申訳ないのですが……」
少しにやけた口調で言う宗政。だが、
「……いや、宗政、私の事はいいから、先に入るが良い」
予想を覆され、目をまん丸くして、姫野を見つめ返した。
「――ええ? 今何と?」
「……お前が先に入れと言ったのだ……良いから行け」
「そんな、姫野隊長を差し置いて私如きが先に湯船に浸かる事など断じてあってはなりません、どうか、先に入ってください!」
真剣な眼差しで詰め寄ってくる宗政に、姫野の顔が次第に赤みを帯び始めた。
「……だから……それは出来ないのだ」
「な、何故なのです!? この私が納得出来る理由をおしゃってください!」
「……だ、だから……ま、まだ……無いのだ」
宗政から顔を背け、もごもごと返事をする姫野。
「無い? 一体何が無いというのですか! 姫野隊長、そんな風に私から顔を背けなければならない程の深刻なお悩みであれば、私の顔を見て、どうかハッキリとおしゃってください!」
宗政という男は真直ぐで、「超」が付くほど鈍感である。火目子が空気を読めないのは、恐らく長々と宗政に付き合い、自然に身に付いた物に間違いない。姫野は顔を真っ赤にして泪を滲ませながらキッと宗政を見据えると、
「だから、私の下着がまだ届いておらぬのだあっ!」
宗政の鼓膜が破ける位、大きな声を出して答えた。
「――あ」
言葉にもならない声を発した宗政は無言で、一歩、二歩、三歩と姫野から遠ざかり始めると地響きが起こる位、頭を地面に擦り付けて土下座した。
「す、すみません! 姫野隊長! 私とした事が、何とお詫びすれば良いのかっ! まさか、まさか!」
「姫野隊長の『下着』がご用意されてなかったとは! 何故この様な事に私は直ぐに気付けなかったのかっ!」
「成程! この宗政、合点がいきましたっ! 先程の黒丸への御用事とは、ずばり、姫野隊長のお部屋に『下着』を取りに行かせたのですね!」
「いやはや、まさか、姫野隊長の『下着』が――ぐぼあっ!」
伊達宗政――何処までも真直ぐで、剣の腕は立つが、女の事になるとからっきしである。剣の間合ははかれるが、踏みこんで良い会話の間合いはかれないという悲しい男であった。当然の様に宗政の頭は、顔を真っ赤にした姫野の足でそのまま地面の中に埋められてしまっていた。
――何やってるんだよ……宗政さんは。
情けない宗政の姿を見た竜之介は、魂の中で「やれやれ……」と嘆く自分の姿を想像するのであった。




