鏡7
ようやく……本命登場です。
それから、どのぐらいの時間経ったのだろうか。長い時間を過ごしたのかもしれないし、短かったのかもしれない。それは私にはよく分からなかった。
ただ風だけが冷たさを増した気がする。相変わらず不気味な静寂だけが支配する公園で私は移動もせずにブランコに座っていた。風に押されたのか微かに揺れる隣のブランコにはもう晃子の気配さえどこにも残っていない。冷たい空気だけが流れている。
「――どうしてだろう」
ポツリ言葉を落とすように呟く私は、酷く陰鬱な気分で持っていた『それ』を見つめていた。どのぐらい古いものなのかは知らない。それは小さく古びた銅鏡だった。小さな手鏡。今の物とは違って重くそれが映し出すものはどこか歪んでいた。けれどそれぐらいがちょうどいい。自身の醜い顔を映し出してそう思う。
これは代々受け継がれてきた鏡なのだと聞いた。父も祖父も。曽祖父も子供の頃これをお守りに持っていたのだと。これのおかげで曽祖父は戦争を生き抜いたのだと言い、父は死亡するような事故から生還したのだと言った。
私は空に浮かぶ三日月に目を向ける。
私――私たちには何があるのだろうか。妹と私。二対の鏡を持つ私たちには何かあるのだろうか。
私は虚ろにそれを手で弄んだ。
『いい? よく聞きな。千里。万里。この鏡には不思議な力がある。――願いを叶えることができるんだ。どんな願いでも一つだけ叶えてくれる。ただし正しい願いだけだよ。――欲を持ってはいけない。正しい願いだけが叶うんだ』
そんな事を祖母が言っていた気がするが、それは結局何も叶わない。と同じことなのではないだろうか。どっちにしろ、眉唾だったけれど。私は自嘲気味に口許を歪めて見せた。考えたことがあまりにも突拍子の無いことの様に思えたためかも知れない。
「願いね」
なら。と私は小さく自嘲気味に息を付いた。願いが本当に叶うのなら。
「誰か」
風に乗る様に私の声は誰にも届くことなどなく小さく響いて消える。私は鏡を抱き留めるように身を屈めた。
――どうか
息が詰まるようだ。どうしてこんなに苦しいのだろうか。何もかなんてことの無いことのはずなのに。どうして苦しくて、どうして先ほどから一つも涙一つ流せないのだろうか。
小さく言葉は口許を零れ落ちるがその声が響くことはない。だけれど。
――最悪な気分の今の私を
「助けて!」
悲鳴にも似た声だったかもしれない。
刹那――私の声に答えるようにして一陣の風が私の前をすり抜けた。なぜか微かに鼻孔をくすぐるのはバラの匂いのような甘い香り。涙も吹き飛ばしてしまうような風は頬を掠めて通り過ぎて行った。
そこに、その人だけを残すように。
「――え?」
いつからいたのだろうか。驚いた様に目を見開いている私の目の前には、美しい人が立っていた。女性とも男性とも取れる中性的な顔にサラサラと流れる漆黒の髪が掛かっていた。長い睫。薄い唇。その薄い――秋とは思えない――白い和服から男性であることは窺えた。ただ彼の顔はまるで死人の様に白い。
夢なのだろうか。と私は目を瞬かせた。ただそれに対して彼は不満そうに優美な眉を潜めて見せる。
「貴女は我慢しすぎですねぇ。優しいと言えば優しいですが。それでは苦しいでしょう? たまには自分自身の為に『望む』ことも必要だと思いますよ」
透き通るような声だった。低いがとても優しく心地いい。
「な?」
「私は『芹』です」
サラリ言うと彼は私の持っている鏡に目を向けた。これが欲しいのだろうか。私は思わず隠してしまう。何か価値があるのかもしれないがそれ以上に代々伝わってきたものだ。渡すわけにはいかなかった。そんな事をすれば家族に責められる他、呪われるかもしれない。