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■加藤玉美編(捨壱)

「よし! 行くぜ……!」


 チェス界へと繋がる転送ゲートを目の前にして、竜之介は玉美を奪還すべく、意気込んでいた。


「おい、竜之介を見て見ろよ、自分の女を助けたいのが丸分かりだぜ、あんなに気合い入れちゃってよ」


「全く、俺等が一体何をしに敵地へ行くのかあいつは理解してるのか? 真剣勝負の戦だというのに、個人の感情を優先しやがって!」


 他の隊の者が怪訝そうな顔をして、竜之介を見ながら、皮肉を漏らす。


「……気にするな竜之介。お前の気持、私達は良く理解している」


 それを宥める様に、姫野が竜之介の肩を軽く叩いた。


「そうだぜ? あんな負け犬の遠吠えを聞くこたあねえ。お前はお前の仕事をきっちりすりゃあいい」


 美柑が皮肉を言った者を見ながら、吐き捨てる様に煙草の煙を吹きつけた。


「――ああ。最初からそのつもりだ」


「だけどよ、無茶だけはするんじゃないぞ? お前はほら、何処となしか『あいつ』に似てて、一直線に突っ走るところがあるからよ……」


 美柑の言う「あいつ」とはきっと長信の事を言っているのだろう。そう考えた竜之介の脳裏に一瞬だけ、長信の姿が浮かんで――消えた。


「ありがとう……美柑。それじゃあ行ってくるぜ」


 竜之介は、玉美の馬型を取り出し、それをしっかりと右手で握り絞めた。


「おう、気を付けてな!」


「お願いです! 私も、私も、どうかチェス界へ連れて行ってください!」


 竜之介転送ゲートに一歩足を踏み入れようした時、その背後で女の叫び声が聞こえて来た。


「何だ? 何だ? 此処は部外者立ち入り禁止の筈だぞ?」


「何だお前、此処に何しに来た? 俺達は戦をしに行くのだぞ? 誰が丸腰の研究員など連れて行くものか!」


「お願いします! 向こうには――!」


 何人もの隊の者に、行く手を阻まれているその女は、必至に何かを訴えている。


「あんた……何か訳があるのか? それなら俺に話してみろ」


 それを押しのけ、竜之介が女の前に現れた。その成りを見て竜之介だと分かった女は、竜之介が握っている馬型に気付き、慌てて口を開いた。


「あ、貴方は、風間様! あの、その手に握ってらっしゃる馬型は、実は――」


 竜之介は、その馬型が最初に作られた物であるという事、それを作り上げた男が「才奇誠」という人物である事を知った。更にその経緯を聞いた竜之介は大きく頷いた。


「……そうか、分かった。俺と一緒に行こう」


「かっ、風間様! 有難うございます!」


「な、何を考えてるんだ! 竜之介、お前勝手に――!」


「煩え、要はこの娘を怪我させなければいいんだろ?」


「お、お前そういう問題では無い! そんな事を玄真様がお許しになる訳がない!」


「玄真様からは後からこってりしぼられりゃあいいんだろ? 鬱陶しいからお前等はさっさと向こう側へいけ!」


「駆け出し者の「と成」が、な、生意気なっ! 後で覚えて――うおおっ!?」


 更に竜之介へ食って掛かろうと、隊の者が近づいた瞬間、竜之介はその腹を蹴りつけ、転送ゲートの向こう側へと追いやってしまった。


「竜之介、本当におめえは……ぷっ」


「美柑、こいつを連れて行くとは行ったが、流石に丸腰はまずい。何か防具を用意してくれないか?」


「あいよ」


「ああ……そういや、俺はまだあんたの名前、聞いてなかったな?」


「あ、わ、私は……」


「――夢野薫ゆめのかおると、申します」







[べトルク様、ご報告申し上げます!]


[棋将武隊の軍勢がこの城に向かって来ていると、たった今、報告がありました!]


 チェス界に聳える古城、チェス城。その王室に慌てて、ポーンが鎧の音を響かせながら入って来た。


[そっ、それで、こちらも応戦しているのですが、その中で青剣を持った一人の兵が、風を操り、物凄い勢いで同胞達を倒しながら、この部屋の近くまで来ていると! その者はとても強く、大勢になって掛かっても歯が立たぬとの事です!]


[ふむ。ようやく来ましたか、竜之介君……秀光様、如何致しましょう?]


 秀光は沈黙したまま、右手を掲げた。


[城の守りを強化し、隊長クラスへはリブラ隊に対応させなさい]


 その仕草を見た後、ベトルクは部下に命令を下した。


[御意!]


[さぁ、竜之介君、早く助けに来ないと、あなたの大事な人が私の手がけた寄生虫に心をどんどん食い尽くされていきますよ!]


[まぁ、万が一、此処に来れたとしても、もはや手遅れかもしれませんがねえ! ふはははっ!]


 べトルクが言った通り、玉美の首筋に食いついた寄生虫は不気味に蠢きながら玉美の体内から何かを吸い込んでいき、その体はどんどん赤黒く変色していく。その度に、玉美の瞳は淀んだ赤色に染まっていった。







「夢野、俺から離れるなよ!」


「はっ、はい! 分かりました!」


[くそ! 何者だこいつ!? こちらの攻撃が全く通じないっ!]


[怯むな! 何をやっている!? 相手はたったの一人だぞ!? 束になって掛かれっ!]


 竜之介は夢野を庇いながら、巧みに風を操り、べトルクの居る部屋の近くまで来ていた。


「夢野、其処の石柱に隠れていろ! お前を巻き込みたくは無いからな……」


「は、はいっ!」


 竜之介は夢野の安全を確認した後、風神を敵に向けて真直ぐ構えた。


「来いよ……俺の師匠の技から編み出した必殺技――」


「風神……千手」


 そのまま柄側の手首を返して風神で円を描く。その瞬間、風神の刀身から激しい旋風が巻き起こり、うねりを上げた風は、大きな手と変化し、チェスに襲い掛かっていった。


[あ、あ、あああああっ!]


 その手に捕まった一体のビショップが、手の中へと引き込まれると、その中で踊るように激しく回転した後、引きちぎられる様に鎧と肉片が飛び散った。


[か、交わせっ! あの手に捕まったら、鎧毎バラバラにされるぞっ!]


[こ、こんな夥しい数の手など、交わせる訳が――あああ! こっちに来たああああっ!]

 

[ぎっ、ぎゃあああああっ!]


 断末魔の悲鳴が飛び交う中、一人の男が姿を現すると、その手を一瞬にして吹き飛した。その男の鎧の両肩に装備されている銃らしき銃口からは微かな白煙が上がっている。


[下がりなさい。お前達]


[べ、べトルク様っ!]


[本来の力――否、それ以上の力を得たようですね? 流石です、竜之介君]


「べトルク……いや、才奇誠――やっと会えたな」


 竜之介の口から、もはや捨て去った名前を耳にしたべトルクの表情が一変した。


[き、貴様、何故その名をっ!]


[止めろ! その忌々しいその名を口にするな! 私はべトルク、此処に於いて、最も優れた頭脳を持つチェスだ!]


「さ、才奇君……っ!」


 石柱の影から、変わり果てた才奇を見た夢野は苦しそうに目を細めた。


「べトルクだろうが、才奇だろうが、そんなのどうでもいい、一発ぶん殴ってお前の目を覚まさせてやるぜ!」


「おらあああっ!」


 低く早く床を踏み込み、べトルクの足元に滑り込んだ竜之介が、拳を固めて殴り掛かろうとした時、その口元が大きく歪んだ。


[――さて、それはどうでしょうかねえ?]


 べトルクが冷ややかに言い放った後、竜之介の目の前に、大型ランスの矛先が出現した。


「何いいっ!?」


 紙一重でそれを風神で受け、体勢を整えて顔を上げた時、竜之介の目の前にはランスを肩に担ぎ、無表情で竜之介を見据える玉美の姿があった。


「お、お前は――玉美っ!?」


[…………]


 玉美は竜之介の声に何も反応しない。只、黙って竜之介を見ているだけであった。


[さあ、竜之介! お前がほざいている『愛の力』とやらを私に見せてくださいいっ!]


 べトルクが狂喜の声を上げた時、竜之介に耳に以前聞き覚のある忌々しい声が聞こえてきた。


[ほう。これは、中々面白そうな余興だ……]


[秀光様、この者は私に任せ、私の傍から暫しお離れください]


[良い。我も竜之介が相打ちし、長信同様、無様に死にゆく姿を見たいのだ……]


「秀光……貴様、よくも……っ!!」


[我が憎いか、竜之介。なればその者を倒し、我に向かってくるがいいっ! クカカカカカっ!]


「己、ひでみつぅうううッ!」


[お忘れですか竜之介! お前の相手は秀光様では無いっ! 我々の忠実なる『クイーン』だあっ!]


 その言葉に反応した玉美がランスで突き立てて、矢の様に竜之介を攻める。


「ぐおおお!?」


 竜之介は風神の刀身で凌ぎながら、玉美に向かって叫ぶ。


「や、止めろ! 玉美っ! 俺の事が分からないのかっ!? 俺だ! 竜之介だ! 俺はお前を取り戻す為に此処まで来たんだ!」


[りゅう……のすけ……来た?]


「そうだ! 俺と一緒に帰ろう!」


[私…………を取り戻す……違う……私は、誰にも……愛されては……いない]


「――っ!」


[ふ、ふはははははっ! 分かりましたか、竜之介! それが愛とやらの本性なのです! そんなものは何処にも存在しない、有りはしないのですっ!]


 両手を横に広げながら、べトルクは狂った様に高笑いをし始めた。やがてそれがピタリと止まると、


[――玉美、竜之介に止めを]


 冷酷に言い放つ。命令に従い、技の体勢に入った玉美のランスからは激しい雷が迸り始めた。その威力が増していく中、竜之介はその懐に電光石火で飛び込み、そのランスの矛先を風神を握る左手で抱え込んだ。


「くそおおおっ! 玉美いいっ! がああああああっ!」


 竜之介の甲冑を通して体内へ一気に雷が流れ込む。ダメージを受けた風神の刻印が一気に2つ消滅した。


[はっ!? 馬鹿ですか貴方は! 自ら敵の技に掛かるとは! そのまま死んでしまいなさいっ!]


 竜之介の無謀な行動にべトルクは失笑して叫んだ。


「へっ……相変わらず、桁外れな力だな……玉美。流石、俺の隊長だけの事はあるぜ……持ち応えるのが精一杯だぜ……っ?」


[離……せ。竜之介……殺……す]


 雷に打たれながらも、竜之介は言葉を重ねた。


「なぁ、玉美。俺、一つ分かった事があるんだ……」


[………………殺す]


 竜之介の腕から、ランスの自由を取り戻そうする玉美は必死に引き抜こうともがくが、竜之介はそれを許さなかった。雷撃の苦しさに耐えながらも、竜之介は玉美に想いを告げ続けた。


「大好きな奴に裏切られ……忘れられてしまう……そんなの、嫌だよな……悲しいよな……とても、心が苦しいよな……本当に悪かったな……」


「だ、だからよ……俺は……お前がどんなに、俺の事を、忘れてもなぁああ」


「どんなに、裏切られてもなあああああ!」


「俺の愛は不動おおおおっ! ずっとお前を愛してるぜええええ!!」


 ランスを下へ押さえつけながら距離を詰めた竜之介は、玉美に抱き付いた後、手を頭の後ろへ回すと、強引に口づけをした。


[――!?]


 その瞬間、玉美の両目からは止め処もない涙が零れ落ち、首筋に食い付いていた寄生虫が離れ、大きく膨らんだ後、空中で破裂した。


[――なっ! わ、私の寄生虫が外れただとっ!? そんな!? あり得ないっ!]


 ゆっくりと瞳に輝きを取り戻していく玉美に竜之介は優しく声を掛ける。


「――やっと、お目覚めか? お姫様?」


「……来るのが遅い……馬鹿王子」


「色々立て込んでてな……悪かったな……」


「ねえ? さっきのあれ……もう一回言ってよ……?」


「――う!? な、何の事だか!?」


「私、ちゃんと聞こえたんだから! 『俺の愛は不動、お前を愛している』って――」


「わ、うわあああああああ!」


 竜之介は勢いで言った言葉を玉美に復唱された瞬間、頭を抱えて、床を転げまわるイメージを脳内で繰り広げながら大きな声を張り上げた。


「そ、そ、そんな事より、玉美、い、一緒に秀光を倒そうぜ! ほっ、ほら、これお前の!」


 ごまかす様にして馬型を玉美に手渡した。


「……しょうがないわね。でも、後でもう一回ちゃんと聞かせてよ!」


「か、考えておく」


[……べトルクよ、このような結末を我に見せるとは……これは一体どういう事だ?]


 不機嫌そうな顔を浮かべた秀光がべトルクを睨む。


[ひ、秀光様! こ、これは何かの間違いです! 今度は私の力を持ってそれを証明してみせます!]


 べトルクの身に纏った鎧から何かの機械が高速で回転する音が聞こえ始めた。自分を取り戻した玉美は高々と馬型を掲げ叫ぶ。


「さあっ! 出ておいで、私の可愛い子!」


 べトルクの視線の先に、咆哮を上げながら、白馬が再び姿を現す。それを見たべトルクは苦痛の表情を晒した。


[そ、それは、あの時の白馬――何故此処にっ!?]


[くそ、なんて忌々しい馬だ! 私が一時の感情で生み出してしまった、悍ましい失敗作!]


[そんなもの私の目の前に晒すとは! この機鎧きかいで今度こそ粉々に分解してやるっ!]


 銃口が回転し、白馬に照準を定めた。


[消えて無くなってしまえええっ!]


「それは駄目えっ! 才奇君っ!」


 べトルクが弾丸を発射しようとしたその時、此処に居る筈の無い女――夢野が白馬の前に両手を広げて立ち塞がった。


――あ、ああああ!? ゆっ、夢野さんっ!? 何故ここにいいっ!?。


[う、うわああああああっ! 間に合ええええっ!]


 瞬時に銃身の角度を変え、打ち出された弾丸は白馬を避けて、遥か後方に命中した後、大きな音を立てて爆発した。


「才奇君! お願い私の話を聞いて!」


 夢野の涙を見たべトルク――才奇はその場で固まってしまった。


――ゆ、夢野さんは、今更僕に何を言おうと言うのか!?。


「わ、私、貴方がこの馬型を持って来てくれた時、その、お友達が居て……それで……」


――や、止めろ! そんな話は聞きたくはないっ! もう、いいんだっ! お願いだから、それ以上は言わないでくれ!。


「恥ずかしくて……皆の前では……本当の事が、言えなくて……」


――だから……え? 待て。夢野さんは今何と言った? 本当の事だと言ったのか?。


「わ、私、本当は……本当は物凄く嬉しかったのっ!」


――な、何だと!?。


「そっ、それで、その馬型が完成した時、ずっと言おうと決めていた事があるの……」


[…………な、何を……い、言おうと……してたのですか?]


「それは――」


「私、夢野薫は――才奇誠が大好きだと……」


――ば! 馬鹿なあっ!。


[う、嘘だ……っ!]


「才奇君……目を逸らさないで、私の目をちゃんと見て!」


 才奇は体を震わせて、恐々と夢野の瞳を見る。夢野は眦を上げしっかりと才奇を見つめていた。


[う、あ、あああ……]


 それが「真実」である事を才奇が理解した瞬間、才奇はゆっくりと後方へ後ずさりをし始めた。


「だから……お願い、才奇君、私と一緒に帰って……」


[は、ははは……何ですかそれは……? 私には訳が分かりません……]


「才奇君、この白馬を私に見せたかったんだよね? 私、分かるよ……物凄く伝わって来るよ――」


「――才奇君の『愛』が……!」


――ああっ! 何て事だ! 僕の心は夢野さんにちゃんと伝わっていたんだ!。


[そう……だったのか……]


[べトルク、もう良い、我の後ろへ下がれ。我はもうこの茶番を見飽きた。自らの手で全てを消し去ってくれよう]


[秀光様……それは出来ません……]


[――何?]


[夢野さん……人間が持つ感情、愛とは、とても表現し難く、見え隠れするものなのですね……]


[それを……確かめる為には、互いがしっかり向き合って目を合わせ――確かめ会わなければならない]


[あの時、僕に僅かな勇気があったら――君の瞳をしっかり見る事が出来ていたのなら……]


[こんな悲しい結末を迎える事は無かったんだろうね……]


 才奇が秀光の腕を掴んだ瞬間、機鎧の蓋らしき一部が外れ、操作パネルが表れた。才奇がパネルを操作し終えた瞬間、二人が居る場所の床が罅割れ激しく音を立てて崩れ始めた。

 

[……竜之介君、そして、夢野さん……最後に答えを教えてくれて、有難う……]


 才奇が掴んでいた手を離すと、秀光の腕に何かの装置が付けられていた。


[――貴様あああ! 我を、この我を裏切ったなあああ!]


[すみません、秀光様。全ての解答を得た今、貴方は既に私の『敵』なのです……]


[お、己えええ! 才奇いいいいっ!]


[ぬう! これはどうした事か!? 我の力が、我の力が出せぬっ!]


[秀光様……どんなに足掻いても無駄ですよ。言ったでしょう? 私はチェス、否、棋将武隊で最も優れた頭脳を持つ男。その枷は絶対外れません]


[ぬあああああああああっ! きっさまああああ!]


――さようなら……夢野さん……再び生まれ変われるなら、その時はきっと――。


 崩れ落ちていく瓦礫と共に、暗く深い闇の底へ沈む覚悟をした才奇であったが、急に体が浮き上がったかと思うと、強い力に捕まれ、光の外へと連れ出された。


「よおっ! 色男!」


[な!? 竜之介君っ!?]


「いやー……白馬の王子が男を抱き抱えるってのは最悪な画なんだけどよお」


「お前は最後まで見届けなければ駄目だ! 彼女から逃げてるんじゃあねえ! 死ぬなんて百万年早いっ!」


[り、竜之介君……すまない、ぼ、僕は、う、ううっ!]


「うわ! 気持わりいっ! お前、泣きながら俺に抱き付いてんじゃねええっ!」


 救出された才奇は、白馬から降りると、ゆっくりと夢野へ近づいて行く。その表情はチェスでありながらも、以前の才奇そのものであった。


[あ、あの……夢野さん、本当にこんな僕でいいんですか?]


「――その答えは、先程言ったよ? 才奇君」


[そ、そうですね……]


「だから、今度は才奇君からその言葉を聞かせてね?」


[…………は、はい、が、頑張ります]


「さて……向こうも片付いたみたいだし、俺達もそろそろ引き上げるか」


 秀光を直接自分の手で倒せなかった事に後ろ髪を引かれつつも、竜之介は帰還する事にした。


「だけど、本人はまだ気づかないのかしらねえ? ま、竜之介程じゃあ、無いけど。ね?」


 目を皿にして、才奇を見ながら呆れるように玉美は言葉を漏らした。


「ん? 玉美。何をだ?」


「まぁ……男共には分からないだろうねえ。ねぇ? 夢野さん」


「え? そ、そうですね……」


 竜之介と才奇は互いに顔を見合わせた後、首を大きく横に傾けるのであった。







 ――それから何日が過ぎ、玉美が心待ちにしていた縁日の日が訪れた。十洞千国の商店街には、古風な提灯が静かに灯り、神社の近くでは誰しもの耳に心地良く流れてくる音楽と共に、それに呼応するかの様に太鼓の音がテンポ良くリズムを刻んでいた。加藤組の子分達と共に竜之介は「松」の特等席で屋台を構え、玉美と一緒に楽しくたこ焼を売っていた。


「へい! らっしゃい! らっしゃい! たこ焼きどうですかあ? うちのはほっぺがおっこちる程、美味しいよおっ!」


「それに、何と、此処じゃあ、この度の優勝者が技を披露してくれるぜ! ですよね? 竜之介さん!?」


「え? あ、ああっ! もちろんだぜっ!」


「やったあ! やって見せて! おっちゃん!」


「て、てめっ! このクソガキ! 何がおっちゃんだ! お兄さんと呼びなさい! お兄さんとっ!」


「ぷっ、竜之介、そりゃ、おっちゃんて言われるわよ? 竜之介の鼻の下、髭が生えた様にソースが付いてるんだから。もう。ちょっと、じっとしてて……」


 玉美が竜之介の口もとに付いたソースを綺麗な布で、優しく拭いて見せる。


「わー。この二人らぶらぶだー!」


 それを近くで見ていたお下げ髪で、頭の上に可愛らしい赤いリボンを付けた女の子が、指をさしながら燥いだ。


「なっ、何だ! このマセガキっ!」


「そうよー。私と竜之介はとてもらぶらぶなんだよぉ?」


「うわ! 玉美急に何を――!?」


 それに応えるように、玉美はわざと竜之介に抱き付いた。


「ふーん……そっかあ、いいなぁ」


「大丈夫。あなたは『私に似てとても可愛い』から、直ぐに周りの男がほっとかなくなるよ」


「えー? 本当?」


「本当だよ。もし、本当に好きな男の子が出来たら、その子の事、どんな時でもしっかり想ってあげて。そうすればきっとその気持ちが伝わるから……」


 玉美は目を優しく細め、女の子に言葉を重ねた。


「うん! 分かった、ありがとう、おねーちゃん!」


 目を輝かせ、大きく頷いた女の子は踵を返すと、兎が嬉しそうに撥ねる様にして軽やかに駆けだし、神社の奥に溶け込んで――消えた。


「すみませーん! たこ焼きひとつ、いいですか?」


 そんな竜之介達の前に、何処か聞き覚えのある声の客が現れる。


「はい、毎度あ――り?」


「あ、お前等は……!?」


「お久しぶりです、竜之介君……」


「おお……才奇君に夢野さん。やっと普通の生活が出来る様になったのか?」


「いや……まあ、僕にはまだ監視付きなんだけどね……」


 才奇はその後、唯の力によって人間に戻れたものの、秀光に加担した罪を償う為に暫く監禁され、今、ようやく外の空気を吸う事が叶ったのであった。苦笑いした才奇は視線を流しながら、竜之介に監視がこちらの方を伺っている事を知らせた。


「成程ねえ……ご苦労なこった」


 竜之介は溜息を吐きながら、監視する者達を見つめる。


「でも、こうして才奇君と一緒に縁日に来る事が出来て、私、本当に嬉しいよ」


「ゆ、夢野さん……はは、照れるなぁ」


 和やかな雰囲気の中、夢野の姿に気付いた女達が小走りに駆け寄って来た。


「あれ、夢野じゃない? おーい、夢野ー!」


「あ……」


 その女達は依然、才奇が立ち去ったあの廊下に居合わせた女達であった。


「夢野も縁日デート? 私等もだよ? で、私達イケメンな男と一緒だから、さっきから目立って困っちゃってさあ」


「で? 夢野はどーせ一人? って、あははは! ごめんねえ、つい――!」


 と、女が皮肉の言葉を続けようとした時、夢野の隣に背が高く、前髪を上げて後ろに流し、程良い角度で真っすぐ伸びた眉に流れる様な目を持った男に気付いた。


「え? あれ……? だっ、誰? この物凄く格好良い殿方は……!?」


「馬鹿だねえ、当の本人はまだ気づかないんだ……」


 その言葉を聞いた途端、玉美は呆れ顔でその男を見つめる。


「玉美……俺も何となくだが、気付いていたけどよぉ……」


 目を皿にした竜之介もその男を見ながら言葉を漏らす。


「あのお、私、今日一人なんですけど良かったらご一緒――」


「お、おい! 俺の事は!?」


 先程まで女に付き添っていた男が、怒りを露わにしながら自分を指差した。


「煩い! さっさと何処にでも消えろ! この三枚目がっ!」


「ひっ、ひでええ……」


 傷心したその男はふらふらと女の元から立ち去って行った。


「おほほほ。し、失礼! で、あ、貴方のお名前を教えてくれないかな?」


「え? ぼ、僕ですか? 僕は――」


「うんうん、僕は?」


「――才奇誠と申します」


「うんうん……才奇誠君、いい名前ですね……って、ん? 才奇? 才奇ってまさかあの気色悪いあの……」


「そうです……僕がその『気色の悪い』才奇です」


「え? え? え? ええええええっ!?」


「――そして、その才奇君の彼女が……私、夢野薫でーす。じゃ、あっちで一緒に美味しいたこ焼を食べようか? 才奇君」


 すかさず、才奇の腕にきゅっとしがみ付く夢野。


「う、うん、そうだね。行こう、夢野さん……じゃあ、竜之介君、玉美さんまた!」


「監視付きでやり難いだろうけど、しっかり縁日楽めよっ!」


「うほん! それじゃあ竜之介君。私達も山本達に店番をお願いして、ぼちぼち一緒にあちこち見て回ろじゃあないかね?」


 竜之介が山本を見ると、「しっ、しっ、勝手に何処にでも行きやがれ!」という仕草を手で表した。


「ああ……そうだな。じゃあ、行くか!」


「うんっ! 行こう、行こうっ!」


 前掛けを外して、通りに出た二人の前に先程の女が呆然と立ち尽くしていた。


「あれ? あんた、まだ此処に居たの? 早くさっきの男でも探したら?」


 捨て台詞を残した玉美は、強引に竜之介の腕を掴むと、賑やかそうな光の中へと飛び込んで行った。


「う……う、う」


「嘘でしょおおおおおおおおおお!?」


 見た目でしか男の価値を判断出来ない哀れな女の叫び声は、縁日を楽しむんでいる人達の声で掻き消され、また、本当の愛に育まれた仲睦まじいカップルの二組は、心行くまで縁日を楽しむのであった――。


「と成」の竜之介 加藤玉美編(完)


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