ポテトの夢 ツールと彼と
少女は走る。
自転車で駅前のメイン・ストリートを駆け下りる。
川沿いのバイパスを横切り、橘橋を渡り、九十九休坂に至る。
九十九休坂、川向うの町を駆け上っていく、きつい坂だ。しかも曲がりくねっている。
全長約1キロ程度で120メートルアップしている、傾斜10度超える急坂だ。
名前が九十九休とは、登るときに99回休まないと上れないという。
その名前どおり、自転車で坂を登る時に10人に8人以上は歩く、いや10人か。
自動車でもローギアでないと登れない。そこを、ポテトは荷物を載せた自転車で軽々と登る。
ポテトは、ダンスをしない。
ダンス、いわば立ち漕ぎ。ペダルの上に立ち上がって、体重をかけて坂道を登る。
自転車独特のテクニックで、左右前後に体を振る姿から、ダンスといわれる。
ポテト、いや、ミツルはダンスしない?
「ポテトでいいよ。いい直されるのは、もっとキライだもん」そういうと、千メートルを百部の新聞の山を載せたまま走り抜けている。呼吸が荒くなっているけど、ダンスをせずに重い自転車を乗りこなしている。「ダンスしないよ。できるだけ、座ってこぐよ。ダンスすると、すぐに終わっちゃう。ダンスって疲れるのが早いから。ダンスして長く走れるように練習したけど、私、小さいから不利なんだよね。最後の最後の手段にとっておくんだって。あのね、城山さんが、ね。自転車競技では、抜くとき平乗りでフワリと抜くと、いいって。ポテトにフワリと抜かれると、絶対、抜かれた相手が落ち込むって。ふわりと抜くと勝てるって、城山さんが教えてくれた」
唸るようなチェーンにペダルをとおしてチカラをかけ続けるポテト。
少女は太腿と下腹部に、大きなスペースをつくり、
サドルの上で腰をグラインドさせている。
少女は息を吐く。吸う。
荒くなる呼吸をコントロールしていた。
でも、ポテトはおしゃべりをつづける。
城山さん、いい人だね?
「うん」
日明大学の自転車部のナンバーワン?
「一番だよ」
今回の、美ヶ原高原ロードレース遠征チームのリーダーだね。
「そう」
しかも、ポテトを助けてくれた。
大学の自転車部に入れてくれた。行動派のナイスガイだよね。
「うん」
ボーズのヘアスタイルに、タイト・パンツがカッコイイよね!
「めちゃ」
フランスに行く話をしてくれた?
「いっぱい、ね、してくれた」
医学部で、カラダのことや自転車の乗り方を教えてくれた。
「いろいろ。やさしかった」
一緒に行く?
「うん」
好き?
「やーだ。うーうん……」
ちょっと、はにかんだ。
まじめな顔して、赤くなった。
「好き」
でも、彼女がいるんだ。それでも好き?
「大好き。本当に大好き。城山さんがいるから、私、いるんだ」
真っ赤になって、息を上げている。
耐え切れなくなって、ポテトがフォームをスイッチした。
お尻を高く上げて、加速させる。
坂道の頂上が見える。
頂上までの百メートルを、明日のイメージで加速する。
「はああぁぁぁぁ」
胸の中の空気をすべて吐き出して、ポテトがペダルを回す。
ポテト、がんばれ。
加速。加速。
坂道の緩やかになるにしたがい、速度が上がる。
上気した顔で、登りきるポテト。
「城山さんとツール、ツール、ツール」
頭の中で「城山さんとツール」をなんどもリフレンさせている。
去年の春から、何度も城山さんの自転車部メンバーと練習した坂道。練習で1日に20本から40本、日に2回、九十九休坂を使い、繰り返し登り降りの練習を続けた。2分半以内で登ることがチーム全員に課せられた。他の選手が脱落する中で、ポテトは城山さんと登り続けた。
最後まで、城山さんがトップを走り、その後ろをポテトは追い続けた。登りきる直前からのスパートでフィニッシュする際に「ツール・ド・フランス」と叫ぶ城山さんを、ポテトは真似した。そこに城山さんの名前を入れるようになった。
少女の肩が盛り上がる。
顎を胸につける。
腕と腹、太腿の中にビーチボールより大きな空間ができる。
「ツール・ド・フランスのフィニッシュだ」
周囲には観客が両側に山のように集まっている。色とりどりのフラッグが舞う。誰もが自分を応援してくれている中を走る。ガッツポーズでテレビカメラにアピールする。ツール・ド・フランスの優勝のシーン、インターネットで流される中継録画をパソコンで何度も見せてもらった。見せてもらったイメージに自分を入れて楽しんでいた。
少女は今日も、登りきった。
ポテトは、右手でコブシを固めた。
目の前に町が広がる。
ゆっくり漕ぐ。カラカラとまわる。
息を大きく吐いた。
ポテトって、自転車に乗っているときのほうが、おしゃべりじゃない?
「そうかな……、そうかぁ。だって、自転車で走ると楽しいじゃん。いやなこと、全部、見なくていいし。夢がつかめるよ」
だから、がんばれる。苦しい練習も平気?
「練習、イヤだよ。でも、速くなるの、分かるから。楽しいじゃん」
プラス、城山さんのおかげかな?
とっちゃえば?
返事しない。ただ、はにかんでいる。
「うん……、あと、ちょっとだ」
のこり76軒、それで今日は終わりだ。
ポテトが踏む。ペダルの回転が上がった。
今日は、城山さんと会う。
約束した。
もうすぐ、会える。