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ポテト  作者: 春 茜
14/19

プレゼンテーション・イン・ヘル

 5キロを超えた。

 もうすぐ、急な坂道が終わる。


 その先も登り坂。

 頂上まで16キロ。


 動画で見ていた貯水池の水門が現れた。

 道路の先が下がってきた。


 空に向かって上昇していた道が横になった。

 道路に水平線が見えた。


 突然、風景が切れた。


 木々の間に、

 遠く、地平線が見える。


 スタートした町並みが見える。

 小さな家々、川が流れ、子供たちが遊んでいるのが見える。


 きれい。

 高みに登る。

 苦しさが快感に変わった。


 急な坂がないだけだけど。

 まだまだ坂道が続く。フィニッシュまで続いているのだけれど…… 


 風が気持ちいい。

 頬を叩いてくれた。

 

 山の木々が手を振るように動いている。

 強い風が吹いている。


 ポテトには、それだけで十分な安らぎだった。

 「地面、平たいよ。タイラだよ」

 わたしの心が、はしゃいでいる。


 先頭のクマさんがペースをあげる。

 「まだ、勾配のきつい坂があるが、マックスの80パーセント。各自のRPMの80%で」


 「逃げておこう。そろそろ、後ろからくるぞ。フランスの王子さんが」

 ブタさんが後ろに声をかけた。


 クマさんこと、久保田さん。ブタさんこと、山谷さん。ふたりとも四年生のベテラン。

 「さあ、ペース・アップ。トレインと行こうか」

 城山さんの声が聞こえた。


 クマさんを先頭に、一列になった。

 自転車レース特有のレース運びだ。


 前を走る選手が仲間を引っ張り、疲れると後方に下がる。

 次の選手が先頭に出て、隊列を引いて走る。


 クマ、ブタ、城山シロー、ポテト、ネコ、ツル。

 交代でトップに立つ。

 交代で隊列を引っ張る。

 

 登ってきた高さが、実感できる。

 風景に、フモトの温泉街が現れる。


 時折、見える、遠くに地平線が広がる。

 山間の梨畑も林間に見える。


 坂の苦しさから、暑さの苦しさに変わった。


 例年、梅雨。雨の大会が、今年は晴れている。

 すでに酷暑。


 夏の陽射しが、暑さを重荷に変える。

 5キロで受け取った給水のペットボトルを、回し飲みした。


 ポテト。

 よかった。


 とりあえず、自分に負けなかった。

 レースの序盤を無事通過した。


 ヤクザとの約束、守れそうだね。

 「守らなかったら、オシマイ。必ず、勝つ」


 思い出すね。

 犯されたって、変わらない。叫んでいたね。

 「私は、世界で一番になる、って言ったのよ」






 暴力団の事務所にポテトが入ったのは、九ヵ月近く前のこと。

 金を出す代わりに、担保の土地売買でも人身売買でも行う地元組織だ。


 ポテトは、親族の知り合いに進められるままに奨学金の契約した。

 その後、紹介した親戚の知り合いが消えた。

 10パーセントの紹介料をもって消えた。

 暴力団の目的は、両親と祖父祖母の土地だ。


 ポテトも、おばあちゃんも、暴力団とは知らなかった。

 お金を貸してくれる安心な会社だとおじさんにいわれていた。


 その会社なら聞いてもらえると出かけた。

 純子さんとつくった計画の書類をもっていった。


 前もって行く日を連絡して、当日の朝には、神様にお祈りもした。

 神様から、特別のご加護がありますように。ポテトは祈って出かけた。


 「嬢チャン、そんな夢よりも、脱いだらどうだ。金になるぞ。体、売ってみるか?」


 フランスで活動するお金500万円がほしいとお願いした。

 ポテトの発言に帰ってきた言葉だった。 


 ラッキーだったのか、アンラッキーだったのか、社長が相談相手だ。

 部下の若頭という人が、事務所の中央にあるソファーに案内してくれた。


 初めて、訪ねた時に話してくれたおばさんはいない、女性の従業員もいない。

 ダークグレーのピンホール・スーツ姿の男性二人だった。

 銀行員のような物腰で、笑顔なの。


 だけど言葉と目つきは、十分にその世界の人らしさだった。

 二人の前に、企画書を出した。


 笑われた。


 そして、服を剥ぎ取られた。脱がされた。


 裸のほうが、金になるといったのに、ポテトの下着姿に、若頭の声が変わった。

 ポテトの胸と股間を若頭が撫でながら、声を落とした。


 「社長。こいつ、足が太いだけで、胸もないし、顔もソバカスばかり。色も黒い。まあ百万円程度。アキバでゴスロリにしても無理、メイドも……」


 下着一枚だけにされて、会社の中に立たされた。

 悔しかった。

 怖かったのの最初だけだった。


 脱げといわれて、最初、若頭の手がかかった時だけが怖かった。


 脱ぎながら、怖さよりも悔しさが広がった。

 これだけのことをされて、値踏みされたのが、体だ。


 中学3年生。少女なら体。それしか、ない。

 社会で裸にされれば、体しかない。


 学校で笑っているだけの少女なら、100万円程度の価値しかない。

 キレイやカワイイなら、追加で100万円か?


 知らないことだった。


 でも現実だ。普通なら高校、大学と価値を高める準備期間がある。

 ポテトにはそれがない。つねに社会にさらされる。

 普通の少女がうらやましいと、心底から思った。


 だが、裏に返せば、今、自分は、真剣に生きている。

 日本各地で生きている、どの少女よりも生きて商売しているという、実感が沸いた。


 今、勝てば、世界で生きることができる気がした。


 「クズか……。しょうがねーな」と社長が言った。


 「社長、私の足はクズじゃない」

 こころが叫んでいた。


 「足は一番だ。世界で一番になる。私には、この足がある。必ず一番になる」

 悔しさに涙して、滲んだ社長に向かって、私は叫んだ。


 「男儀を売るのが、社長の商売なら、私の商売は、女義を売ること。私の商売にお金を出してください。自転車競技、しかもツール・ド・フランス、有名レースです。女性が走った例がない。それだけでも、お金になるはず。しかも、チャンスがある。来年、フランスの財団が賞金を出す。私は、勝つ。大学生や大人にも負けたことがないこの脚で勝つ」

 ポテトは、叫んでいた。

 社長に向かって叫んだ。

 社長の向こうの世界に叫んだ。


 ポテトは、社長ににらみ返された。

 沈黙の力で押さえつけられた。

 昆虫を殺すピンのような目線で刺された。


 「嬢ちゃん、本気か? ヤクザ相手にマジで売り込むつもりだな」

 「本気です。犯されたって、変わりません」


 「舐めてンのか。あ」若頭が怒鳴った。

 社長が、若頭の前に手をかざした。


 「面白い。嬢ちゃん、マジだな。処女どころか、両親とじいちゃん、ばあちゃんの土地も取られるかもしれんぞ。こころの底までボロボロにされるかもしれない。それでも変わらないと言い切きる。そのチカラ。信じてやろう。そのビジネス、美ヶ原のレースで勝てたら、乗ってやる」


 社長が立ち上がると、ポテトの前に立った。

 「今の嬢ちゃんを食っても、美味くねえ。処女など金にもならん。色気もねえ。が、意地はあるようだ。その意地、見せてもらおうか。本当なら、お前についてヨーロッパの社会ともお付き合いができるだろう、商売になるかもしれない。関東の山奥じゃ、金ができてもチイセえ。組にもいわれているし、な。嬢ちゃんのチャンスに、俺も賭けてやろうじゃないか」


 社長、ポテトの前に立った。

 右手でポテトの顎をつかんだ。


 ポテトの頭を前後に揺すりながら話す。


 「嬢ちゃん、ヤクザ憑きの怖さ、わからんだろうな。将来の汚点だぞ。が、強い陽射しの後ろには、影ができるもんだ。確かに、今の日本じゃ、お前に投資する会社などないからな。お前の働いている新聞屋も、俺たちがいくらか融通して、ビジネスが続いている。お前さんに、強い光が当たるなら、そいつは大きな力だ」


 ポテトの唇に親指を押し当てた。

 「この唇と目。書類などないが、契約したぞ。ヤクザとの契約だ。曲げられないぞ」


 ポテトは、その手を払って、私、口を開いた。


 「社長。この契約、対等じゃない。商売なら、男儀と女義が対等のはず。ヨーロッパに行くチャンスと、現地のヤクザとのビジネスのチャンスについてだけを売ります。それ以外は、契約外。私の将来とチカラのすべてを取るつもりなら、今、この場で現金10億円ください」


 「ほう、言うな」


 低い声。殺されても、おかしくない。


 虫ピンのような目線で刺された。

 殺される。そう心から思った。


 でも、ポテトは引かない。前に出た。

 「分かった。ひとつだけの契約にしてやろう」


 「社長ぉ」若頭が、声をかけた。

 「なんだ。若頭、おめえ、文句あんのか?」

 「いえ」


 「確かに、嬢ちゃんのいうとおりだ。商売は対等でないとな。この売り買いは、チャンスだけだ。俺は、ウソをつかねえ。くさいことしてるが、性根は正しいものの味方だ。だから、この地でバンを張っていられる。お前が生きている限り、約束は守る」

 ポテトの顎をつかむと、もう一度ポテトの唇を親指で撫でた。


 ポテトの背中で、ドアが開いた。

 冴子さんと城山さん、亜衣ちゃんが入ってきた。


 下着姿で、社長の前に立つポテトを見て、3人とも絶句していた。

 ポテトは、振り返り、3人を見た。


 チカラが抜けて座り込んだ。

 亜衣ちゃんが、飛び込んできてポテトの肩を抱いて、泣き出した。


 「おう、新聞屋のぉ。なんだ、用事か」

 若頭が応じた。


 冴子さんが早口でまくし立てる。中国語が入るマシンガン・トーク。

 若頭が応対するが、冴子さんに完全に押されていた。


 城山さんが、ポテトの服と荷物を拾い集めて、ポテトの前に差し出した。

 ポテトは、黙って服を着た。

 「よう、嬢ちゃん」


 社長がポテトの前にしゃがむと、声をかけた。ポテトは、社長を睨み返した。

 若頭をなじっていた冴子さんが、驚いて振り返る。


 事務所が静まりかえった。

 「ほお、嬢ちゃん。お前は、本当に強いな。いい商売になりそうだ」

 「約束、忘れないでください。フランスでのチャンス、お願いします」


 「9ヵ月後が楽しみだ」

 「9ヶ月……、ツール・ド・フランスか?」城山さんが、驚いて口を開いた。


 「うん、城山さん。私、勝つから。ツールを走るからね」

 そう言うと、ポテトは立ち上がった。

 涙など、なかった。


 




 13キロメートルを過ぎた。

 登り坂も残り約八キロ。


 広い駐車場のあるレストランを越え、細い直線部分。

 後ろから、道を開けるように指示が出た。


 右側に一台分のスペースができる。

 やがて、フランス国旗のキャップを被った男の姿が右の角に現れた。


 ジョジだ。


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