男が男に恋をした。
0
スクール水着に身を包んだ女子たちは、たいそう可愛らしかった。
白く、柔らかそうな、瑞々しい弾力を感じさせる肌の惜しみない放列。
それはプリンのようで、マシュマロのようで、ピーチのようでもあった。
そして俺は、プリンにもマシュマロにもピーチにも欲情しない。
自分を同性愛者だと認識したのは、高一の夏、体育の授業でのことだった。
1
サトルと話していると楽しい。
サトルは誰にでも優しい。
だから女子にも人気がある。
俺は、クラスの女子が俺とサトルの会話に入ってきそうになると、どうでもいい話題を無理やり出して妨害する。
ヤツらは馬鹿ではない。狩人だ。
観察し。検証し。想定し。絶妙のタイミングで、選りすぐりの台詞を、事もなげに繰り出し間隙を貫く。
それでも俺は気づいているぞ。ヤツらが「そういえばさー」と滑り込むチャンスを虎視眈々と狙っていたことに。
当然、俺は複数の女子グループから疎まれる。それで良い。
俺は同性愛者だが、女ではない。
お前たちの輪から迫害を受けても大丈夫だ。
ある種、孤独を望んでさえいるのだから。
恥に対する忌避性。女と男で決定的に違う点のひとつ。
男にとって、恥とはさほど恐れるべき対象ではない。
ならばヤツらお得意の陰湿な攻撃にも耐えられる――そう思っていた。
ある日、体育後の教室に入ると、黒板にでかでかと落書きがされてあった。
それも、わざわざご丁寧に赤・黄・青などのチョークも用いたカラフル仕様。
『マサキはホモだ』
2
まず『同性愛』という単語からして誤解を招く構成なのだ。
愛だなんて、そんな綺麗なものではない。浮気もあれば騙しもする。一夜の性欲に身を委ねもする。
たいがいの男女はぶつかり合って何度も躓き、何度かパートナーを変え、比較し、成長し、ようやく愛――らしきものを見つける。
それが男同士に変わっただけで、どうして生涯最後の純愛のような美談にされてしまうのか。そんな重いものじゃない。
コーラを飲むのに、コカコーラ・ダイエットコーラ・ペプシのどれを買おうかという程度の、衝動的な問題。
俺自身サトルに好意は抱いているが、それを純愛かと問われたら即答できない。
ホモ疑惑が立っただけで後ずさる男にも腹が立つ。
それはブスが階段でスカートを抑えたり、ババアが女性専用車両を選んだりする行為と全く同義。自意識過剰。
男が好きだからといって、全ての男が好きなわけではない。
女好きな男は、幼女から老女まで外見・内面・服装・シチュエーション一切の隔てなく常時欲情できるのか。だとしたら病気だ。
同様に、男好きな男が全ての男に対し欲情すると思うのは想像力の欠如。
しかし最もうざったいのは、「同性愛者への偏見を無くせ!」と大声で叫ぶ一部の阿呆。
断言しよう。それは優先すべき議案ではない。
結局のところ性癖に関わる主観的で個人的な問題に過ぎないのだから、該当者である俺ですら「それよりも先に決めることはあるだろ……」と辟易してしまう。
オカマキャラで売っているタレントは総じて浮き世離れしているように見えるが、浮き世離れとは決して、社会のルールから隔絶されているわけではない。
労働も納税も必要。自動車保険会社のサービスに一喜一憂し、休日には死んだように眠り、銭湯に行けば性欲抜きで単純にお湯が気持ちいい、そんな生活。
同性婚を認めろだの性転換手術に保険が降りるようにしろだのそんな遠い話よりも、税金の使途と年金の還付に心を揉まれる、そんな生活。
つまり、何が言いたいのかというと。
俺は特殊でいい。
俺は変態でいい。
俺は気持ち悪い存在でいい。
俺は恥ずかしい存在でいい。
もう、それが結論でいいから。
ああだこうだとつつかないでほしいんだ。
3
放課後の屋上。
部活もひと段落し、間もなく完全下校時刻になる。
きつい西日に照らされながら、俺はサトルと対峙している。
向こうから俺を呼び出してきたんだ。
「マサキはホモなんだって?」
サトルがニヤニヤと笑いながら俺に言う。
いやらしい笑みだ。エロいのではなく、不愉快という意味で。
「いや……正直、よくわからないんだ」
俺は答える。
するとサトルは、俺のネクタイをぐっと引っ張って顔を近づけてきた。
「俺も、『そう』だったらどうする?」
いやらしい笑みだ。不愉快なのではなく、エロいという意味で。
肩甲骨のあたりから、ゾクゾクした感覚が上下に奔る。
肩に。二の腕に。
腰に。尻の穴に。
首に。口の中に。
サトルを、第二次性徴を終えた男を『かわいらしい』と思ってしまう時点で、俺はアウトなのだと思う。
抱きしめたい。キスをしたい。
そのワイシャツを胸元から引きちぎって、押し倒してしまいたい。
だけど、できない。
それは俺がホモだからではなく、倫理の問題。
仮にサトルが女だったとしても、こんな場所で服を脱がせて押し倒すのは、事件沙汰だ。
俺は、この気持ちを間違えたくないんだ。
『ホモ』であるから不自由な部分と、『好き』であるから不自由な部分を見極めていたい。そして、後者を大切にしたい。
何から何まで「男だから」とあきらめたくない。何から何まで「男だから」と言い訳したくない。
だから、辛いが、理性を保つ。
そっとサトルの両肩を取って押し返し、たしなめた。
「……無意味な仮定はやめとけ」
「むー……」
サトルはぷっくりと頬を膨らませてから、くるりと背を向ける。そしてそのまま、顔を見せずに続けた。
「だけど、俺さ……なんつーか……」
「本気で、マサキのことが好きなんだ」
涙が無音でこみ上げてきた。
サトルもそうなのかもしれない。あいつは顔を見せないまま、校舎内へと駆けていった。
しばらく屋上で呆けていると、ティロリロンとチャイムが鳴って校内放送がかけられた。
『佐藤先生。佐藤先生。至急、校長室まで』
……呼ばれた。
はあ、教師なんてやってなければ、今ごろ……いや、言うまい。仕事仕事。
4
「いやあ佐藤先生、すまんね。実は来年度の体育祭の件なんだが……」
校長の貧しい頭に、強い西日が反射している。
顔面付近は眩しくて見られないので、視線をやや落として話を聞く。
涙が無音でこみ上げてきた。
その視線の先に、『学校長 真崎四郎』の名札が入ってきたから――