第三章 アナログの鍵
小章① 追跡者
土曜日の午後。丸の内の街は、週末を楽しむ人々で溢れかえっていた。 真田はその人波をかき分けるようにして走った。背後を振り返る余裕はないが、肌がチリチリするような感覚が消えない。大崎が差し向けた「実働部隊」が追ってきているはずだ。銀行がひた隠しにする「闇」を守るためなら、彼らは手段を選ばないだろう。
路地裏に入り、息を整えながらスマートフォンを取り出す。 水原沙織に連絡を入れた。
「真田さん!? 今どこ? 銀行の中は大騒ぎになってるって聞いたけど」
「逃げ出した。……沙織、頼みがある。車を出してくれ。今すぐ行きたい場所がある」
「分かったわ。場所は?」
「秋葉原だ。電気街口で落ち合おう」
真田は通話を切り、SIMカードを抜いて側溝に捨てた。これでGPS追跡はできない。 彼はタクシーを拾わず、地下鉄の丸の内線に飛び乗った。 目指すは、阿久津が生前借りていた、秋葉原のレンタル倉庫だ。
電車に揺られながら、真田は阿久津との会話を思い出していた。 『なぁ、真田。デジタルデータなんて信用できないよな』 阿久津はよくそう言っていた。 『0と1の羅列なんて、停電ひとつで消えちまう。本当に大事なものは、質量のある場所に置いておくべきだ』 阿久津が「裏帳簿」のデータを隠すとしたら、ネット上ではない。物理的に切り離された場所。そして、彼にとっての聖地である秋葉原のあの場所しかない。
三十分後。秋葉原駅。 電気街口のロータリーに、沙織の愛車である赤いミニクーパーが滑り込んできた。 真田は助手席に乗り込み、身を沈めた。
「出してくれ。昭和通り方面のレンタルボックスだ」
車が走り出すと、沙織が心配そうに真田を見た。 「顔色が悪いわよ。……それで、勝算はあるの?」
「五分五分だ。だが、阿久津が残した『物理的な証拠』があれば、大崎を脅せる。デッドマン・スイッチを止めるには、銀行側が罪を認めてシステムを解放するしかないんだ」
その時、バックミラーに映る黒いワンボックスカーが気になった。 車線変更をしても、一定の距離を保ってついてくる。
「……つけられてる」
真田が呟くと、沙織もミラーを見た。
「プロね。私の運転で振り切れるかしら」
「いや、あそこまで誘い込もう。電気街の路地なら、大型車は入れない」
小章② 秋葉原の聖地
沙織はハンドルを切り、秋葉原の裏通りへと突っ込んだ。 メイドカフェの呼び込みや外国人観光客でごった返す細い道を、ミニクーパーが縫うように走る。黒いワンボックスカーは人混みに阻まれ、立ち往生した。
「ここだ! 待っててくれ!」
真田は車を飛び降り、雑居ビルの地下にあるレンタルボックス『マイ・スペース』へと駆け込んだ。 薄暗い通路には、鉄製のロッカーがずらりと並んでいる。 阿久津の契約していたロッカー番号は『404』。 『Not Found(見つからない)』。彼らしい皮肉な番号だ。
真田は、阿久津が失踪前に「預かっていてくれ」と言って渡してきたスペアキーを取り出した。当時は何のことか分からなかったが、これだったのだ。 鍵を差し込み、回す。 扉が開いた。少し黄ばんだ1枚の紙があった。五年間の使用料の領収書・・。阿久津の名前ではない。
阿久津は、このロッカーを借りる際、偽名を使って五年分の利用料を現金で一括前払いしていたのだ。管理会社からの督促も更新連絡も来ない、完全なブラックボックス。彼がここに「何か」を残してから三年間、この空間は誰にも侵されることなく、静かにその時を待っていた。
中に入っていたのは、一台の無骨なハードディスクドライブと、一冊の古い大学ノートだった。 真田はノートを開いた。 そこには、銀行の設立資金に関わった広域暴力団の企業名、送金ルート、そしてマネーロンダリングに関与した政治家の名前が、手書きでびっしりと記されていた。 そして、ハードディスクには、その裏付けとなる膨大な送金ログのバックアップが入っているはずだ。
「これだ……。これがあれば!」
真田はハードディスクを抱きかかえた。 その時、背後でコツコツという足音が響いた。
「見つけたぞ、真田」
振り返ると、スーツ姿の男たちが三人、通路を塞ぐように立っていた。 大崎の手下たちだ。GPSを切っても、先回りされていたのか。
「それを渡してもらおうか」
男の一人が警棒を取り出し、手のひらで叩いた。
「断る。これは阿久津の命だ」
「なら、お前も一緒に死んでもらうだけだ」
男たちが襲いかかってくる。 真田はエンジニアだ。喧嘩などしたことがない。 だが、今の彼には引けない理由があった。
真田はハードディスクを抱えたまま、体当たりで一番端の男に突っ込んだ。 意表を突かれた男がよろめく。その隙に、真田は非常口へと走った。 背中に激痛が走る。警棒で殴られたのだ。 だが、足は止めなかった。
非常階段を駆け上がり、裏路地に出る。 そこには、先回りしていた沙織が車を寄せて待っていた。
「乗って!」
真田が飛び乗ると同時に、ミニクーパーは急発進した。 男たちが怒号を上げて追いかけてくるが、車はすでに大通りへと合流していた。




