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■斎藤姫野編(壱)

――何だ? もう別世界に来たのか? と、いっても何も変わっていない……。


――違う。俺の真下には拠点に続く長い石段が見えている。まるで鳥にでもなった感じで、何か変な感覚だな。


 青魂と化した竜之介は、最初、自身の体は其処に無いものの、その風景が見えるといった、今まで経験した事が無い状況に戸惑っていたが、直ぐにそれに慣れ、石柱を潜り抜けてみたり、隊の者に近付いてじっと眺めたりして楽しみ始めた。


 その竜之介の後には、見えない糸で繋がれた様に、袋詰めになった宗政の赤魂が付いてくる。やがて自分の使命に気付いた竜之介は、慌てて周辺を確認し始めた。すると、何時もも見慣れていた剣士の丘に何か違和感を感じた。


――ああっ! 二人の墓がまだ無い! って、事は……!。


 その場で浮かびながら何やら考え始めた竜之介。やがて何かの結論に辿り付くと、直ぐ様その場所へと向かった。


 十洞山の中腹に人知れずひっそりと存在している道場。その道場は朽ち果てている事も無く、其処に威風堂々と建っていた。その道場内で、突然、木刀の素振りをする音が雄々しく響き渡った。竜之介は魂を震えさせながら、ゆっくりと降下し始める。その男の姿が見えた瞬間、今の竜之介に心臓等持ち合わせて居ない筈なのに、激しく昂る鼓動を感じた。


 伊達宗政――その男は確かに其処に居た。宗政は流れる様な手捌きで木刀を振り、素早い足捌きで、自由自在に立ち位置を変える。その一挙動、一挙動の動作を指し示すかの様に袴の裾が翻った。


――ほ、本物だ! 本物の宗政さんが今、俺の目の前で木刀を振っている! って、偽物って訳でもないけど、そんな事はどうでもいい! 生きている宗政さんが目の前にいるんだっ!。 


 喜びながら、宗政に近づいた竜之介は必死に「俺です! 竜之介です!」と、声を掛けるも当然宗政の耳には届く筈も無い。そればかりか、よしんば宗政の耳に届いたとしても、竜之介という男を宗政は知らない。竜之介がその事に気付く旨、そう大して時間は掛からなかった。


 その時、宗政が急に手を止めて辺りの気配を伺い始める。竜之介は「まさか、俺の事に気付いたのか?」と驚いたが、宗政の取った行動は背後から聞こえてきた、聞き覚えのある懐かしい男の声で明らかとなった。


「なんだよ、宗政、やっぱり此処にいたんじゃねえか!」


 竜之介は、思わず方向転換しその男に注目した。大柄な体に獲物を刈るような鋭い視線、その頭にはそう――しっかりと巻かれた白い鉢巻。


――な、長信さんっ! 長信さあんんっ!。


 織田長信――その力強い声は、今現在、目を持ち合わせていない竜之介に、止め処も無い涙が流れでる感覚さえ覚えさせた。


「おやおや、明日の王将戦を控えている貴方が、わざわざ私の所まで来るなんて……明日は、槍でも降るのでしょうかね?」


「けっ、何を言ってやがる! 俺様の完全勝利を祝って、一杯やろうとお前をわざわざ呼びに来てやったんじゃねえか!」


「……貴方まだ、秀光と戦っていないではないですか。全く、貴方って人はつくづく……」


――長信さん、相変わらずだなぁ。


 竜之介は、懐かしくも、その和ましい雰囲気を黙って見つめていた。


「ばーか、お前の目は節穴か? 俺様は一人じゃ、ねーつーの! ほれほれ!」


「……宗政すまん、こいつかどうしてもと言って聞かないから……」


 困った顔をしながら、後からひょっこり姿を現した女――斎藤姫野。そして……


「本当に長信ったら、人の事などお構いなしなんですから。ごめんなさいね、宗政」


 呆れた様な表情を浮かべ、姿を現したもう一人の女――姫野の姉、斎藤桜子。


――おおお……理想の光景が俺の目の前に広がっているっ!。


 竜之介は一度でいい、誰も欠ける事の無い、この四人の姿を見たかったのだ。


「それで長信、明日の試合、秀光に勝てる見込みはあるのか?」 


――王将戦は明日!?。じゃあ、長信さんは明日秀光に……殺されてしまうのか!?。


「いや、明日闘う予定だった王将の康家のおっちゃんが、ぽっくりあの世に行っちまったからよ、俺様もまさか急遽、王将を掛けて秀光と剣を交える事になるなんて夢にも思わなかったぜ!」


「長信、不謹慎ですよ。康家様は重い病を患っておられたのです。無理も有りません」


「――でもよぉ、俺様がつい最近、挨拶に行った時はピンピンしていたんだぜ? 病に掛かっていたとしても、俺様、どうも腑に落ちねえんだが……」


 しかめっ面を見せながら、反論し始める長信。そんな二人の元に、木刀を収めた宗政が、道場に向かって静かに一礼した後に戻って来た。


「お待たせしてすみません。では、拠点に戻りましょうか」


「よっしゃ! 一旦帰って、さっぱりしてから何時もの場所に集まろうぜ! 宗政、お前遅れて来たら皆の前で一発芸な!」


「な、なんでこの私が……っ!?」


 笑い声を交えながら、楽しそうに拠点へと戻っていく四人の背中を暖かい気持ちで見つめる竜之介だったが、明日迎えなければならない現実に目を背けずにはいられなかった。


――くそ……! 明日なんか来なければいいのに!。


 道場の上空を、寂しそうに何度もぐるぐると回った竜之介は、やがてその場所を後にした。









――さてと……宗政さんと長信さんを見つけなければ。


 拠点に戻っているであろう、二人の姿を竜之介は行違う隊の者達の間を通り抜けながら探す。


――ううん、居ないなあ。二人共、もう部屋に戻ったのかな?。


 竜之介が女子寮の建物の横を通過した時であった。何やら楽しそうな会話が聞こえてきた。


――女子寮の裏手か。だが、俺は今二人を探しているんだ。こんな所で道草を食っている訳にはいかんっ!。


 と、自分を戒めながらも女子寮の壁を通り抜けていくという真逆な行動に出た竜之介。


――わ、分かってるんだけど、こんな事は二度と出来ないし、お、男なら一度はっ!。


 等と適当な言い訳を呟きながら、廊下を歩く女の顔を確認しながら、その声のする方向を目指して進んで行く。やがて一枚の壁を超えた時、竜之介は突如白い煙に包まれた。


――魚おおおおっ! こっ、此処わっ!。


 白い煙の正体、其処は美女達が湯船に浸かる桃源郷――大浴場であった。竜之介の真下では一糸纏わぬ女達が、嬉しそうに手で湯を跳ね、互いの胸の大きさ等比べたりしながら、燥いでいた。


――お、俺は、『たまたま』此処を通過しただけだっ! 此れは断じて覗きなどではないっ!。


 これまた適当な言い訳を居ながら、その目――魂の保養をした竜之介が慌ててその場所から離れようとした時だった、一人の女の言葉が竜之介の魂を揺さぶった。


「ねえ、ねえ、桜子様! 明日長信様が晴れて王将になった暁には、長信様に求愛のお返事をされるのでしょう?」


「ま、まあ、私に見合う剣士になったという事なら……それは……その」


 そこで一斉に黄色い声が大浴場に響き渡った。その事を聞いた竜之介は吐き気に襲われる感覚に捕らわれた。


――二人は結婚する予定だった!? そうだったのか! ……でも、長信さんは明日……くそっ!。


 続いて、今度はもう一人の女が、姫野にからかう様な仕草で声を掛けた。


「そうなると……姫野隊長もあの不器用男に応えてあげるんですよねえ?」


「……い、いや、わ、私は……!」


 そのまま顔半分を湯に浸けた姫野は、口からぽこぽこ泡を出し始める。湯で既に温まっている顔が、より一層、赤みを帯びた。


「もう、宗政様ったら、本当分かり易い人よねえ、見てて逆に苛々してくるわ! ねえ、姫野隊長――あれ?」


 その時の姫野は、水面から頭しか見えていない状態だった。


そんな、幸せそうな光景を目にして、竜之介は想いを詰まらせた。


――姫野さん……宗政さんの運命は俺がきっと変えてみせる!。


――そう言えば、今頃秀光は何をしているんだ!? こんな、肝心な事を忘れていたなんて、俺は一体何をやってるんだ! 今直ぐ確認しておかないと!。


 自身を戒めた竜之介は、そのまま建物の壁を通り抜けて行った。









――ここか。秀光の居る場所は……実態が無い今の俺は、分厚い扉だろうが、厳重な監視体制だろうが、無い物と等しいな!。


 難なく秀光の居る部屋の中まで辿り着いた、否、擦り抜けて来たと言った方が正しいだろう。その竜之介の前で、秀光が部下の一人と会話をしていた。


「全く……まさかあの康家様が、突然お亡くなりに成られるとは……本当に残念です」


 重い口を開いた部下は、悔しそうに言葉を漏らした。


「うむ……我も尊敬していた猛者であったからな……一度も剣を交える事が叶わなかった事、誠口惜しい」


 秀光の労いの言葉を聞いた部下は静かに頷いた後、部屋を出て行った。


「……く、ククククク、クカカカカカ!」


 部下が去り暫くして、片手で頭を押さえた秀光が突如笑い始めた。


――き、急に笑いだした? 何だ!?。


「……愚かな『人間共』が……何も知らぬとは……クカカカカ!」


「――康家を葬ったのは我だと言うのに……クク」


――な、何!?。

 

「康家だけでは無い……明日には長信も同じ様に消してやる……クククク」


 悍ましい顔をしながら、手元に置いてあるケースを開けた秀光は小型の注射器を見ながら、狂気な笑みを浮かべる。


「長信……愚かな奴め。桜子の名前を口にしたら、直ぐ我の誘いに乗りおったわ」


「我の積年の恨み……思い知るがいい、此処の全てを我が奪ってやる……クカカカカ」


――恨み? 一体何の事だ?。


 竜之介が動揺した瞬間、秀光が誰も居ない部屋で、探る様に殺気を放ち始める。


「……其処に誰か居るのか?」


 実態の無い竜之介を秀光の殺気は感知する事が出来なかった。


「――気のせいか……まぁ、良い」


 殺気を解除した秀光は、独り言の様に話し掛け始める。


「我の計画は全て順調だ……舞台は我が用意してやる。長信の後、宗政の止めをお前が刺すのだ……良いな――」


「――シヴァ」


――し、シヴァ!? い、今秀光はシヴァと言ったのか!?。 宗政さんに止めを刺す? 一体どういう事なんだ!?。


『……心得ました、我らのキング、秀光様……』


――い、今の声は!?。


 答える筈もない秀光の問い掛けに、冷ややかな男の声が答えた。


「ああ、我は明日が待ち遠しい! 待ち遠しいぞ! クカ、クカカカカカあっ!」


――ひ、秀光の野郎、長信さんばかりか、む、宗政さんも手に掛けたというのか!?。


 別世界に送り込まれた竜之介は、秀光の新たな一面に触れ、その悍ましい狂気の笑みから、暫く逃れる事が出来なかった。


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