ポテト 千を超える敵と走り出す
スタートライン、フロントロー、
並んだ選手がペダルを踏み降ろした。
風が立ち上がる。
直後、数10人の選手がつぎつぎに踏み降ろす。
最初は、ゆっくり、撫でるような風が立つ。
やがて最速の王を競う風となって、コースを駆け抜け始めた。
千台を超える自転車のチェーンが奏でる音がシャワーのように響く。
「速いヤツが王様! チャンピオン・クラスがスタートした。今年、チャンピオンになるのは誰か。今年のウイナーにはプレミアム・ギフトがついている。本場フランスのイノー財団が支援する自転車クラブへの入会へのチケットだ。1,000人オーバーのトップに立った優勝者にはフランスの自転車クラブにご招待だ。ツール・ド・フランスへの道も開けるか? 可能性に挑戦だ」アナウンサーが盛り上げる。
ひたすら速い選手が勝者という無差別のチャンピオン・クラス。
16歳以上なら誰でも参加でき、性別も関係ない、16歳の少女も、22歳の新鋭も、32歳の猛者も、48歳の巧者も、同じステージ戦う。まさに「速いヤツが王様」となるクラスなのだ。
場内アナウンスが聞こえた。
「スタート直後のトップ集団を紹介しながら、今回の主な参加選手を紹介しよう」
場内アナウンスがレース直前のテンションを盛り上げているのが聞こえた。
「スタートで飛び出し、トップ集団をリードしていくのは、連続チャンプの乾選手。地元ベテランの森選手がいる。黒岩選手、萩野選手、遠藤選手、長沼選手、若松選手、宮本選手らがトップ集団で飛び出していった。そのトップ集団に、紅一点、女子のトップ、浅沼選手だ。後方には、大学トップが集団でついている。ツール・ド・フランスの貴公子、ジョジ・イノー選手はいないぞ……。な・ん・と、最後尾だ。日本人最後の選手が全員スタートしても、まだ出ない。イノー選手のコメントだ。『最後尾から出発して、全員の走りを見ておきたい』。つまり日本選手なんか、全員マクレルということかぁ? 本場ヨーロッパのジュニアの鼻は高そうだ。彼の走りには注目しよう。トップ選手は先頭争いだ。いきなりコーナーで突っ込み勝負をかけている。『俺が王様だ』とばかりに、トップ全員が意地と力のガチンコ勝負だ……」
温泉街のスピーカーから、実況中継のアナウンスが響いていた。
ポテトは、四列目から踏み出した。
トップグループの見える位置で走り出した。
10数台の自転車が見える。
全部、敵だ。
ポテトの直前には、城山さんがいる。
城山さんの前には、クマさんこと、熊田さん。ブタさんこと、薮田さんが見える。
ポテトの後ろにも仲間がいる。
直後には、ツルさんこと、鶴岡さん。
ツルさんのすぐ横にはネコさんこと、金子さんがいる。
一緒に練習してきた仲間だ。
6人で一団となって走っている。
ポテトも、ゆるいギアを選んで、息を上げずに流している。
城山さんからの命令だった。
「そう。流すんだって。1キロも行かないうちに登り坂になるから。そこでも軽いギアを選んで、細かくギアとフォームを入れ替えて、足使うなって。回転で走るんだ」
最初の5キロがもっとも急勾配の坂道、きつい区間だ。
尾根の上の湖に揚がるまでの登山道だ。
林間をつらぬく、狭く、つらい、ワインディング・ロード。
林間の曲がりくねった登山道、そこで我慢のバトルとなるのが序盤戦だって。
「ポテトちゃん、いい感じ。乗れてるじゃない」
ネコさんだ。
「お話、できる」
「うん。ネコさんも」
「このハイペース。予想通りだね」
「ちょっときつい、かな」
「腰、動いている、できてる、できてる」
「ありがとう」
ネコさんが教えてくれた、腰の動かしかた。
大腿骨と骨盤の稼働域を広げて、ペダルを回す。
お腹の中の筋肉でペダルを回す。
上半身を前後左右に動かさず、ペダルを回せる。
疲れにくい走り方だ。
ネコさんやポテトは、体重が少なくて、筋力も弱い。
少ない体重と弱い筋力を速度に変える。
海外の男子選手は、体重と筋力で登る。
パワフルが勝負を決めている。
負けたくなければ、弱みを強さに変えればいい。
世界への弱者のテクニックだ。
回転速度と効率で勝負する。
ネコさんが教えてくれた。
「ラインもつかんでるよね」
ツルさんが左後ろから声をかけてくれた。
「ツルさん、私のライン、キレーでしょ?」
「キレーだよ」
「白線を走る。練習どおり」
「僕より、今は、うまいよ」
「ありがとう、ツルさん」
ツルさんは、大学四年生。仲間だ。
ツルさん、いわく、自転車には一番速いラインがある。
そのラインを数ミリでも崩さず走れるようになること。
練習していたら、いつの間にか、ラインが見えるようになった。
今では、コースが見えれば、その最速ラインを走るようになった。
ツルさんのおかげだ。
そのほかにも、いろいろな技術を教わった。
クマさんには、競い方、戦い方を教わった。
ブタさんには、マシンの技術、ギアの組み方やメンテナンス。
純子さんには、お金のこと。企画書。財務レポートの見方。
マナちゃんには、広告やPRのこと。ネットの使い方。
そして、城山さんに、ツールと医学的知識について、教わった。
ポテトの技術は、自転車部の全員からのプレゼントだ。
何よりも夢の入り口を開けて、招き入れてくれた。
ロードレースの大会に出て、勝つ。
勝った収益に変えるためのプロの知識や技術のいろいろ。
世界に広がっているプロの知識と技術がある。
どれもが、ポテトの知識と技術になった。
中学生だったポテトを相手に、自転車部部員みんな、真剣に教えてくれた。
学校の授業なんかでは分からない。
生きていくための知識だった。
すべて、自転車からはじまった。
手ぬぐいをもって、朝風呂や朝食後の人々が、沿道で手を振っている。
アナウンサーの声が聞こえた。まだイノー選手がスタートしていないらしい。
「聞こえた? ジョジ・イノー。最後から走るって」
スタートして一分以上になる。
イノー選手は、自信家だね。
「かもね」
でも、必ず、来る。
「くる、来る」
赤いタオルを振っている浴衣姿の子供、かわいい。
「温泉街、さよなら。浴衣の応援って、ちょっと変だ」
ゆかた、着て寝たでしょ、ポテト。起きたとき、裸、だったね。
「やだ。思い出したじゃない」
サングラスの下が赤かった。
風が吹いた。
夏の風は、熱くって重い。
どんっ。
音が鳴るくらいの疾風。
路肩に落ちてたニュースペーパーが飛び上がった。
ポテトは、それを左手でつかんで、たたんで、捨てた。
「今日は、風が強いね」
そろそろ、ポテト、登り坂が始まるよ。




