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■加藤玉美編(漆)

「あれだけ騒がしかった試合会場が急に静かになったな……どうやら、終わったようだぜ? 玉美」


 ――前田家の屋敷内。大きな部屋の窓から遠くの試合会場を眺めていた和利は振り向き様、気味の悪い笑みを見せた。


「――そうですの」


 全く興味が無い様に玉美は言葉を漏らした。


「まぁ、結果は見るまでも無く、優勝はお前等、加藤組……いや、玉美を手に入れた時点で加藤組はもう俺の組も同然か、『俺達』の優勝だけどな」


 ゆっくりとベットに座っている玉美に近づいて、その耳元に囁き、髪の毛を手で掬って流す。和利の取った行動に玉美は全く反応しなかった。


「……何時もの様に嫌がらないのか? 玉美」


 以外な反応に驚いた和利は、一瞬だけ手を止めたが、やがてその手を玉美の胸元へと滑らせていく。


「…………」


 それでも、玉美は反応しなかった。その瞳は濁り切り、もう何処を見ているのかさえも分からない。


「くっ! クククク! 俺は夢を見ているのか!? まさかこんな光景が拝めるなんてなあ!」


「最高だ! 最高だぜ、玉美! 竜之介に忘れ、捨てられ、何もかも失ったお前が今、俺の前に居る!」


「玉美いっ! お前はもう、俺の物だあっ!」


 狂喜に叫んだ和利は強引に服を剥ぎ取り、両手の自由を奪って、玉美を上から押さえつけた。だが、玉美は固く口を閉ざし、和利のなすがままだった。


「そうだ! 俺はこの瞬間をずっと待ち望んでいたんだよ! 高飛車だったお前が、俺に反論なんて言わねえ! 抵抗もしねえ! 俺がしたいように出来る只の美しい人形の玩具、そんな今のお前をなああっ! うらああっ!」


 更に和利は息を荒げたまま、自分の体重を玉美の体へ圧し掛け、口から舌を伸ばして、首筋に這わせてゆく。


「……竜之介……本当に、ばい……ばい」


 寂しそうに一言呟き、玉美の濁った瞳に涙が滲んだ――その時、部屋の外から、何かが激しく破壊される音が響き、凄まじい振動が伝わってきた。


「な、なんだああっ!? だ、誰だ!? お前はっ!?」


「は、白馬だ! 白馬が中に入り込んできやがったああっ!」


「ば、馬鹿、そっちに行くな! そっちは――」


「ちっ、こんな時に俺の邪魔をする奴は誰だあっ!?」


「お前達、一体何をやって――」


 部下達の慌てる声が聞こえ、玉美の肌を惜しみながらベットから離れた和利は怪訝そうに扉のレバーに手を駆けて開こうとした瞬間、何か大きな物と激突し、壊れた扉と一緒になって、思い切り吹き飛ばされてしまった。


「ううっ! い、痛ててえ、な、何が起こりやがった!?」


 扉の下から何とか這い出てきた和利が鼻を押さえながら、顔を上げた和利の目には、信じられない光景が映り、目を見開いたまま、その場で固まってしまった。


「お、お前は――まさかっ!?」


 なんとか我に返った和利が必死に言葉を絞り出した。


「……お姫様。遅くなって悪かったな、白馬の王子が迎えに来たぜ?」


 白馬に跨った竜之介は優勝カップを片手に持ち、和利を見下ろしていた。


「きっ、貴様ああっ! き、記憶がっ!?」


「ああ、全部思い出したぜ? 目の前にへたり込んでいる男が、どぶ鼠にも劣る糞野郎って事もな……」


「――くっ!」


 冷ややかな視線で和利を睨み、以前の覇気を取り戻した竜之介を見て和利は狼狽え始めた。


「嘘、ほ、本当に……り、竜之介……なの?」


 竜之介の声を聞いた瞬間、玉美の瞳に一筋の光が差し込んだ。ゆっくりと体を起こし、ふらふらと竜之介へ近づきながら、亡霊を見ているような顔をしたまま、見つめる。


「はは、なんて目で俺を見てるんだ? びっくりしてそんな簡単な事も分からなくなったのか?」


「――え?」


「玉美、お前の馬に乗ってるって事が何よりの証拠じゃねえか」


「――あ!」


 それを聞いた瞬間、更に玉美の瞳に光が差し込んだ。


「さあ乗れ、玉美、一緒に屋敷へ帰ろう」


 優しく手を差し出す竜之介。玉美は嬉しそうにして、その手に触れようとしたが、その寸前で伸ばした指先を塞いでしまった。


「どうした? 玉美?」


「ねえ? 本当に、本当に竜之介……? 夢なんかじゃないよね?」


「――ああ、正真正銘、本物だぜ?」


「この手……この手に触れたら、すうっと消えちゃう――なんて事、無いよね?」


「んじゃあ……思い切って握ってみろよ?」


 胸を押さえ、大きく深呼吸をした玉美は、眦を上げながら竜之介の手をしっかりと握った。その感触が玉美の体を突き抜けた瞬間、両目から大量の涙が溢れ始めた。


「あああっ! 竜之介ええっ! 本物の竜之介ええっ!」


 泣き叫びながら、玉美は竜之介の胸に飛び込んだ。


「今まで……悲しませて、本当に悪かったな、玉美」


 玉美の頭を優しく撫でた後、竜之介は片手で手綱を引いて白馬を出口へと方向転換させた。


「ちょ、ちょっと待てお前等! このまま黙って帰す訳にはいかねえ!」


 背後から怒りの声を上げる和利。その声に反応した竜之介がそのままの姿勢でぽつりと呟く。


「ああ、そうだったな、このまま帰る訳にはいかなかったな……」


 白馬が前を向いたまま、徐々に下がって来た。その足の動きは何かを蹴飛ばす様な準備運動をしている様にも見える。


「な、ま、待て、お前……何をしようとしてやがる?」


 この動作が何を意味しているのか察知した和利の顔が、急に引き攣り始めた。


「いいぞ、遠慮なくやってやれ!」


『ぶるるっ!(了解)』


「う、嘘だろ? や、止めろ、止めてくれ! うわ、うわわわわ――」


 和利の居た部屋の方から窓ガラスが激しく割れる音が響いて暫くしてから、白馬に乗った竜之介が屋敷の外に飛び出して来た。


「うおおおっ! 出てきたぞおっ!」


「皆、弾き飛ばされるぞ! み、道を開けろおっ!」


「何……これ? 竜之介様、本当に凄い……」


 何かドラマのワンシーンを見ている感覚に捕らわれていた羽須美は、自分に向かってくる白馬を唖然として見ていたが、やがて大きな溜息を吐いた後、インカムに口を向けた。


「……さあっ! 見事試合で優勝した竜之介様のクライマックスっ! 白馬の王子様がお姫様を無事救出し、今颯爽と羽須美の前を只今、通過いたしましたああっ!」


「そしてえ、そのまま門の方へ猛然と向かっていったあっ! ああ、もうっ、本当に恰好良すぎるぞおっ!」


 白馬はそのまま砂煙を上げたまま、屋敷から立ち去っていく。その様を見ながら、羽須美は残念そうに口を開いた。


「――ふうっ。行ちゃいました……白馬の王子様」


「……あーあ。私にも、竜之介様みたいな殿方、現れないかなぁ……なんてね」


 踵を返した羽須美はどこまでも広がる青い空を仰ぎながら呟いた。


「……お前の弟子は騒がしい奴だな? 山本よ」


「ああ。全く困った奴だ」


 嵐の様に去っていった竜之介を見送った二十呂と山本が顔を見合わせながら苦笑した。


「賑やかでいい奴じゃないか、俺は気に入ったよ。それに竜之介はお前が乗り移った様にあの技をやってのけやがった。本当に凄い奴だ」


「……千手観音か。まぁ、まだ粗削りだ、完璧じゃねえ」


「ふっ、良く言うぜ? お前、最後はサングラス外して、唖然として見ていやがったじゃないか、フフフフ」


「煩せえ! あれはだな――!」


「フフ、まぁいい。俺の仕事も片付いた事だし、また放浪の旅に出るとしよう」


「――もう、行くのか?」


「ああ……次会う時、その手を完全に直しておけ、お前でまたリベンジさせて貰う。じゃあ、達者でな」


 二十呂は少し歩いて、その足を止めた。


「しかし、俺と同じはぐれ者だったお前が、何の因果で一つの組に収まったのか……フフ、まぁ、どうでも良い事か」


 一度だけ片手を上げた二十呂の背中は、次第に小さくなり――消えて行った。


「……ああ、分かった。楽しみにしておくぜ」


 山本はサングラスの中央に中指を当て、上に持ち上げる仕草をした後、懐から煙草を取り出し、火をつけた。






「え――では、加藤組を優勝に導き、見事『松』を勝ち取った竜之介さんに敬意を表しましてえ――乾杯いっ!」


 ――加藤家屋敷。見事「松を」勝ち取った竜之介を称え、中庭に席を設けた加藤組の者達は、豪華な料理と高価な酒を並べ、盛大な宴会を催していた。


「かんぱーいっ!」


「くううっ! 勝利の美酒、うんめええっ! うははははっ!」


 子分達は勝利の美酒に酔いしれている。


「親父……二人を認めてくれてありがとう」


 正清は酒瓶を傾けて、大きな杯に酒を注いだ。


「ふん……優勝されては何も言えんわ。まさかあやつが本当にやってのけるとはのう、命拾いしおって、全く運のいい奴め!」


 一気に酒を喉へ流し込んだ正忠は心地良い深い溜息を吐いた。


「しかし……千手観音、誠に見事な技であった!」


「そうだな、あんな神々しい技を見せられるとは……全く竜之介君を棋将武隊に帰すのが、とても口惜しい」


「何を言っておる、あやつはもう加藤家の物だ。これからは大いに活躍してもらわんとな!」


「い、いや親父、そんな事を言っても無理な物は無理なんだって!」


「何だと! 駄目なのか!? ならばわしが今直ぐ棋将武隊に赴いて、直接王将に掛け合ってやるわ!」


「だーっ! 親父、お、落ち付いてくれ!」 


 本気で棋将武隊へ行こうとする忠正を必死で押さえる正清であった。


「おんやあ? お嬢と竜之介さんの姿が見えないぞ? おめでてえ両人は一体何処に行った――」


 子分の一人が忽然と居なくなった竜之介達に気付いて、辺りを見回し始める。 


「ば、馬鹿野郎、そんな事を兄貴の前で口走りやがって!」


「――あっ、しまった!」


 確かに山本はそこに立っていた。が、慌てた子分達が再度見た時にはもうその姿は無く、その近くに植え付けられている花達が静かに風に靡いているだけだった。


「……暖かい。本当に竜之介だあ」


「まーだ、そんな事いってやがる。本当に疑り深い女だな」


 ――玉美の部屋。薄暗くしたその中で、竜之介達はベットの上で体を寄せ合い、互いの温もりを感じ取っていた。


「そんな女に誰がしたの?」


「ううっ!」


 本来の自分を取り戻した玉美が慌てる竜之介を見ながら悪戯ぽく笑った。


「……ねえ、竜之介はどうやって自分を思い出したの?」


「ああ……それはな、この縫いぐるのお陰なんだ」


 棚に置かれた針鼠の縫いぐるみを取って、玉美に見せる。


「縫いぐるみ――天竜様を思い出したって事?」


「ああ。師匠が一度だけ俺に呼び掛けてくれた……『情けない、それでも青き風を司る者か』ってね」


「え? まさか、本当に天竜様が!? そんな、あり得ないよ。だって天竜様は貴方を助ける為に――」


「なんだって? それは一体どういう事なんだ!?」


「そっ、それは――」


「教えてくれ! 玉美、師匠は一体、何処にいっちまったんだ!?」


「竜之介……落ち着いて聞いて」


 玉美は、瀕死状態で、もはや手の施し様の無かった竜之介を天竜が自分の持つ力の全てを授け、この世から消えていった旨の説明をした。


「な!? 師匠は俺を助ける為に自分の力を投げ出したって言うのか!?」


 玉美は静かに頷いた。


「は、はは……嘘だろ、師匠はなんて馬鹿な事をしたんだ!」


「竜之介、そんな事を言っては駄目! だから今、こうして貴方が私の目の前に居てくれるのだから!」


「す……すまない。そうだよな。うん」


「その後、私は唯さんに無理を言って、この縫いぐるみを譲って貰ったの」


「そうか、師匠は消えてしまったのか……」


「でも、一度だけ俺に答えてくれた師匠は確かに、あの懐かしい声だったんだ……ありがとうございます、師匠」


 目を細め、大事そうに縫いぐるみを見つめる竜之介に玉美がそっと体を預けてきた。


「……玉美?」


「お願い……竜之介、二度と私を忘れないで……自分を偽って生きてきた私は、誰にも分って貰えず本当に苦しかった」


「だけど、そんな泥沼から救ってくれたのは竜之介、貴方なの。だからお願い、私を忘れないで、そして――私を二度と離さないで!」


「分かった……俺はお前を絶対に離さない」


「本当? 絶対だよ? 竜之介……んっ」


 一瞬、ふわりと甘い匂いが竜之介の鼻を擽った後、互いの唇が静かに重なった――が、急に玉美は息を荒げ出し、獲物を襲う虎の様に激しく何度も口づけを繰り返し始めた。その勢いに押され、竜之介は大事に握っていた針鼠の縫いぐるを手放してしまい、床に転がり落としてしまった。


「ぷはっ! た、玉美、ちょっと待ってくれ!」


「……駄目。待ったなし」


 吐息の交じった声を出しながら、竜之介の上を支配する玉美。急に怖気づいた竜之介はなんとか逃れようとして、床に転がってこちらを向いている縫いぐるみを指差して叫んだ。


「ち、違うんだ! その、そこで、し、師匠が、師匠が見てる気がしてっ!」


「ん――? 天竜様……?」


 玉美は一瞬だけ縫いぐるみに視線を向けると、「ふっ」と失笑した後、近くにあったタオルを縫いぐるみに投げ、すっぽりと隠してしまった。


「はい、これで天竜様は見えません――問題は解決しました。じゃあ……続けようか? 竜之介」


「う……う、うわああああっ!」


 加藤家の屋敷内に竜之介の悲鳴が響いたが、勝利の美酒に酔いしれる加藤組の者達は誰も気付く事は無かった。只、一人だけ遠目から玉美の部屋を見つめ、煙草を燻らせる男だけを覗いては。


「――ふん、今夜も冷えるぜ」


 踵を返した山本は、酒瓶と盃を両手に持って掲げ、嬉しそうな顔をして自分に向かって大声で叫ぶ、子分達の方へとゆっくり足を向けるのであった。


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