7話 初めての信徒
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
救い、救われ
翡翠色の長い髪が、シーツの上にさらさらと流れる。
レフィーナは黄金色の双眸をぱちくりとさせ、自らの腕の中にすっぽりと収まった小さな少年――ネアを見つめた。
困ったような、けれど愛おしさを隠しきれない微笑みがその唇に浮かぶ。
「お仕事、ですか……?」
「ええ、そうです。僕、じっとしているのが……その、あまり得意ではなくて。それに、命を救ってくださったレフィーナ様や精霊様方に、何かお返しがしたいんです」
ネアの声は、まだ声変わり前の幼さを残しながらも真剣そのものだった。
天界で奴隷として過ごした五年間、彼は休むことを一度として許されなかった。
常に何かをしていなければいけない。身体に染みついた性分が今の彼を突き動かしているのだろう。
レフィーナは、そんなネアの心情を察し、胸を痛めたように眉を寄せる。
彼女はそっと身を起こすと、ネアの頬を指先で優しく撫でた。
「あらあら。あなたはここにいて、私と一緒に笑っているだけで十分なのよ? それに……そうね、困ったわ。本当に、この森にはあなたにお願いするようなお仕事なんて、何一つ見当たらないの」
「えっ……? で、でも、生活するには、色々と必要ですよね? お食事の支度とか、お洗濯とか、お掃除とか……」
ネアが食い下がると、レフィーナはふふっと優雅に笑い、首を横に振った。
「ネア。私は女神よ? 本来、食事も睡眠も、入浴さえも必要としないの。この大地から溢れる理の粒子――神気と、そして祈りがあれば生きていられるわ」
そこで一度言葉を切ると、レフィーナはどこか遠くを見るような、寂しげな眼差しを向けた。
「女神にとって、万物から溢れる神気は身体を形作る糧なの。けれど、その存在を支え、力を全盛期へと押し上げるのは人々の純粋な祈りなの。……私は神界の争いに敗れ、この地に囚われてから三百年の間、人々からも、天使からも、悪魔からも忘れ去られていたのよ」
レフィーナは自らの掌を見つめる。
「信仰が枯渇すれば、私たちは消えてしまう。昨日、あなたに出会うまでの私は、存在を維持する神気さえ残りわずかだったわ」
「そんな……。じゃあ、どうしてレフィーナ様は今まで消えずにいられたんですか?」
ネアが縋るように問いかけると、レフィーナは再び慈しみをもった眼差しでネアを見つめた。
「――世界中が私の名を忘れたはずなのに、たった一つだけ、とても細くて、けれど決して途切れることのない純粋な祈りの糸が届き続けていたのよ。そのたった一つの祈りが、今日まで私を繋ぎ止めてくれたの」
その言葉を聞いた瞬間、ネアは全てを理解した。
厳格だった悪魔の父と、優しかった天使の母。
二人は誰にも見られないよう、地下の隠し祭壇に掲げられた見知らぬ女神像に向かって、毎日欠かさず祈りを捧げていた。
そして二人の子であるネアも、両親の真似をして拙いながらに祈りを捧げ続けていた。
それは、天界の法を犯してでも守り抜いた、一族の固い約束。
だがそれと同時に、ネアが両親から引き離され、奴隷としてあの屋敷に囚われた原因でもあった。
(父様、母様……。お二人の祈りは……本当に女神様に届いていたんですね……)
ネアの胸に熱いものが込み上げる。
自分たち家族が捧げてきた祈りが、目の前の愛おしい女神の命を繋いでいた。
ならば、その糸を今度は自分が太く、決して切れないように、確かなものに変えていきたい。
「レフィーナ様……ならば――」
ネアはベッドの上で居住まいを正し、レフィーナの手をそっと包み込むように握った。
その双眸は、一点の曇りもない決意に満ちている。
「僕をレフィーナ様の――初めての信徒にしてください」
「……ネア……っ」
レフィーナの瞳が大きく見開かれ、ネアを凝視する。
「僕があなたを敬い、あなたに感謝し、あなたの名を世界中に響かせます。あなたが二度と消えそうになったりしない、最高に幸せな居場所を僕が作ります」
「あ……」
レフィーナは黄金色の瞳を大きく見開いた。
それはただの子供の言葉ではない。その誓いと共に、彼女の体内に今まで感じたこともないほど濃密で温かな神気が流れ込んできたからだ。
それは、かつて数百万、数千万の信徒から捧げられたどの祈りよりも純粋で、深く、力強いエネルギー。
ネアの存在そのものが放つ「絶対的な信仰」が、枯れ果てていた女神の泉を満たしていく。
レフィーナは、震える手でネアの小さな身体を抱き寄せた。
少年の細い肩越しに感じる鼓動と、自分に向けられる無垢な信頼。
それが、何よりも確かな「生」の実感として彼女の魂を震わせる。
「ありがとう、ネア。……嬉しいわ、本当に。あぁ、なんて温かいのかしら。あなたの祈りは、まるで春の陽だまりのようね」
彼女の目尻から、一筋の光の雫がこぼれ落ちた。
それは悲しみの涙ではなく、永い孤独の果てに見つけた「救い」への喜びだった。
「私はもう一人ではないのね。あなたという、かけがえのない光を得たのだから。……あなたの誓い、たしかに受け取ったわ。私の、愛しい信徒さん」
その瞬間、ネアの胸の奥に、レフィーナとの消えることのない聖なる絆が刻まれるのを感じた。
世界から忘れ去られた孤独な女神に、たった一人の、けれど何よりも強固な絆で結ばれた信徒が誕生した。
ネアが神界を追放された女神に救われたように、レフィーナは天魔の落とし子に救われたのだ。
天魔の落とし子と追放女神。
二人のための、そして新しい居場所を作るための歴史が静かに幕を上げた。
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