太い足の少女、ポテト
少女が漕ぐ自転車がメイン・ストリートをまっすぐ駆け登ってくる。
大柄なピンク色の自転車、
フロントの大きなかごとリアの荷台にニュースペーパーを載せている。
まだ80数部ほどが残っている。
少女の小さなお尻がうごめいている。
前かごと後ろのキャリアで分けた新聞の間で、
背を立て、膝を蹴り上げるように、軽く登ってくる。
メイン・ストリートの始まりの駅が見えてくると、道が平たんになった。
駅前のロータリーにはタクシーの1台もなく、
ポリス・ボックスの明かりがロータリー出口に落ちていた。
自転車がロータリー手前に差し掛かった。
すばやくフロントとリアのブレーキ・レバーを握る。
少女のポニーテールが前に流れる。
フロントのニュースペーパーが束でダンスする。
ペダルを回転させながら
ミツルは自転車をロータリーに突っ込ませた。
お尻が右にスライドして横に流れる。左足をペダルに押し込む。
自転車と一体になりながら右に傾いて曲がっていく。
風景が180度ターンしていく。
少女は、たくましい太腿の付け根でサドルを押し込む。
赤紫の体操着のパンツに白いTシャツが汗で重くなっている。
ミツルの右顔がロータリーの出口に突き出された。
フロントバーを軽く押さえつけている両手に、ミツル専用の朱色の軍手が見えた。
ポリス・ボックスまで、5メートル。
ミツルはすばやく体の向きを変える。
自転車を立て直して、右に方向転換を行う。
ハンドルが軽く暴れた。
お尻をサドルに戻し、両太腿で自転車を押し出す。
歩道の縁石に当たったタイヤの衝撃
スロープにダイブした自転車を両足で押さえ込むミツル。
顔がポリス・ボックスに向けられている。
少女の左手がハンドルを一瞬はなれて、後ろの新聞を一部つかんだ。
シュっと引き出された新聞を八つに折り、シゴクと左手小指と薬指に抱えた。
左手を、最短距離でフロント・ブレーキレバーに戻す。
軽く人差し指をレバーにかけた。
ミツルがポリス・ボックスの横に置かれたアルミの新聞受けに向けて、アプローチを開始する。左側に自転車を寄せると右ブレーキだけで減速、左手の新聞を四つに折り、差し出す。お尻を軽く持ち上げ、自転車を加速させる。太腿の筋肉が浮かび上がる。
郵便受けのすぐ横を通過した。
少女の左手から新聞が差し出された。
カッ、カツン。
投げ込まれた新聞がアルミ・ボックスの底で音を上げた。
左手一本で、走りながら新聞を投げ込む。
自転車を加速させたままニュースペーパーを配達するミツルのテクニックだ。
投げ込んだ次の瞬間に、ミツルの目は、駅前からメイン・ストリートへ。
その先に町並みが広がる。
人口8万人の小さな衛星都市。まだ、多くの人が眠っている
朝の五時、ファミレスとコンビニの明かりも消えた、LEDの薄暗い街灯の町並みが広がっている。開けてくる陽射しが、空を白色に染め始めていた。
突然、ミツルが、ドラッグストアの前で自転車を止めた。
ブレーキシューが震えて、鳴いた。
気温二十度、初夏をすぎた熱風に汗が流れる。ポニーテールの下、ヘアバンド後ろから、うなじ、背中へと流れた。Aカップのブラのフォックが浮き上がる。
少女は自転車から降りると、ペットボトルの水を飲んだ。
ごくごく、喉がなる。
「んっぱあ、おいしい」
くりくりっと目を開いて、小さな唇の周りについた水をペットボトルを持った手でぬぐった。
ソバカスの頬に汗が流れる。
ミツル、どうしたの。私、ミツルに声をかけた。
お祈りしていたのに、どうしたの?
「明日のことをお祈りしたら、足が止まっちゃった」
心配があるの? 足が痛いとか?
「ううん。ぜんぜん。大丈夫。足、絶好調だよ。フットイもん」
笑うと、腿を体操着の上から叩いた。パンッパン、音が響いた。
「かっこ悪いポテトだけど、自転車にはいいんだ」
ポテト、少女のあだ名だ。
丸い顔の頬に、ソバカスと赤いニキビの群れ。低い背。お尻は小さいけど、後ろに突き出している。太腿がヒップよりも幅広く、体の横にはみ出している。丸い顔と太い足をまとめて、『ポテト』だって。「ポテト、かわいいじゃん、ミツル」と、学校のともだち、バイト先の人、家族にもいわれている。
「ポテト? うん、かわいいね」
友の前、ミツルのあだ名はポテトだって、自らも笑っているけど、内が傷んでいる。
ドラッグストアのウィンドウに、自分を写してみる。
「足が太いのが、かわいいって、うそだよ。見てよ。ウィンドウに写っている私、足だけ目立っているよ。体の半分が太腿に見えるよ。太腿を合わせると、すき間、ないし。太腿で滑り台ができそうだって、男の子たちがいってたって。椅子に座った時に、猫がお茶会を開くのに十分なスペースが広がっているとか。仰向けに寝ると、お尻から太腿にかけて日本アルプスができるとか。胸がないのに太腿ばかりが発達する太腿肥大症候群だっとか話しているんだ。やんなっちゃう」
ポテトの姿をお店のウィンドウに見ながら、ミツルは、ムカついて、そして悲しみながら、少し諦めつつ笑い飛ばそうとする。無理矢理、整理をつけた表情になった。
「美鶴って、名前も名前。字だと女の子だけど、呼ばれると男の子みたいじゃない。嫌だけど……、なんでフットいのかなぁ? 神様、イジワルだよ」
少女は、頬を膨らます。
「聖霊さんはどう思う」
ポテトが聞く。
私は、彼女に質問で返した。
神様がいじわる、か? どうしたら神様がイジワルじゃなくなるの?
「かわいい。細い。フツーにお金持ち、にして?」
ポテトの質問に、返す。
そうだね、神様、イジワルだね。
でも、そのおかげで、いいこともあるのだけど、それでもイジワル?
「全部あったほうが、好いジャン」
確かに!
「あなた、私の精霊さん。なのに、私のお祈り、神様に伝えてよ?」
お祈りは聞いているよ。
でも、全部なんて、神様にだって無理よ。
私も、美鶴だ。
神様になんか会えない。
少女の心を、今につなぎとめている。
小さな頃は、誰もが遊んでいた、心の友だち。
毎日、お話していた私と私。
十年前に分かれて、消えていた。
どうしようもないことで、彼女を守り癒すために、私がまた生まれた。
ポテトは、私を、聖霊さんと呼んでいる。
心的障害者に現れる別人格、と
お医者さんに言われたけど、よく分からなかった。
小さい頃、よく遊んでいたでしょう。
お医者さんは言いなおした。
一人でお父さんやお母さん、数役を遊んでいたね。白髪のお爺さん、小さな動物。葉っぱやお花。一緒に遊んでいた。あなたが、小さい頃、遊んでいた心の仲間が、今の傷を癒しているのだと言われて、すこしだけ分かった。
お医者さんが、名づけてくれた。“聖霊”さん。
そのまま、今も話し相手が続いている。
ところで、明日の大会も体操着ででるの?
「うん。学校の体操着、長パンならゆるくて、目立たないし。先生から、体操着、辞めてった生徒のをいっぱい譲ってもらったし。Mサイズの短パンだと、太腿に食い込んじゃうから、フットイ、フットイって感じになるでしょ。それに坂道でダンスするとき食い込んじゃって、足が酸欠になるんだもん。Lサイズの短パンだと、食い込まないけどウエスト緩いしお尻もブカブカ、長パンのMがいーんだな……って、変だよね。私の足。ヤダ、嫌だ」
少女は名前を掃うように、頭を振ると自転車にまたがる。
ポテト、でも、なぜ、止まったの。いつも休まないのに。
「気分。なんかぁ、止りたかっただけ」
もう一度、ペットボトルから水を飲むと、前かごに戻した。
明日、美ヶ原、本当に心配ないのね?
「美ヶ原高原サイクルロードレースのこと?」
美ヶ原高原サイクルロードレース。
通称、ツール・ド美ヶ原という。
長野県松本市の野球場をスタートして、温泉街を抜けると、
美ヶ原高原頂上を目指し登る。
美ヶ原スカイラインのパノラマの世界を自転車で滑走する。
高低差1,270メートルのワインディング、登り坂が連続した後、登り降り坂を繰り返す
51キロメートルの自転車レース。
国内有名自転車のレースのひとつ。
そう、大会プログラムに書いてあった。
今年、気まぐれな風が吹いた。
フランスのイノー財団がプレミアム・ギフトを提供した。
国内大会の優勝者を、ツール・ド・フランスのチームに招待するというのだ。
イノー財団がサポートするチームの練習に参加できるという。
フランス屈指の108財団のひとつであるイノー。
イノー財団のチームといえば、ツール・ド・フランスで一度優勝したこともある、フランス屈指の強豪チーム。その練習に参加できるだけだが、サイクリストには夢のようなギフトだ。
ただし、優勝者全員ではない。数名と書かれている。プラス、滞在にかかる宿泊、食事、衣服などの費用は自分で用意することが条件とされている。
チャンピン・クラスで優勝選手にチャンスが与えられる。それだけでも魅力十分だ。
夢をつかみたければ、勝つこと。
勝利からのみ、選ばれる。
複数の国内ロードレースから優秀なサイクリストを発掘するという。
美ヶ原サイクルロードレースも招待選手選伐に入っていた。
しかも、美ヶ原にはイノー財団から有望若手選手がひとり参戦してくるという。
優勝選手が伸びる選手かどうか、見るのだという。
ポテトは、美ヶ原で優勝を狙っている。
自転車なら、私は、負けないって、いってたのに。
停まるってことは、不安なんじゃない?
「大丈夫だってば! ゼッタイ一番になるよ。そして城山さんとフランスに行くんだ」
ピースサインで、笑う。
ポテトが、つま先でペダルをはじいて、ペダルの位置を合わせる。
「美ヶ原。温泉も楽しみだぁ」
城山さんも一緒だったね?
走り出したポテトに私は尋ねた。
「そう。城山さんがイッショ♥」
ポテトがペダル踏み込んだ。
広背筋と僧帽筋を使い、大殿筋のチカラをペダルに押し込んだ。
三歩踏み込むと、加速に移る。
広背筋と僧帽筋を休めて、股関節の回転を高める。
滑るように加速する。
メイン・ストリートを走り抜ける。
ペダルを回す。加速する。さらに回す。
フラワーショップ、トーイショップ、ユーズド・ファッション……。
ポテトが、前カゴの中からニュースペーパーを取り出す。
左手一本でニュースペーパーを折る。
レターボックスの中に落としていく。
ブレーキ・レバーに指がかかっているが、速度が落ちない。
下りでも、ポテトは回すのをやめない。
ポテトの作る風圧で、後方でシャッターが鳴る。
まるで、からだがぶつかったように、鳴る。
道端の雛菊が、無理やり起され、怒ったように動いた。