ポテトが真っ赤になる
シャワールームに行くと、ポテトは水を浴びた。
更衣室との仕切り扉の向こうに、亜衣ちゃんの感じがした。
朝六時少し前だ。たぶん、同学年の亜衣ちゃんが、帰ってきたんだ。
「亜衣ちゃん?」
「やっぱり、ポテト。帰ってたんだ。相変わらずダントツだね」
「ありがと、亜衣ちゃん、大丈夫だった?」
「今日は、転倒しなかったよ」
シャワールームは狭い。着替えスペースをいれても一畳程度のスペース。
ポテトと亜衣ちゃんの二人でイッパイだ。
シャワーをお湯に切り替えると、ポテトが栓を閉じた。
ドアを開けると、顔を出した。
「ごめんね、亜衣ちゃん、すぐ出るから」
亜衣ちゃんが服を脱いだ。Dカップのアンダーウエアを外した。
ポテトが出口に向かい踏み出す。
亜衣ちゃんと場所を入れ替わる。顔と顔が接するほどになる。
亜衣ちゃんの視線がポテトの目の中に注がれた。
「ポテト。また、自分とお話してたの?」
「違う。聖霊だよ。聖霊。私、おかしくないよ」
答えながら微笑むポテト。
シャワールームで入れ替わる、その時、愛がポテトの背中に手を回した。
ポテトを亜衣ちゃんが抱きしめた。
「美鶴ちゃん。いろいろあったけど、明日、がんばって、ね」
ポテトのAカップと亜衣ちゃんのDカップが合わさって、つぶれた。
「うん、ありがとう」
亜衣ちゃんの背中に手を回して、ポテトが答えた。
亜衣ちゃんの、背中はもちもちとしていた。
「みんな、ポテトのことを応援しているから、ね」
「ありがとう」
「もう、だれも、ポテトと私を襲ったりしないから」
「うん」
「お金のことで、もうヤクザのところにいっちゃだめだよ」
「うん」
「ポテトの上に、神様の愛がありますように」
亜衣ちゃんが、おでこにキスしてくれた。
シャワールームに駆け込んだ。
亜衣ちゃんがシャワーを浴びる横で、ポテトはプリーツ・スカートを履いた。
洗面所のミラーを覗くと、ちょっと顔色が赤かった。
ソバカスの数が増えたような気がする?
ニキビは、ちょっと減ったみたい?
陽に焼けている肌。前は、もっと白かったかな。
かわいい?
かわいくなりたい?
「うん」
がんばって、笑ってみて。
濡れた髪をぬぐいながら、ちょっと小首を傾げてポーズする。
乾かした髪をポニーテールにして、もう一度、がんばって、笑ってみる。
かわいいよ、ポテト。
目を落として、出口のドアを開けた。
会議室に冴子さんのつくってくれた料理が並んでいる。
スケジュール・ボードの上に、A三の紙に書かれた「がんばれ、竜泉寺美鶴チャン」という文字。名前の下にポテトと優勝トロフィーのイラストがあった。美ヶ原高原ロードレースのチラシが貼ってある。
センターのテーブルには、炊飯器にイッパイのごはん。
つめたいウドンが盛ってある。
隣に、麻婆豆腐のお皿が並び、お玉が添えられている。簡単な朝食だ。
冴子さんが用意してくれる。
お弁当やサンドイッチのこともあれば、カップラーメンのこともある。
朝食は冴子さんの優しさだけでない。
会社経費のピンハネ・プログラムのひとつだ。
それでも、食事のない学生には好評だ。
朝食をとるのは、大概、学生と住み込みの専業者。
数百円程度だが、有料だから、正業のある大人は、食べずに出勤する。
出勤する大人たちは、急ぎ自宅か駅に向かって出て行く。
すれ違いに、口々に「がんばれ」と声をかけてくれた。
今日は、ごはんが多い。いつもの倍ぐらい炊いている。
よかったね、ポテト。すごい応援だったね。しかも、ご馳走じゃない。
ポテトは、紙皿イッパイにご飯とマーボを盛ってくると、
真ん中のテーブルに座り、簡単にお祈りして、思いっきり食べ始めた。
「すごいよ、おいしいよ……。辛いけど……、ご飯が入るの。お腹すいてたし……。食べ過ぎたら、どうしよう」
明日のために、いっぱい食べていこうよ。
「太るかも。明日、重くなったら……」
ニュースペーパー100部の重量にはならないよ。
「うん、うん」
明日、51キロメートルの全力疾走だから。
「そう、食べておかなくっちゃ、ね」
隣に人を感じた。
「大丈夫? ポテト。独り言、多いよ」
心配そうに亜衣ちゃんが声をかける。
「うん。大丈夫だよ。独り言じゃないし。冴子さん、美味しいよ。どうしよう」
「無理してない?」
「明日、がんばるんだ。これを食べれば、きっと一番になる」
もう一言二言、ポテトに声をかけようとする亜衣ちゃんの腕をもって、後ろに引いたのが同じ自転車チームの理香ちゃん。そして、直美ちゃん。
亜衣ちゃんを引いてミーティング・ルームの隅に行った。
「亜衣ちゃん。ポテトに話しちゃだめじゃん、あなたもショックが残ってるんだから。汚れた少女なんかと話しゃだめ。危いよ。汚くなっちゃうよ。だめだよ」と、理香ちゃんが腰に手を当てて、声を殺して話している。
「だめでしょ。犯されたこと、忘れられないでしょう」と、直美ちゃんがうなずいて、話を合わせていた。
「しかも、ヤクザ関係でしょ。お金も絡んでいるんだって。やばいんだから」と、理香ちゃんが腰の手を、口元に上げて亜衣ちゃんだけに聞こえるように声を出した。
亜麻色のロングヘアがきれいな理香ちゃんは、先輩の高校二年生。高校の授業でこのセンターに体験入社し、引き続きボランティアのためにセンターに来ている。配達については体験のために配属された。理香ちゃんも一緒だ。ボブカットの髪に、いつも違ったコサージュをつけるのが趣味。今日は猫の耳で飾っている。
ポテト、また、キミのことみたいだ。
事実と違うけど……?
「いいよ、もう、どうでも」
悲しそうな眼の色にはなったが、食べるのをやめなかった。
お茶碗に盛ったご飯に麻婆豆腐を乗せると、大きな口を開いて食べていた。
左隣の席には、冴子さんが座って、ヤッサンとナベさんと笑いながら話している。
亜衣ちゃんと理香ちゃん、直美ちゃんがポテトの左隣に腰かけて、食べ始めた。
時折、冴子がポテトにたずねた。
レースのこと、会場の松本温泉のこと、美ケ原のことを聞くが、ポテトは何も知らない。
レースも初めて、松本温泉や美ケ原も初めてだ。
パンフレットで読んだことと、城山さんたちから聞いたことで話すから、会話が続かず、「おいしい」を連呼しながら、食べることで時間を使っていた。
「目を合わせたくない。向かいのオジさん二人とも、理香ちゃんたちとも」とつぶやく。
自然と床目線で食べるポテトだった。
会議室のドアが開くと、ボーズ頭の男が飛び込んできた。
城山さんだ。私は声をかけた。
やば。やめて。
「(きゅ、急に、むりだ)」
ポテトの目が、大きくなって、くるくる回る。
喉がつまった。
ポテトの手が止まった。
「城山でーす。冴子センター長、おはようございます。間に合ったかな?」
元気満面で、ボーズヘアの日焼けした青年が笑いながら飛び込んできた。
「おはよう、シローくん」
「おう。おはよう」
「やあ、きた、きた」
「オス、自転車チームリーダー」
食事の手をとめ、口々にあいさつしている。
なんとかしてよ
「(ムリッ)」
恐る恐る眼を上げると、目の前に、城山さんの顔があった。
「元気ソーだな。うまそうに食べてる」
笑顔で声を掛けられた。
口の中に、麻婆豆腐とごはんが、膨れるほどに押し込められていた。
「(いやだああ~ぁ)」と、声ない叫びで目を閉じると、真っ赤になった。
涙出てる。
お皿をおいて、両手で顔をかくした。