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■加藤玉美編(玖)

「嘘だろ……玉美……!」


「くそっ! 玉美はまだ向こうで生きている! 俺が迎えに来てくれるのをきっと待っている筈だ!」


 ――葵と玉美が行方不明になった翌朝。竜之介は現場に残されていた玉美の馬型を見せられ、急いで玉美を救出しようと、完成したばかりの転送ゲートへと急いだ。


「俺は今直ぐチェス界に行くぞ! 行って玉美を取り返すんだっ!」


「だから、今直ぐでも俺をチェス界に転送してくれ――」


 我を忘れ、感情を激しく、口に出した矢先、竜之介の左頬に電撃が走った。


「美柑、いきなり何しや――」


「馬鹿野郎! 竜之介! お前、そんな状態で向こうに行っても直ぐに命を落すだけだぜ!?」


「それにいくら記憶が戻ったからって、肝心の風神が抜刀出来ないじゃねえか! お前、角組「と成」の看板背負ってる自覚があるのか? 言ってみろよ? ああっ?」


「――ぐっ!」


 美柑の言った通り、竜之介の記憶は部分的に戻ったものの、今まで抜刀出来ていた武器――風神の抜刀が出来ない状態にあった。


「……はん! 向こうに渡る転送ゲートの調整にまだ時間が掛かるんだよ、気障な台詞吐く位なら、それまでに風神を抜刀して見せてみろってんだ!」


「そ、そんなの、言われなくてもやってやるぜ……」


 踵を返し、部屋から飛び出していく竜之介。その背中を蛍が慌てて追おうとする。


「り、竜之介! 待つにゃ!」


「ほっとけ、蛍。あいつにはあれ位言わねえと分からねえんだよ」


「で、でも……今の竜之介の気持ち、私には痛いほど分かるにゃ……美柑さんだって――」


「ふん……」


 美柑は煙草に火を点け、煙を思いっきり肺の中へ吸い込むと、天井に向けて勢いよく吐き出した。







「抜刀! ――風神っ!」


「な、何だよ! 何で駄目なんだ? 前は思いっきり抜刀出来てたじゃねえかっ! 何で出来ないんだよ!」


 ――十洞山の山奥にある朽ち果てた道場の前。かって宗政と共に修行したその場所で、竜之介は必死に風神を抜刀しようとしていた。


*竜之介、落ち着くのじゃ! お主、全く精神統一が出来ておらぬぞ! それでは風神の抜刀など到底叶わぬ!*


 以前の竜之介を知るハルは、今の竜之介の変わり果てた状態を見て驚いていたが、なんとかしようと奮闘していた。


「煩いぞハル、さっきからやってらあ! それより、お前こそガキの姿なんぞに戻りやがって、しっかりしやがれ!」


 この時、竜之介は持っていた属性の力が弱まり、以前の様に完全体のハルを召喚する事が出来なくなっていた。


*お主……初めてわしを召喚した時の事を忘れたのか? わしの姿はお主の力に変化する。これはお主の力事態が弱くなってしまっているという事じゃぞ?*


「お、俺の力が――弱くなっただと?」


*そうじゃ。お主から今までの力が全く感じられん、まるで張りぼての虎じゃな*


「み、見た目だけって言いたいのか……?」


*その通りじゃ!*


「ハルはそれが全部俺のせいだって言いたいのかよ!?」


*……そうじゃ、お主が何度抜刀を試みようが、今のお前では全く時間の無駄じゃ!*


 鼻を鳴らし、怪訝そうに竜之介を見る。


「そうか、それなら何で無駄な時間を浪費している俺にわざわざ付き合ってるんだ? 呼んでもないのに勝手に水晶から出てやがって! さっさと帰っちまえ!」


*な、何じゃとっ!?*


 契約した精霊は主人が召喚する事によって、姿を現すのが基本であるが、ハル――上級精霊と言われる者は、この限りでは無く、精霊界から自由に出入りする事が可能となる。最初はその規則に従っていたハルであったが、今回の事件を境に、ハルは竜之介を案じて頻繁に姿を現す様になっていた。


*――そうじゃな……今のお主にはわしの助力など無意味じゃな、言われた通りにするわい*


「ああ、帰れ帰れっ!」


*……今のわしの姿がお主の力じゃと、見せてやっておるのに……この、馬鹿者めが*


「くそっ! どいつもこいつも好き勝手言いやがって! こうしている間にも玉美は……玉美っ!」







「駄目だ……抜刀出来ない!」


 ――空が一面、雨雲で覆われ始めてから暫くして、無数の雨が零れ落ち、竜之介の髪の毛と衣服を濡らし始めた。


「どうすればいいんだ……」


 鍔を握り絞めたまま、その場に塞ぎ込む竜之介。


「ふん、暫く見ない内に随分情けない男に成り下がったな……竜之介」


 竜之介が情けない顔を上げたその先に雨であるにも傘も差さず、場違いにサングラスを掛けている男――山本の姿があった。


「山本さ――し、師匠……どうして此処が!?」


 山本がこの場所を知っている理由。竜之介に接していた各隊長はお互い常に情報交換を行っていた。結局の所、玉美経由で竜之介に関する話を山本は夜な夜な眉間に皺を寄せ、口元を引き攣らせながら、聞かされていたのだった。


「そんなんじゃあ、何時まで経ってもお嬢を助けに行く事なんて出来る訳ねえよなあ」


「…………」


「――竜之介、おめえ俺の技をやって見せろよ」


 山本は懐から千枚通しを取り出すと、竜之介の目の前に置いた。


「え? 千手観音を? 今、俺は以前の力を取り戻す為に剣の修行をしてるんだぜ? それなのに何で今、たこ焼の技なんか――」


「御託はいいから、さっさとやれ。おめえ、俺が言ってる事、ちゃんと聞こえてるのか?」


「分かった、分かった、やって見せればいいんだろ、やって見せれば! こんなの前にも出来たんだ、そんなの簡単だぜ?」


 理由も分からないまま、声を荒げながら竜之介は千枚通しを手に取った。そして今までの様に構えて、大きく叫んだ。


「そりゃああ! 千手観音んっ!」


「――あれ?」


 だが、竜之介の放った技は千手観音どころか、羽をむしられた鳥が無様に翼をバタつかせている姿だった。


「うりゃああああ! 千手観音んんっ!」


「……おろ?」


「てりゃああああ! 千手――」


「――もう良い、止めろ」


「くそっ! 何でだ! 何で出来ないんだ! 前はちゃんと出来てたのにっ!」


「し、師匠、もう少しで出来る筈だから、ちょっと待ってくれ!」


 何度も技を試みようとする竜之介に、山本はそれを断ち切る様に言い放つ。


「いや、今のお前じゃあ、絶対出来ねえ」


「――っ!」


「竜之介……今の自分に何が欠けてるか、頭を冷やして良く考えてみな」


「そんで早くお嬢を助けに行ってやってくれよ……それが出来るのは――」


「竜之介、おめえしかいねえんだからよ……」


 ゆっくりと奏でいた雨音のリズムが次第に短くなり始めたその時、山本はその音に重ねる様にして本音を口から漏らした。


「師匠……」


 竜之介がだらりと下げた両手に握られていた千枚通しの針先から小走りに雨の滴が一滴、また一滴と落ちていく。視界の悪くなり始めた竜之介の目はぼんやりと山本を見ていた。


――そう言えば、師匠って誰かに似てるんだよな……。


 そう竜之介が思った時、山本に重なる様にして宗政の姿が映り込んだ。


「ああ、そうか、宗政さんだ。姿勢というか雰囲気がそっくりなんだ、何処となく静寂を持っているところが――あ!」


「お、俺は今まで気持ちばかり焦って、肝心な事をすっかり忘れていた……風神の抜刀は『無』でなければ駄目だったんだ!」


「それなのに俺は、早く抜刀する事だけ考えてしまっていた……はは、こんな簡単な事、今まで何で気付かなかったんだ!」


 大事な事に気付いた竜之介は雨音に耳を集中し、その中に自分を誘っていく。


「……すぅ……はああああっ」


 静かに呼吸を整えながら、ゆっくりと瞼を閉じた。


「沈まれ……俺の心。雨の声を聞け……更に自分を無の境地に…………誘え」


 本降りである事を知らせる雨音にも関わらず、その音は竜之介の耳から次第に遠ざかっていく。


「――千手観音」


 竜之介の両手が落ちて来る雨の雫を弾きながら、美しく広がっていく。その様を見た山本は口に咥えていた湿り切った煙草を地面に落としてしまった。


――馬鹿か、竜之介。そりゃあおめえ千手観音なんかじゃねえよ。何て末恐ろしい奴なんだ……俺の技を軽く超えていきやがった……。


「で、出来た! 師匠、見てましたか――?」


 竜之介が再び目を開け、正面を見た時、その視界の中に山本の姿は無かった。その変わりに、降りしきる雨音が耳の中で一気に再生され始めた。


「……師匠、あんたって人は……俺にこれを教える為に……」


「よし……」


 雨の中、地面が水でぬかるみ、足元が少し沈み掛けた状態で、風神の鍔を握った竜之介は静かに腰を落した。


「抜刀――風神」


 再び無心になった竜之介が握った鍔からは旋風の渦が巻き起こり始め、雨の雫を巻き込みながら、風神がその姿を現した。


「ああ、そうだ。俺は今物凄く落ち着いている。その気の流れがこの俺にはっきりと伝わってくる」


「――そして、風神の力は全て自分に宿っている属性だけでは無い事に俺は気付いた……」


「――この想い、ハルに届け、そして俺に、俺に力を貸してくれ」


「――来い……ハル」


*……やっと分かったようじゃな、このうつけ者が……*


 ハルは苦笑いしながら、水晶から本来の姿で竜之介の前に現れた。ただ、何時もと少し違うところは雨がしのげる大き目な葉っぱを手に持っていたという所だ。どうやらハルは雨に打たれたくは無い様だった。


「ハル、俺は今まで風神の力の根源は最初から自分に宿る属性の力によって決まる物だと決めつけていた」


「でも、今思い出したぜ……戦場で宗政さんが力尽きても、姫野さん――あの宗政さんが愛した人を助けるために最後の力が火虎に宿った瞬間を……!」


「――リンクだ。ハル」


*あい、分かった!*


 雨空に向かって葉っぱの傘がふわり舞ったその時、ハルがリンクした風神の刀身から風音を斬る音が鳴り始めた。


――玉美……お前が今、此処に居なくても……俺はずっとお前を愛している……!。


 その想いに応えるかの如く、刀身には駆け抜ける様にして五個の刻印が表れた。竜之介がそのまま技の体勢に入ると、風神の刃は風の勢いを更に上げながら、空から零れ落ちて来る雨を容赦なく真横に弾き飛ばし始める。


「風神――鎌鼬」


 竜之介が風神を斜め上に振り切った時、遠くの大木達が綺麗な斜めの切り口を見せながら、平伏す様に倒れていった。


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