ターン・オブ・クライシス
ジョジ・イノー選手がポテトを抜きにかかった。
ポテトの右横に、ジョジ選手が現れ、追い越してゆくのが見えた。
26歳。来年は、チーム・イノーの選手として期待される青年。
鼻の高い。ブルーアイのブラウンヘアの面長男。
思ったよりも遅い追い抜きだった。
付いている選手は意外に少なく、二人だ。
ポテト。クマさんと城山さんの技術で、どう計算する?
「付いていく。城山さんの選択は、『付いていく』だ!」
どうして、そう、思うの?
「ジョジ選手の顔、真剣だったけど、余裕があった。全力ではないけど余力があるって感じだった。さっき、計測された時、私たちと500メートル、離れていた。全開なら二分もかからない追い上げが、3分近くかかっている。いや、三分近くかけている。つまり、計算しながら、走っている。登り最後で追いつく。勝負をかける瞬間を計算している。だから、付いていく。自滅する選手じゃない。ジョジ選手が勝ち方を知っているなら、付いていく。私たちも、一度も全開走行してない。時速40キロは軽い。まだまだトップギアじゃない」
いいじゃん。私もそう思うよ。
城山さん、今、先頭。必ず、追走する。
遅れないで付いていこう。
敵を知り、己を知れば、百戦危うからず、だね。
「なに? なんだっけ」
昨日の補習、漢語の書き取り、忘れたの? 孫子の兵法、忘れた?
「やだ、なんで覚えてるの?」
フランス語では、Si vous connaissez l'ennemi et vous le savez, vous ne devez pas craindre le résultat de cent batailles. っていうんだよ。
「よく覚えてるね」
城山さん、大好きだからね。
ポテトの目の前。
城山さんがジョジ選手に追い越された。
城山さんが横を見た。
城山さんが、ジョジ選手の様子を見た。
瞬間、左手を背中に回すと、城山さんが立てた親指を背中に表示させた。
付いていくのサインだ。
追走の始まりだ。
8人でつらなった。
それは不思議な光景だった。
ジョジ選手が、左手を上げて、手を回して、付いてこいと腕を振る。
ジョジ選手がトップスピードを上げた。
城山さんが応じた。ポテトもすぐ後ろに付く。
後ろにつけなかった二人が、ブタさんのうしろに回った。
敵の敵は、味方だ。先頭に追いつくために、無駄をしない。
ポテトは、ワクワクしていた。
「すごいね。世界のトップの人たちって、すぐに応じられる。分かり合えるんだ」
加速した。
登り坂の直線で75RPM。30キロを越えている。
ゆるいコーナーが、鋭い牙をむく。
右コーナーの路面、右側から中央部にアスファルトにクラック。
舗装の割れ目が、死神のようだ。
すこし速度を上げただけで、路面の凹凸やクラックは、鋭い牙になる。
ジョジ選手も城山さんもブレーキングしながら、よけた。
ポテトもコンマ秒でよける。
ネコさんやツルさんも、反射的によけた。
後方で、金属を打ち付ける音がした。
男が叫び声を聞いた。
知らない声。
ポテトは、振り返らない。
「転倒した」
後ろにまわった二人かな。
「多分」
広い直線に出た。
速度が上がる。
着いて行かなければ、
落ちるしかない。
後ろの900人に加わるだけだ。
ジョジも城山さんも、トップエンドの速度は変わらない。
遅れたら、ダウンヒルで追いつけるような選手じゃない。
でしょ、ポテト。
「一緒にトップで折り返して、初めて勝負になる選手だ」
速度が、また上がった。
四番手も、三番手も、もう限界だったみたい。
ついてこれない。
先頭に立っていた
クマさんやクボさん、ブタさん。
「ゴメン。もう続けられない」
落ちていった。
4人。
ジョジとネコさん、城山さん、ポテト。
城山さんの先に、ちらりと人影が見える。
先に行く選手の姿が見える。
ジョジ選手が、城山さんに右手で前に出るように合図する。
ジョジ選手がすこし速度を落とす。
城山さんが加速した。
加速は、言葉をこえた勝利への符号だ。
4人の隊列が先頭を追っていく。
「すごい、すごい。世界って、かっこいいよ」
ポテトは、城山さんの背中から前を見て、感動していた。
ポテトの左横を、ジョジが下がってゆく。
勝つための努力を着実に進めるプロフェッショナルの笑顔があった。
ジョジ選手がネコさんの後ろに付いた。
トップの背中が見えてきた。
登り残り1キロメートルを切った。
トップは、遠藤選手。
10メートル以上離れて
セカンドは、若松選手。
トップとセカンド。
ダンスを繰り返して、逃げる。
トップとセカンド。
疲れにスピードが上がらない。
城山さんが、セカンドの若松を抜いた。
若松選手、首を下げて負けを認めている。
トップの背中まで、10メートル。
城山さんが、下がる。
ポテトが先頭に立つ。
「ポテト、がんばれよ」
城山さんが声をかけて、右側を落ちていく。
わたしが抜くの?
「わたしがトップ!」
すごい。
「左180度の折り返し前に、トップを抜くよ!」
折り返しが見えた。
山頂の駐車場いっぱいに赤いコーンが並べられて、係員が旗を振っている。
山すそから、強い風が時々吹き上がってくる。
係員の黄色いキャップが、飛んでいった。




