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【短編集】恋愛/異世界

婚約者と浮気相手の恋文、どちらも私が代筆していました

作者: ま
掲載日:2026/09/25




 王都の裏通りに、「ふくろう堂」という小さな古書店がある。


 その店の奥のカウンターには、青い封筒を入れる箱が置いてある。

 恋文の代筆を頼みたい人は、そこに依頼の手紙と代金を入れていく。

 三日後、同じ箱に、青いインクで書かれた恋文が届く。


 代筆屋の名は、『青インクの君』。

 王都の令嬢たちのあいだで、知らない者はいないほどの人気だ。


 その正体が侯爵令嬢エレナ・ローゼンハイム、つまり私だということは、店主のノアしか知らない。


 始まりは、十四歳の冬だった。


 屋敷の若い侍女が、厨房の隅で泣いていた。

 故郷に残してきた恋人に手紙を書きたいのに、どう書けばいいか分からないのだという。


 私は彼女の話を一時間かけて聞き、便箋一枚の手紙を書いた。

 恋人がどんな人で、何が好きで、二人で最後に見た景色が何だったのか。

 聞いた話を、彼女の言葉の癖のまま並べ直しただけだ。


 春になって、侍女は故郷へ帰っていった。

 秋には、結婚の知らせが届いた。


 その知らせを握りしめたまま、私は思ったのだ。

 言葉には、人の人生を動かす力があるのだと。


 それから三年。

 ふくろう堂の奥のカウンターを借りて、私は数えきれないほどの恋文を書いてきた。


 同じ三年のあいだに、婚約者であるルーカス殿下へも、たくさんの手紙を書いた。

 季節の挨拶。誕生日の祝い。公務へのねぎらい。


 返事は、一通も来なかった。


 だから私の書く恋文は、上手になる一方だった。

 届かない手紙を書き続ける人の気持ちなら、誰よりもよく分かっていたから。


「エレナ様。今週の依頼です」


 閉店後の店の奥で、ノアが青い封筒の束を差し出した。

 古書の匂いのする、いつもの夕暮れ。


「ありがとう。今週は多いのね」


「春ですから。それと、少し厄介なのが二通あります」


 ノアは眼鏡の奥の目を、ほんの少しだけ曇らせた。


 一通目を開く。

 丸みのある、可愛らしい字だった。


『王太子ルーカス殿下の心を射止める恋文を書いてください。わたしは字も言葉も下手なので、どうかお願いします。ミリア・コルト』


 コルト男爵家のミリア様。

 この春から、殿下のおそばでよく見かける方だ。


 二通目を開く。

 こちらは、見慣れた字だった。


『男爵令嬢ミリア・コルトに贈る恋文を頼む。僕の気持ちが伝わる、最高のものを。代金は弾む。L』


 手紙はもらったことがなくても、署名なら何度も見てきた。

 私の婚約者、ルーカス王太子殿下の字なのだから。


「……ノア」


「はい」


「この二通、同じ週に届いたのよね」


「はい。お断りしますか?」


 私は二通の手紙を並べて、しばらく眺めた。


 殿下から私への手紙は、この三年で一通もない。

 誕生日にも、婚約記念日にも。


 その殿下が、誰かのために恋文を欲しがっている。

 しかも、代金を弾んでまで。


「いいえ。お受けするわ」


 私は青いインク壺の蓋を開けた。


「代筆屋は、依頼を選ばないものよ」


◇


 それから、ひと月。


 私は毎週、二通の恋文を書いた。

 殿下からミリア様への恋文と、ミリア様から殿下への恋文を。


 つまり私は、ひと月のあいだ、自分自身と文通していたことになる。


 殿下の恋文は、少し気取って書いた。

 殿下の依頼状には、いつも「最高のものを」としか書いていない。

 だから私は、自分が婚約者からもらいたかった言葉を、そのまま書いた。


 朝の光の中で、あなたのことを思い出す。

 あなたの笑った顔を、もう一度見たい。

 今度の休みには、二人で湖へ行こう。


 書きながら、何度もペンが止まった。


 ミリア様の恋文は、少し控えめに書いた。

 ミリア様の依頼状は、毎回便箋三枚にわたる長いものだった。

 殿下と廊下ですれ違ったこと、殿下が笑ってくれたこと、それだけで一日が明るくなること。

 拙い字で、一生懸命に書かれていた。


 私はそれを、少しだけ整えて清書した。

 ミリア様の言葉には、私が三年間書けなかった素直さがあった。


 どちらの恋文にも、代筆屋としての決まりごとを一つだけ忍ばせて。


「エレナ様、また返信が来ています。殿下から」


「早いわね」


「『先週の手紙は最高だった。この調子で頼む』だそうです」


 ノアが、なんとも言えない顔をする。


「殿下は、ご自分のところに届いた恋文も、エレナ様が書いたとは思っていないのでしょうね」


「思っていたら、代金を二重に払わないわ」


 私は小さく笑った。


 笑いながら、胸の奥が少しだけ痛む。


 殿下は、あんなに言葉を欲しがる方だったのだ。

 私には、一度もくださらなかったのに。


 その週の終わり、王宮の回廊で殿下とすれ違った。


 婚約者としての定例のお茶会は、この二か月、殿下の都合で三度続けて取りやめになっている。

 久しぶりに見る殿下は、ずいぶんと機嫌がよさそうだった。


「やあ、エレナ。相変わらず地味な顔をしているな」


「ごきげんよう、殿下。お元気そうで何よりです」


「ああ、元気だとも。最近、文章を書くのが楽しくてね」


 殿下は胸を張り、上着の内ポケットを軽く叩いた。

 青い封筒の角が、ちらりとのぞいている。


「君も少しは僕を見習うといい。言葉というのは、心から湧いてくるものなんだ。君の手紙みたいに、季節の挨拶ばかりじゃ誰の心にも届かないぞ」


「肝に銘じます」


 私は微笑んで一礼した。

 殿下は満足そうに頷き、足取りも軽く去っていく。


 その封筒の中身を書いたのは、三日前の私だ。

 「心から湧いてくる」言葉の最初の一行を考えるのに、二時間かかった。


 回廊の窓から、春の風が吹き込んでくる。

 笑えばいいのか、怒ればいいのか、自分でもよく分からなかった。


◇


 そして、王宮の春の夜会。


 大広間には、王都じゅうの貴族が集まっていた。

 天井のシャンデリアには、この夜のためだけに千本の蝋燭が灯されている。

 私は父の選んだ紺色のドレスを着て、壁際で静かにグラスを傾けていた。


 殿下は今夜も、私を迎えには来なかった。

 代わりに、ミリア様の手を取って入場した。

 その時点で、今夜何が起きるのか、大広間の半分くらいの人は察していたと思う。


「エレナ・ローゼンハイム! 今この場で、君との婚約を破棄する!」


 楽団の演奏が止まり、大広間じゅうの視線が集まった。


 殿下は、ミリア様の手を握りしめて立っている。

 もう片方の手には、青い封筒の束。


「僕は真実の愛を見つけた。ミリアとは、恋文で結ばれたんだ!」


「恋文で?」


「まあ、なんて素敵なの」


「殿下が、ご自分で?」


 ささやきが広がる。

 殿下は胸を張った。


「そうだ。僕は自分の言葉で想いを綴り、ミリアも自分の言葉で応えてくれた。君にはできないことだろう、エレナ。君の手紙はいつも、決まり文句ばかりだった」


 決まり文句。


 それは、殿下から一度も返事が来ない手紙に、何を書けばいいのか分からなかったからだ。


「証拠を見せてやる。ミリアが僕にくれた手紙だ!」


 殿下は封筒から便箋を取り出し、高らかに読み上げ始めた。


「『だれよりも貴方を想う夜が、今宵もまた更けてゆきます』」


 ああ、それは三週間前に書いたものだ。


「『いつか貴方の隣で、同じ朝を迎えられたなら』」


 ミリア様が、頬を赤く染めてうつむく。

 大広間のあちこちから、うっとりとしたため息が漏れた。


 殿下が息を吸う。

 私は、その続きを口にした。


「『ひとひらの花びらにさえ、貴方の面影を探してしまう私を』」


 殿下の声が止まる。


「『つたない言葉ですが、どうか笑わないでくださいませ』」


「な……なぜ、君がそれを……」


 大広間が、しんと静まり返った。


 私はゆっくりと殿下の前に進み出る。


「殿下。その便箋、各行の最初の一文字だけを、上から順に読んでいただけますか?」


「何を言っているんだ」


「お願いいたします。一文字だけで結構ですので」


 殿下は眉をひそめ、便箋に目を落とした。


「だ……い……ひ……つ……」


 殿下の顔から、すうっと血の気が引いていく。


「だいひつ。代筆、ですわ」


 私は、にっこりと微笑んだ。


「代筆屋『青インクの君』は、書いた恋文すべてに、この印を残します。万が一、恋文が悪用されたときのための決まりごとですの」


「そんな……では、ミリアは……」


「ええ。ミリア様のお手紙は、私が代筆いたしました」


 ミリア様が、びくりと肩を震わせる。


「そして殿下。殿下が代金を弾んで『青インクの君』に頼んだ、ミリア様宛ての恋文も」


 私は小首をかしげた。


「頭の文字を、読んでみてくださいな」


 殿下が、はっとしてミリア様を見る。

 読むまでもなかった。


 ミリア様が、自分の胸元から大切そうに一通の手紙を取り出し、行の頭を指でなぞったからだ。


「……だ、い、ひ、つ」


 ミリア様の小さな声が、誰も口をきかない大広間に響いた。


◇


「う、嘘だ! そんなもの、偶然だ!」


 殿下が叫ぶ。


「偶然が、ひと月で八通続くでしょうか?」


「く……っ!」


 貴族たちのささやきが、さざ波のように広がっていく。


「では、殿下の恋文も代筆?」


「『自分の言葉で想いを綴った』とおっしゃっていたのに」


「それも、婚約者のご令嬢に書かせていたなんて……」


 殿下の顔が、赤くなったり青くなったりする。


「エレナ、君は……君は、僕を騙していたのか!」


「いいえ、殿下。私はご依頼どおりに書いただけです。騙したのは、ご自分で書いたとおっしゃった殿下のほうですわ」


 殿下は言葉に詰まった。


「それに、殿下」


 私は、ずっと言いたかったことを口にする。


「三年間、私に一通もお手紙をくださらなかった方が、代金を払えば恋文が手に入ると思っていらした。そのことのほうが、私には悲しゅうございました」


 大広間に、気まずい沈黙が落ちた。


 そのとき、ミリア様が一歩前に出た。


「あの、エレナ様」


 私は身構えた。

 責められても仕方がないと思っていた。


 けれど、ミリア様は胸の前で両手を握りしめ、目を潤ませて言った。


「じゃあ、わたしが毎晩読み返して、泣いていた手紙は……全部、エレナ様の言葉だったんですか?」


「ええ、そうなります」


「わたし、あの手紙の言葉が好きで。殿下のことが好きなんだと思ってました。でも……」


 ミリア様は、ちらりと殿下を見た。

 それから、もう一度私を見た。


「わたしが好きになったのは、あの言葉だったんです!」


「ミ、ミリア!?」


 殿下が素っ頓狂な声を上げる。


「殿下、ごめんなさい。殿下とお話しするの、正直ちょっと退屈でした。手紙のときはあんなに素敵なのにって、ずっと不思議だったんです」


 どこかで、誰かが噴き出した。

 それが合図のように、くすくすという笑い声が大広間に広がっていく。


「エレナ様! わたしに、字の書き方を教えてください! 今度は自分の言葉で、手紙を書けるようになりたいんです!」


「え、ええ。私でよければ」


「やったぁ!」


 殿下は、その場に立ち尽くしていた。

 握りしめた青い封筒の束が、手の中でくしゃりと潰れる。


「ルーカス」


 低い声が、大広間の奥から響いた。


 人垣が割れ、国王陛下が姿を現す。

 その手には、一冊の薄い本があった。


「先週、お前が文芸院に献上した詩集だ。『真実の愛の書簡集』。王太子自らの筆による、とお前は言ったな」


「ち、父上、それは……」


「文芸院長が、今年の文芸賞に推していた。取り下げさせる」


 陛下は詩集を閉じ、深いため息をついた。


「言葉を金で買い、それを己のものと偽った。王太子として、これ以上の恥はない。ルーカス、お前は明日から文書院の見習い書記として、自分の手で文字を書くことから学び直せ」


「そんな……!」


「エレナ嬢との婚約は、お前の望みどおり解消する。エレナ嬢、三年間すまなかった」


 私は、深く一礼した。


 顔を上げると、殿下と目が合った。

 殿下は何か言いたそうに口を開き、それから閉じた。


 言葉が出てこないのだ。

 この方は、ご自分の言葉を持っていないから。


 近衛騎士に促されて、殿下は大広間を出ていった。

 ミリア様はその背中を見送り、それから小走りで私のそばへやってきた。


「エレナ様、さっそく明日から字の練習をしたいです。お時間ありますか?」


「ええ。でも、その前に一つだけ」


「はい」


「あなたの依頼状、とても良い文章だったわ。私はそれを、少し整えただけよ」


 ミリア様は目を丸くして、それから、ぱっと顔を輝かせた。


◇


 翌日の夕方。


 私は、ふくろう堂の奥のカウンターにいた。

 昨夜の騒ぎが嘘のように、店の中は静かだ。


「お疲れさまでした、エレナ様」


 ノアが、湯気の立つ紅茶を置いてくれる。


「代筆屋は、もう店じまいですか?」


「どうかしら。正体は王都じゅうに知られてしまったし」


「今朝から、依頼の封筒が三倍に増えていますが」


「それは困ったわね」


 ノアが、青い封筒の山をカウンターに積み上げる。

 一番上の一通は、見覚えのある、ひどく乱れた字だった。


『エレナへ。文書院の書記長に、謝罪の手紙を自分で書けと言われた。書いたので読んでくれ。ルーカス』


 便箋を開くと、三行だけ書いてあった。


『昨日は悪かった。僕も反省している。これからもよろしく』


 私はしばらくそれを眺めてから、赤いインク壺の蓋を開けた。


「ノア。添削用のペンを貸してくれる?」


「返事を書かれるのですか」


「いいえ。代筆はしないわ。添削だけ」


 私は余白に、小さく書き込んだ。


『何が悪かったのかを、具体的に書きましょう』

『「これからもよろしく」の意味が分かりません』

『あと十回、書き直してください』


 ノアが、肩を震わせて笑いをこらえていた。


 ミリア様からの封筒も入っていた。

 字の練習帳の最初の一頁が、同封されている。

 まだ拙いけれど、昨日よりずっと丁寧な字で、こう書いてあった。


『エレナ様の言葉が、わたしのお手本です』


 読みながら、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 代筆屋を続けてきて、一番うれしい手紙かもしれなかった。


 私は笑った。

 婚約してから三年、ずっと張りつめていた肩の力が、ようやく抜けた気がした。


 ノアは少し黙ってから、カウンターの下から一通の封筒を取り出した。


 青い封筒ではない。

 真っ白な封筒だ。


「これは、依頼ではありません」


「え?」


「私が、私の言葉で書いたものです。代筆屋のあなたに読んでいただくのは、とても勇気が要りましたが」


 ノアは耳まで赤くなっている。


 ノアは、三年前にこの店を継いだ若い店主だ。

 先代の祖父が亡くなり、王立書庫の写字生の職を辞めて帰ってきたのだと聞いている。

 代筆屋を始めたいと相談したとき、ノアは理由を一つも聞かずに、奥のカウンターを空けてくれた。


 依頼の手紙を受け取り、代金を数え、できあがった恋文を箱に戻す。

 それだけの役目を、ノアは三年間、一日も休まずに続けてくれた。

 私が書き損じて丸めた便箋を、黙って拾って暖炉にくべてくれたのも、ノアだった。


 私は封を切った。

 几帳面な、少し角ばった字。

 店の帳簿や本の値札で、三年間ずっと見てきた字だ。


『すずしい顔で、あなたはいつも他人の恋を書いていた』

『きっと自分の恋文は、一通も書いたことがないのでしょう』

『できることなら、その最初の一通を受け取る者でありたい』

『すぐにとは言いません。返事を、待っています』


 私は便箋を持ったまま、しばらく動けなかった。


 代筆屋の癖で、目が勝手に行の頭を拾ってしまう。


 す。

 き。

 で。

 す。


「……ノア」


「はい」


「あなた、代筆屋の決まりごとを、真似したわね」


「三年も隣で見ていましたから」


 ノアは、困ったように笑った。


 私は青いインク壺を引き寄せ、いつもより丁寧にペンを浸した。

 書くのは、四行だけ。


 生まれて初めての、自分のための手紙。


 代筆ではない、私の言葉で。


『わたしも、ずっと隣のあなたを見ていました』

『たぶん、あなたが思うよりずっと前から』

『しんと静かな、閉店後のこの店が好きでした』

『もう一度言いますね。この手紙は、代筆ではありません』


 頭の四文字を、ノアはきっと、すぐに読むだろう。


 わ。

 た。

 し。

 も。




↓番外編「白い封筒」(ノア視点。三年間カウンターの隣で見ていたこと)

https://note.com/wise_turtle184/n/nf04daefe027d?app_launch=false

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