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■加藤玉美編(捨)

[どうした? 才奇。 お前らしくも無い、その面持、何か考え事をしておるのか?]


――チェス界。秀光に才奇と呼ばれたその男は、ふと我に返り、静かに口を開く。


[――秀光様……その名はとうに捨て去りました。どうか私の事はベトルクとお呼びください]


[そうであったな、許せ、ベトルクよ]


[いえ、滅相もありません。少し自分の課題について考えておりましたもので、キング――秀光様の前でとんだ失態を……申訳ありません]


[良い。其方は、十分我の期待に応えておるからな。それに……最高の土産を持って帰って来てくれたしな。そうであろう? 我の忠実なる部下――玉美よ?]


 秀光のすぐその傍で大型のランスを握り、その両目は既に輝きを失ってしまった玉美が、呪文の様に呟く。


[……はい。私は……秀光様にお仕えする為、此処に参りました……]


[クククク、愉快。我はとても愉快なるぞ、べトルクよ。誠、最高の土産だ]


[それは、それは何より……それでは私は魔石研究の続きがありますのでこれで……]


 深々と一礼をしたべトルクは、秀光の元から離れていく。城内の廊に自分の足音を響かせながら、べトルクは自分がまだ才奇と名乗っていた時の事を思い出していた。 


「見ろよ、才奇の奴、まだ馬型の研究やってるぜ?」


「馬鹿じゃねえの? 鍔の仕組みを解析して、同じように馬を形成しようとするなんてな」


「本当、出来る訳無いのにねえ……無駄な研究を続けやがって」


 その頃、嘗ての『職人』と言われた者達が生み出したの鍔の解析は不可能と言われており、才奇はその結倫に抗う様に、その解析を進め、新たに「馬型」を生み出そうとしていたのだった。


「才奇君、どう? 馬型、出来そう?」


 そんな才奇が目を皿にして図面を覗きこんでいたその視界に、あどけなく微笑んだ女の顔が飛び込んで来た。


「うわっ! びっくりした……!」


「あ……夢野さん……あの……もう少しで出来そうなんだけど……その、まだ……分からない……ところが……」


 当時の才奇は、自分の意見もはっきりと言えない大人しい性格で、前髪はそれを象徴するかの様に、おどおどとしながら夢野を見る才奇の両目を隠していた。


「そう、才奇君は皆より物凄く頭が良いから、私はきっと出来ると信じてるからね! 完成したらその馬型を私に見せてね! 絶対だよ?」


 そんな自分に臆する事も無く、自分の気持ちを理解してくれる夢野に才奇は今までに無い感情が沸き上がってくるのを感じていた。


「う……うん、夢野さんには……僕が作った……は、は、白ば――」


「夢野! そんな所で何やってるの! 早く行かないと食堂閉まっちゃうよっ!」


「あ! ごめんごめん今直ぐ行くから! ……じゃあ、才奇君、馬型の研究頑張ってね!」


「……あ、ありがとう、僕、頑張るから……ま、待ってて……」


 それから数日後、才奇はその期待に応える様に鍔の解析に成功し、馬型を完成させたのであった。


「……で、出来たぞ! や、やった! 馬型が遂にか、完成したぞ……っ!」


 完成した馬型を手に取り、いつも行動がゆっくりめな才奇がその時は息を弾ませながら、研究室から踊り出た。その勢いに乗って才奇は自分の視界にある人物を捉えようと必死に廊下を走った。

 

「い、いた! ゆ、夢野さんだ」


 夢野の姿を捉えた才奇は、片手に持った馬型を翳し走り寄って行く。


「ゆ、夢野さん……う、馬型が遂に完――」


 廊下を抜け、今正に夢野の前に出ようとしたその時、別の女の声が才奇の耳の中に飛び込んで来た。


「でさあ、夢野、本当の所、あんた才奇の事をどう想っているの?」


「ま、まさか、あんた、才奇の事が好きなんじゃあ――」


 更に別の女が、才木の心臓を握りつぶす様な言葉を言い放つ。


「うっそおおおお? 本当に!?」


――ゆ、夢野さん……。君は僕の一番の理解者……きっと僕を……。


 だが、そこで才奇の期待は見事に裏切られる。


「ば……馬鹿ね。そんな訳ないじゃない、誰があんな気色悪い姿をした研究の虫なんかを」


「――ううっ!!」


 その瞬間、何かが落下する物音がしてから直ぐに、夢野の足先に何かが転がり、こつんと当たって倒れた。それに気付いた夢野が手に取って顔を上げた時、その視界の先で呆然と立ち尽くす才奇を見て、思わず息を飲んだ。


「ぼ、僕は……何て愚かだったんだ! 今まで人間関係など全く興味が無かった僕が、ありとあらゆる研究の為だけに使っていた僕の心の空間を……たった一人だけ、僕を理解してくれる女性……そう思い込んで開けてしまった!」


「さ、才奇君……っ、貴方……今の話を聞いて――!」


「は、はは。もういいっ……全部どうでも良くなった! 人間とはなんて愚かな感情を持った生命体なのだろうかっ! そしてそれがこの自分に該当するとは、ああっ! なんて悍ましいいっ!」


「ま、待って! 才奇君っ! 今、私が言った事は――!」


「あは、あは……あはははっ! 否っ! そんな事決してあるものかっ! 僕の心が研究以外に揺らぐ筈は絶対にないんだっ!」


 踵を返し、高笑いをしながら才奇は外へ向かって走り出す。それと入れ違う様にして一人の隊長が、肩を震わせ青ざめた夢野の近くゆっくりと歩いてくる。


「貴方達、廊下で大声を上げてはしたない……一体何事ですの?」


「た、玉美様!」


「……あら? 貴方が手に持っているものは何ですの? 私に見せて御覧なさい」


「鍔……ではないですわね、一体何ですの? これは?」


 夢野は、馬型を玉美に渡す事を忘れ、暫くじっと見つめていた。


「――才奇君、本当に馬型を完成……させたの!?」


 夢野の驚きの声はもう才奇には届かない。


「そこを退けろ、私は才奇と申す者! 秀光様に用がある! お目通りを!」


 何重もの警備システムをいとも簡単に通り抜け、才奇は秀光居る部屋を目指していた。何かを失った才奇はこの時、顔を隠していた自身の前髪を全て上げ、鋭い視線で警備兵を睨み付けていた。


「お、お前、此処へどうやって此処へ入ってきた!? ここは関係者以外、絶対立ち入る事が出来ない筈なのに――!」


「……騒がしいな。何事か?」


「ひ、秀光様、この者が勝手に……!」


「良い。お前達はこの者を残して下がれ」


「ぎ、御意――!」


「……さて。先程、自分を才奇と大声で名乗っておったな。我に何か用か?」


 秀光は動揺する事も無く、椅子に座ったまま、威圧する様に才奇を見据える。


「私は今までの人生を全研究に費やした。だからこそ今、この私は不可能を可能にする頭脳を持っています」


「…………」


 秀光は黙ったまま、耳を傾けている。


「秀光様、私は自分が嫌いです。……いや、人間という存在そのものが大嫌いと言った方が正しいでしょう」


「――その考えは、秀光様、貴方も同じではないですか?」


「……我に何を伝えたいのだ?」


「私は知っています。貴方が裏で進めている研究内容、そして貴方が近々謀反を起こし、チェス界に赴く事も……」


「……ほう。貴様、その情報は何処で手に入れたのだ?」


 秀光の表情に変化は無い。だが、才奇がその事を口走った時、秀光の全身からは殺気が溢れ出していた。


「棋将武隊に存在している情報、及び機器類の図面の全てが、この私の頭の中にあるという事です」


「お願いします、秀光様の手で私をチェスに変えてください! そして、私もチェス界に連れて行ってください! 私の頭脳は向こうでもきっと役に立つ筈です!」


「……人間を辞める覚悟があるというのか?」


「はい。私は人間を捨てます、捨てたいのです……どうか、どうか私も一緒に……!」


 その瞬間、周りを張り詰めていた殺気が一瞬にして消え去った。


「く、クククク、面白い、面白い奴だ……我は気に入ったぞ」


「良かろう――そこまでの覚悟を決めているなら、我に付いて来るがいい。お前にも見せてやろう、我の研究成果をな……」


「ありがとうございます。秀光様っ!」


――そして、私は今、姿、名前を変え、こうしてチェス界に居る。


――だが、何故だ? チェス化した今も事もあろうか、デュルガーに好意を抱かれるとは……これは、予想外だったな。


――いや……これも全てまがい物なのだ。デュルガーは私に対して、好意を抱いたと自分が錯覚してしまっただけの事。そうだ、所謂愛などと言うものは何処にも存在しない。そんなものは私の生み出した装置によって簡単に制御出来てしまう、そしてそれは決して誰も覆す事が出来ない事実だ。


「――そうでしょう? 竜之介君……?」


 不気味に微笑みながら、べトルクは竜之介の名を口に出した。


「貴方は自分が好きだと錯覚している異性――玉美の手に掛かってその命を絶たれるのです!」


「さぁ! 此処に来て、早くそれを私に証明して見せて下さいっ!」


「ふ、ふふふ、ふは、ふはははははははっ!」


 甲高いべトルクの笑い声は廊下中に響き渡りながら、次第に遠ざかって行くのであった。


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