8話 管理人は天魔の少年
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
大好きなまったり日常回です。
ネアとレフィーナは部屋から出ると、一階へ降りる階段に差し掛かった。
二階の廊下には三角屋根の窓から朝日が照らし出し、木のぬくもりと相まって幻想的な雰囲気を醸し出していた。
レフィーナが言うには、この家は地上に追放されたとき、たまたま見つけた物らしい。
荒れ果てていたこの家を精霊たちが協力し、今の形に仕立てたのだという。
外観も内装も立派なログハウスだが、それはあくまで見た目だけ。精霊たちは人間のことをしっかりと理解していないらしく、エントランスやリビング、厨房、お風呂などは一通りあるのだが、どれも型を真似ただけらしく、使うのに適しているかどうかは分からないとのことだった。
二階にはレフィーナの寝室と、今しがた出たネア用の個室、そして他にもいくつか空き部屋がある。だがどの部屋も、精霊たちが用意したベッドや最低限の家具が数点置かれているだけで、部屋はがらんとしていた。
精霊たちはもともと森に宿る魂のような存在だ。寝る必要もなく、普段は光の粒子となって森の中を漂っているため、家の中に自分の居場所を作ろうとはしなかったようだ。
階段を一段ずつ降りながら、ネアはふと気になっていたことを口にした。
「レフィーナ様。さっき、女神様は食事が必要ないって仰っていましたけど、もしかしてこの家に食糧は無いのでしょうか?」
ネアが当然の質問をする。
女神であるレフィーナや精霊たちには、食事や睡眠などの欲求は存在しないという。
この大地から溢れる理の粒子――神気を糧とする彼女たちにとって、生物の営みである「食事」は必須の行為ではないのだ。
しかし天魔であるネアは当然お腹は空くし、眠くもなる。ベタベタした身体を綺麗にしたいとも思うのだ。
食糧が無いのはネアにとっては死活問題だ。
自ら木の実を探すか、もしくは動物……下手をすると魔物を狩らねばならないかもしれない。
そんなことを考えていると、レフィーナはくすっと恥ずかしそうにはにかんだ。
「ええ。私にとって、食べたり飲んだりすることは身体を維持するためではなく、心を豊かにするための趣味……いえ、大切な贅沢なのよ。香りを楽しみ、味を慈しむことで、なんだか自分が世界と繋がっているような気がして。だから、お腹は空かないけれど、美味しいものをいただくのは大好きなの」
レフィーナは自らの胸元に手を当て、優雅に微笑む。
「今までは気が向いたときに、精霊たちが森の恵みを少しだけ運んできてくれる程度だったの。でもこれからはあなたがいるのだもの、食糧についてもきちんと考えないといけないわね」
「すいません……女神様に気を遣わせてしまって……」
「ふふっ。あなたに必要なことなら喜んで用意するわ」
そこまで言うと、レフィーナは胸の前で両手をぽんっと合わせた。
「そうだわ。ネア、お仕事がしたいと言ってたわよね」
「は、はい! 自分にできることなら、なんでもやらせていただきます!」
「あら……。ネア、あなた……今、『なんでもやる』って言ったわね?」
そのどこか悪戯っぽい響きに、ネアは一瞬たじろいだ。
『なんでもやる』と言ったものの、相手は女神様だ。何か今の自分には到底不可能な、とんでもない試練でも命じられるのではないか――と。
ネアの表情が少しばかり強張った、そのときだった。
「ネア……。あなた、このお家の管理をお願いできないかしら?」
「へ……管理……ですか?」
ネアは思っていなかった展開に素っ頓狂な声を上げる。
覚悟を決めた直後に提示されたのが『お家の管理』という、あまりにも身近な言葉だったからだ。
「ええ。お料理にお掃除、お洗濯。このお家が、あなたと私にとって、もっと心地よい場所になるように整えてほしいの。恥ずかしいけど、私や精霊たちは生活というものに疎くって」
レフィーナはへにゃっと可愛らしい笑みを零した。
その笑みを見たネアの緊張は嘘のように溶けていく。そして表情はパァーっと太陽が昇ったように明るく輝いた。
「はい! もちろんです! むしろ、僕にやらせてください!」
ネアは期待に満ちた目で力強く頷いた。
天界で奴隷として過ごした五年間。掃除の完璧さ、洗濯物の畳み方、そして何より料理の腕。
それはネアが生き残るために必死に身につけた、唯一の武器だった。
それらはすべて、あの冷徹な屋敷で叩き込まれたものだが、今こうして大好きな女神の役に立てるのだと思うと、誇らしささえ感じてしまう。
「ふふっ。そんなに喜んでもらえるなんて。じゃあ、改めて今日からこの家の管理をあなたに任せるわね、ネア」
「はい! お任せください、レフィーナ様!」
敬愛する女神様から与えられた初めてのお仕事に、ネアは喜びを抑えきれないといった様子で、目を燦燦と輝かせていた。
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