願い5
「ああ。芹の――奥さん?」
瑠璃はなぜか驚いた顔をして私を見た。違うのだろうか。でも芹が好きであったことは間違いないだろう。
「あの人が?」
「え? うん。嬉しそうに」
本当に嬉しそうに何の含みも無く笑っていた芹。こちらの想いなど一つも気にも留めずに。思わず視線を落としたがその頭を優しく手が触れる。
温かい。――思念とは幽霊みたいなもので実態は無いのだろう。だけれど確かに温かいのだ。
「――その言葉だけで、救われるわよねぇ。なんなら、私の生きているときに『好き』の一つでも行ってくれればよかったのに」
息を吐き出すようにして呟かれたその声はどこか悲しげでどこか寂しいものだ。どこか苦しそうにもその双眸は私に映り込む。
「あの」
「さてと。私が出て来たのは他でもないわ。――私がここに居るってことは、実体の芹が現れたのよね。どうせあの人が自ら鏡なんて割れるわけがないから凪ちゃんがどうにかしたんでしょうけど」
私の言葉を遮るようにして瑠璃は若干呆れたように言うとゆっくり立ち上がった。整った顔には先ほどまでの陰りなどもうどこにも無いように見える。
「実体? あ――身体は戻ったけれど、力が戻らないって。鏡をどうのこうの言っていた気が……」
混乱していたせいもあるが、いまいちよく現状が飲み込めないかった。公園であった芹はその体温こそ冷たかったがそこに存在していたし、触れることもできた。晃子をはじめその姿は目撃することができたし――確かにそのすべてが不思議ではあったが、とても幽霊や幻の類には思えなかった。
あれはすべて実体ではなかったのだろうか。
私は考えながらとつとつと話す。そんな私を見て瑠璃はニコリと微笑んで見せた。
「ええ。千里が持っている鏡を壊せばすべてが元通りになる」
「元って……どういう?」
「遠い昔の話よ――妖たちがこの世界に留まっていた時代。まあ、そんな事なんて信じられないでしょうけど」
瑠璃はくすりと小さく一度笑うと、空間に目を移した。静かに雪へ伸ばされる腕。しかしその手に雪は触れることなどない。その存在など無いかのように地面に落ちていく。それを彼女は表情無く見つめていた。
「かつて、芹は精霊でも妖でもなく、もっとも神に近いものだった」
とは言っても『神』と言う定義は少し難しいのだけど――と瑠璃は苦笑交じりに付け加えたが、そのすべてを続けることは無かった。
「近いものであるが故、神にはなれない。妖にもほど遠い――人ともかけ離れていたあの人は孤独だけが落ちる世界の中いたわ。それである日、彼はすべてを壊すことに決めたの」
「……壊す?」
瑠璃の話は冷静に考えれば到底信じられるものではない。けれど私はそれが真実の様に思えてならなかった。何もかも現実では起こりえないことばかり見て来たためなのかも知れない。
嫌な響きに私は思わず顔を顰めていた。
「自身を受け入れることの無い世界すべてを――そんな時私に出会ったわ。私はね、彼を殺すためだけに人に産み育てられた存在なのよ。信用は皆無で、私は奴らの期待通りなにもできなかったけどね」
瑠璃は悲しそうに肩を竦める。
「それは――」
芹を好きになったため、殺せなかったのだろうか。そう聞きたかったけれど、聞くことは出来なかった。その悲しげな笑顔がすべてを物語っているそんな気がしたからだ。
「でも、結局私はいない方が世界はうまく回ったのねぇ」




