■織田いちの編(捌)
「ああ……ご、獄霊の力が……そんな馬鹿な」
刻印が全て消え去った獄霊は元の鍔に戻ってしまった。その場で崩れ落ち、身体を震わせて愕然とするいちのの姿を白子は不思議そうに見つめている。
「やったわ! 姫野隊長の勝利よっ!」
「いちのも凄かったが、やはり姫野隊長が一枚上手だったな!」
この名勝負に隊の者達も二人に対して、一斉に称賛を浴びさせ始める。
「く、黒丸……お前は一瞬の隙を……私の為に……!」
地面に転がった黒丸を大事そうに両手で救うと、救護班へ預ける。
「姫野に敗れた……私が……この……私が!」
「ああ……私は最後の最後でなんという失敗をしてしまったのだ」
「認めたくはないが、竜之介を通し、兄様の面影を見ていた私が……」
「何時の間にか……竜之介本人に惹かれて……いただなんて」
いちのの両目から大粒の涙が零れ、地面を濡らす。
「――すまん、いちの……」
いちのが、自らの竜之介に対する想いを認め、謝罪の言葉を口にした瞬間、その意識の中、自分を優しく包み込んでくれるもう一人のいちのが微笑み掛けた。
――違うよ、それでいいんだよ!。
もう一人のいちのは優しくいちのの頭を撫でると「交代」という感じで、いちのの掌へ自分の掌を重ねた後、光が射す方へと向かって行く。それをいちのは唖然として見送った。
「――姫野さん、待ってください! まだ決着は付いていませんっ!」
ゆっくりと立ち上がったいちのは眦を上げて、引き上げようとする姫野を引き留めた。
「……何?」
振り返っていちのを見た姫野は、先程とは全く雰囲気の異なるいちのを見て眉を歪めた。
「……お前、先程のいちのでは……ないな?」
「はい、私はもう片方のいちのです!」
「……もう片方の……いちの?」
「い、いちのちゃんが、出てきた!?」
長い間ずっと眠り続けていたいちのが現れた事に気付いた竜之介が思わず叫んだ。いちのは竜之介の方を見て一度、優しく微笑むとその視線を姫野の方へと戻した。
「聞いてください、姫野さん……先程の私は、お兄ちゃんを失った時から、絶望に陥り、その悲しみから生まれた私なんです」
「そしてこの私は、もう一人の私に嫌な事を全部押しつけて、色んな物から逃げていたんです」
「竜之介さんをお兄ちゃんの姿と重ねて、現実から目を背けようとしていた……」
「でも……竜之介さんが、自分の事をお兄ちゃんと思ってくれていいって、言ってくれたあの時から――」
「ああ、こんなにも自分を優しく包み込んでくれる人が、お兄ちゃんな訳が無いって……」
「その事実に気付いた時、私は現実を受け入れる覚悟が出来たんです」
「私はお兄ちゃんで無く――今の竜之介さんが好きだと」
その言葉の後、いちのは自身の胸に静かに手を当てた。
「そしてそれは――もう一人の私も……同じ」
「織田の妹……この私に……何が言いたい?」
「要するに、竜之介さんは宗政さんなんかじゃありません、そうでしょう、姫野さん?」
「……う!」
「今の私なら、はっきりと言い切れます。竜之介さんはお兄ちゃんでも、宗政さんでもない、竜之介さんなんです。そして、その竜之介さんが私は大好きなんです」
「うわ……いちのちゃん、う、嬉しいけど、こ、こんな大勢の前でそんな大胆な……!」
痛いほど突き刺さる隊の者の視線を受けながら、顔を真っ赤にした竜之介は、両手を膝の上に置いたまま、地に視線を落した。
「――だから、今の私は裏表なんか無い、性格が変わろうが変わるまいが、竜之介さんを想う心は一つ」
「宗政さんの影を未だ追っている貴方には決して負けませんっ! 武装っ!」
いちのが元気よく武装する。
「……そうか……だがもう、お前に獄霊を抜く力は……無い筈だ」
もはや手遅れといった感じで、姫野は寂しそうに呟いた。
「獄霊は、悲しみと深い闇から生まれてきた武器なんです。その呪縛から解き放たれた獄霊が見せる本当の姿――」
地面に落ちていた獄霊を手に取り、それをゆっくりと握り締めると、ぎこちない様子で抜刀の姿勢を見せた。
「抜刀――白龍」
姫野の耳に獄霊とは全く異なる武器名が聞こえた瞬間、いちのの握る鍔が黒色から白色に変化し、眩しい程の光を放ちながら、白金の薙刀が姿を現し始めた。姫野はその武器よりも、身に覚えのある光を見ながら呆然としてしまった。
「さ、桜子姉さんと同じ光? ……そんな馬鹿な!」
光属性を持つ者は、民の中でも希少であり、それを目にする者は殆ど存在していなかった。唯一その力を持つと知られている者は姫野の姉――斎藤桜子ただ一人だけだったのだ。
だが、闇属性ばかりか、光属性をも兼ね備えていたいちのの力を目の前で見せられた隊の者達は皆、騒然とし始めていた。無論、竜之介もその例外では無い。
「いちのちゃんが光属性も持ってたなんて……驚いた」
竜之介は口を大きく開けたまま、その場から動けなくなってしまった。
「白子さん、私と一緒に決着を付けましょう!」
いちのに声を掛けられた白子は、何かの結論に辿り着くと、ぽんと手を鳴らせた。
*試合に敗れたのに、何で私、お家に帰れないのかなあって思ったら、成程。そういう事だったのね。それに貴方――っと、いちのちゃんでいいかしら? いちのちゃんの武器、なんだか私とっても気に入ったわ!*
白子が嬉しそうに白龍にリンクすると、光を放ちながら柄の先端部分に、五つの刻印が刻まれた。
「う、嘘! 姫野隊長と同じレベル五だなんて――あり得ないっ!」
更に隊の者達のどよめきが大きくなる。圧倒的な光と力を目にした姫野は、それがまるで姉の桜子が、自分がしてしまった過ちを戒めているかの様に感じ取っていた。
「……その光……私には……眩しすぎる」
――織田の妹、お前の言う通りだ。
「さぁっ! 行きますよ! 姫野さん!」
これまたぎこちない様子で、白龍を構える。
――最初から分かっていた。竜之介は決して宗政などでは無いと。
――だが、私はどうしても、竜之介に縋りたかったのだ。例えそれが間違っている選択であろうとも……。
「今から、凄い技をお見舞いしちゃいますからね……んと、どうやるんだろう?」
――その暗闇に包まれた気持ちが今、この娘の眩しい光と共に消え去っていく。
*い、いちのちゃん、貴方まさか武器の使い方が?*
「はい、扱うの、初めてですっ!」
*あっちゃー! これは大ピンチ!*
――こうも面と向かって、「竜之介が好きだ」と言われては……。
「確かこう……でしたよね? 白龍――えーっと、白子さん、技名は何にすれば良いのでしょうか?」
*あはははー。何が良いかしらねえ?*
「……私が、勝てる訳が……ないじゃないか……」
絞り出す様にして呟いた後、姫野は武装を解除した。
「あれ? 姫野さん、何で武装を解いちゃうんですか! 試合はまだ――!」
「…………私の……負けだ」
「へ? 負け? って、私の……勝ちですか?」
「……ああ。今日からお前に……飛組隊長を……任せる……後は頼んだ」
ゆっくりと自分のマントを外した姫野は、いちのの肩に掛けた。
「え、えええええっ!?」
――これでいい。これでいいんだ……そうでしょう? 桜子姉さん。
心配そうにして自分の傍に近寄って来た桜子に、姫野は目に涙を浮かべながら満面の笑みで微笑む。抑え込んでいた涙の一滴が、両端から静かに零れ落ちた。桜子は姫野より小さな体で、その涙を覆い隠す様に優しく包み込みながら、試合会場を後にした。
「……行こうか……黒丸」
――試合後日。飛組隊長をいちのに託した姫野は、死の淵から舞い戻って来た黒丸を肩に乗せ、公言通り、拠点を離れる事にした。黒丸の羽の傷は未だ癒えておらず、何重にも巻かれた白い包帯が痛々しかった。
『全く、アニキの野郎め、俺が三途の川を渡り切ろうとした所を、思いっきり足蹴りしてきやがった!』
「……黒丸、そう怒るな。天竜様は……お前が選択を誤ったまま……自分の所へは来て欲しく無かったのだ」
『だってよ、そりゃないぜ! って感じだぜ!』
「……ところで……竜之介から全部聞いたぞ……今回の仕業……全てお前が仕組んでたらしいな?」
『――うっ! そ、そんなこたあ、ど、どーでもいいじゃねえか! も、もう、済んじまった事だし、な、なぁ、そうだろ、おい?』
その黒丸の動揺っぷりに、普段笑顔を見せない姫野が、眼帯を失い、全てを曝け出した黒丸の顔を見ながら笑った。
『――ふん。でもよ、おめえは本当にこれで良かったのか?』
「……もう決めた事だ……私に付き合わせて……済まない」
『別に……俺とお前は、腐れ縁だからな、お前が宗政の事を全て忘れるまで、何処までも付いて行ってやるよ!』
「……有難う」
『やめろ、そんな礼なんて! 包帯に雁字搦めに巻かれた俺の羽がむず痒くならあ!』
「……ふふ」
再び笑う。
『そんな事より姫野、俺の眼帯、今度は一丁派手な奴を頼むぜ! こう、きんきらきんの――』
「……そうだな……考えておこう……」
そんな他愛も無い会話をしながら、地面に伸びた一つの大きな影は、拠点からゆっくりと遠さがっていった。
「――で、いちのちゃん、その大荷物は一体どういう事なのかな?」
竜之介の部屋の扉の前。目の前にはいちのが大荷物を抱え、嬉しそうに立っている。
「またぁ、竜之介さん、今更何をを言ってるんですか?」
「いちのちゃん、まず一言だけ言っておこう、ここは男子専用の宿舎、そしてここは俺の部屋だ、分かるね?」
「はい!」
「よし、いい娘だ。って事は、こんな夜中にいちのちゃんが此処に来ては駄目だ。他の奴に見つかったらどうするの? 分かったね? 分かったら、はい、後ろを向いて! じゃあ――おやすみっ!」
身の危険を察知した竜之介が、急いで扉を閉めようとするも、既にいちのの足がその隙間に滑り込み、それを許してはくれなかった。
「う……っ!?」
「なんで、扉を閉めようとするんですか……? 『隊長』の私がせっかく此処まで来てあげたというのに……そうでしょう? 竜之介さん……?」
扉の隙間から冷ややかな目で竜之介を見つめながら、いちのは、その扉を力任せに開こうとする。
「ひぃいっ! な、なんて馬鹿力だ! こ、こじ開けられるっ!」
途方も無い力で扉をこじ開けたいちのは、部屋の中に入ると、俯いたまま、かちゃりと鍵を掛ける。
「……ふう。無事に中へ入れた事だし、じゃあ……竜之介さん、私、早速貰ちゃってもいいですか?」
ゆっくりと顔を上げたいちのが、妖しく微笑む。
「え? も、貰うって、な、何をかな?」
「嫌だなぁ……竜之介さんたら、すっとぼけちゃって……分かってる癖に……」
「――え?」
「それは……お前の全てに決まってるだろう? なぁ、竜之介?」
「お、俺の全て――って、あ、貴方はいちのさん?!」
「私達の竜之介に向けた想いは既に一致しているし、何の問題も無いからな……」
「そうそう、だって竜之介さんって他の娘にも人気があるから、ちゃんと既成事実を作っておかないとね……ふふふふ」
両手を何かを掴む仕草を見せながら、じじりじりと竜之介に詰め寄ってくる。
「怖い……怖いよ……いちのちゃん」
「そうと決まれば布団へ直行だ。今夜は寝かさないからな……覚悟しておけ」
「はい。いちのは、竜之介さんを寝かしませんよぉ?」
二人、否、更にいちの達の意見が見事に一致する。
「ひいっ! い、いちのさんに、いちのちゃん! そ、そんなに俺を引っ張らないでくれ……あ、あ、あああっ!!」
悲鳴にも似た声を漏らした竜之介の姿は、いちの達にずるずると引きずられながら、次第に暗闇の奥へと遠ざかっていくのであった。




