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天魔の落とし子と追放女神 ~命の恩人と始めた2人きりの居場所は、やがて世界を照らす最強の聖域となる~  作者: スージー・ウエストウッド
第1章

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6/6

6話 微睡みの中で

第一章冒頭はさっそく甘甘展開からスタートです!

よろしくお願いします!


天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。

 まぶたの裏側に、柔らかな春の陽だまりのような光が透けてくる。

 

 意識がゆっくりと、深い泥のような眠りの底から浮上していく。

 ネアが最初に感じたのは、これまでに知るはずもなかった、圧倒的で濃密な「幸福感」だった。


 全身が、驚くほど柔らかで、(あたた)かな何かに包み込まれていた。


 貴族の屋敷の硬い寝床とは全く違う、柔和(にゅうわ)な空気を肌で感じる。


 背中にも、頬にも、不快感が一切ない。まるで雲の上で眠っているかのような浮遊感と、極上の羽毛に包まれたような安心感。

 鼻腔(びくう)をくすぐるのは、雨上がりの森に咲く花々を凝縮したかのような、甘くて優しいフローラルの香り。


(……あったかい。それになんだか、すごく……いい匂いがする)


 寝ぼけ眼のまま、ネアは無意識にその(ぬく)もりの中心へと顔を寄せた。

 さらに深く、その安らぎに埋もれたい。本能がそう告げていた。


 しっとりと吸い付くような肌の質感。トクトクと、自分よりも少しだけゆっくりとした、穏やかな鼓動が耳に届く。

 それは、天界での五年間、一度として許されることのなかった、絶対的な安息のリズムだった。


 ネアは頬をすり寄せた。


 むにゅり。


 顔全体を包み込むような、豊満で弾力のある柔らかさが、彼を受け止める。

 それは単なる枕や掛け布団ではあり得ない、生命の温かみを帯びた至高の感触だった。


「……んぅ……」


 あまりの心地よさに、喉の奥から甘えたような声が漏れる。

 ずっとこうしていたい。このまま世界が終わるまで、この温もりの中に溶けてしまいたい。

 そんな微睡(まどろ)みの中で、ふと、頭上から何かが降ってきた。


「あらあら……。ふふっ、本当に甘えん坊さんね」


 コロコロと鈴を転がしたような、優雅で透き通った声。

 同時に、何かの細い指先が、ネアの髪を優しく()き、その耳元をくすぐるように撫でた。


(……え?)


 思考の霧が、急速に晴れていく。

 この声を知っている。

 世界で一番優しくて、世界で一番美しい、僕の神様。


 ゆっくりと、恐る恐る重い瞼を持ち上げる。

 視界いっぱいに広がっていたのは、朝の光を受けてきらめく、翡翠(ひすい)色の艶やかな髪だった。

 そして、すぐ目の前には、吸い込まれそうなほど美しい女神の顔がある。

 長い睫毛(まつげ)に縁取られた黄金色の瞳が、慈愛に満ちた眼差しで、こちらを覗き込んでいた。


「……っ!?」


 一気に脳が覚醒し、ネアの体温が沸騰したかのように跳ね上がった。

 心臓が早鐘(はやがね)を打ち、全身の血流がドクドクと音を立てて巡り始める。


 現状を理解してしまった。

 自分が、あろうことか女神レフィーナ様を抱き枕のようにして、その豊かな胸元に顔を埋め、両手でしがみついていたことに。

 しかも、あろうことか頬ずりまでして。


「れ、れ、れ、レフィーナ様ぁっ!?」


 ネアは弾かれたように飛び退こうとした――が、それは叶わなかった。

 背中に回されたレフィーナの腕が、逃がさないとばかりに、しなやかに、けれど力強くネアを抱きしめたからだ。


「あら、おはよう、ネア。……そんなに急に動かなくても、どこにも逃げやしないわよ?」


 レフィーナは黄金の瞳を細めて、いたずらっぽく、しかし(とろ)けるように甘く微笑んだ。

 至近距離。あまりにも近すぎる。

 吐息(といき)が触れ合うほどの距離で、彼女の甘い香りがさらに濃厚にネアを包み込む。


「も、申し訳ありません! 僕、なんて無礼なことを……っ! 寝ぼけていて、その、夢かと思って……!」


 ネアは真っ赤になって弁明しようとするが、口が回らない。

 早くこの場から離れなければ。女神様への不敬(ふけい)な行為をすぐさま謝罪しなければ。


 だが、レフィーナの反応は、ネアの予想とは正反対だった。


「いいのよ。謝らないで」


 彼女はそっとネアの頭を引き寄せ、再びその胸の中へと戻してしまった。

 抵抗できない。いや、抵抗する気力すら奪われるほどの、圧倒的な包容力。


「昨夜、泣き疲れて眠ってしまったあなたを、私がこうして離さなかったのだもの。……久しぶりに聞いた誰かの寝息が、こんなにも愛おしいものだなんて、忘れていたわ」


 レフィーナの声には、親愛と、ほんの少しの切なさが(にじ)んでいた。

 彼女の指が、ネアの背中の羽があった付け根あたりを、愛おしげに撫でる。


「う、あ……っ」


 ネアは声を詰まらせ、掛け布団の中で小さく身を縮めた。

 レフィーナの腕から伝わってくるのは、罰を与える痛みではなく、どこまでも深く、すべてを許し、受け入れてくれる母性の温もりだった。


「どう? まだ、どこか痛むところはあるかしら?」


 レフィーナが顔を寄せ、ネアの額に自分の額をそっと重ねた。コツン、と軽い音がするほどの距離。

 黄金の瞳が、ネアの瞳の奥を覗き込む。そこには、かつての主たちが向けていた冷酷さは微塵もなかった。

 あるのは、ただ純粋な心配と、溢れんばかりの(いつく)しみだけ。


「……どこも、痛くないです。身体の中が、すごく……静かで、温かくて。こんなに気持ちいい朝は、本当に久しぶりです……」


 ネアは正直に答えた。嘘をつくことなどできなかった。

 レフィーナという「絶対的な安息」が、ネアの身体を、心を包み、圧倒的な安らぎへと導く。


「ふふ、そう。それはよかったわ」


 ネアの言葉に、レフィーナは心底嬉しそうに目を細めた。

 彼女の笑顔を見ると、胸の奥が温かくなって、涙が出そうになる。


「ねぇ、ネア。もう少しだけ、こうしていましょうか」


 レフィーナはそう囁くと、ネアを抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。

 柔らかく、甘い拘束。


「私ね。実は100年間、ここで一人ぼっちだったの。精霊たちは私に構ってくれるけれど、彼らはあなたのような血の通った温もりはないもの。あなたのようなぬくもりを持った子に出逢ったのは、100年ぶり。この温もりが夢じゃないって、もう少しだけ確かめさせて?」


 その言葉は、女神としての威厳よりも、一人の女性としての寂しさを覗かせるものだった。

 ネアはハッとして、レフィーナの顔を見上げた。


 100年の孤独。彼女に何があったかはわからないが、この優しくて美しい女神様は、僕なんかよりもずっと長い間、暗い(おり)の中で孤独に耐え続けていたのだ。


 ネアは迷いを捨て、そっと手を伸ばした。

 恐れ多くも、女神の背中に腕を回し、ぎこちなく抱き返す。

 華奢(きゃしゃ)な、けれど温かな少年の手が、女神の神衣(しんい)の背に触れる。


「……はい。僕も……こうしていたいです」


 ネアが答えると、レフィーナの身体がふわりと緩んだのがわかった。


「レフィーナ様が、ここにいていいって言ってくれたから。それだけで、僕……なんだか、すごく幸せなんです。だから、まだ起きたくありません」


 普段なら口にしないような甘えた言葉が、自然と溢れ出てくる。

 ずっと張りつめていた緊張の糸が解けたのか、レフィーナの香りに酔わされたせいか。

 けれど、そんなことはどうでもよかった。


「……まぁ」


 レフィーナは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから愛おしさが(こら)えきれないといった様子で、ネアの首筋に顔を(うず)めた。

 くくすぐったいような、熱い吐息がかかる。


「なんていい子なのかしら……。ええ、もちろんよ。ここは私とあなたの居場所なんだから」


「……はい、レフィーナ様」


 レフィーナは顔を上げると、ネアの頬を指先でぷにぷにと突いた。

 子供扱いされているようだが、それが少しも嫌ではない。むしろ、くすぐったくて嬉しかった。


 レフィーナはネアの頭を胸に抱き寄せ、優しくポンポンとリズムを刻むように背中を叩き始めた。

 まるで赤子をあやす母親のように。あるいは、最愛の恋人を慈しむように。


 朝の柔らかな光が窓の隙間から差し込み、ベッドの上で寄り添う二人を神々しく照らし出している。


 木造(きづく)りの、数点の家具しかない簡素な部屋。けれどそこには、世界中のどんな黄金の宮殿よりも尊く、どんな宝石よりも輝かしい、温かな絆の空間があった。


「あったかい……」


 ネアの意識が、再び心地よいまどろみの中へと溶けていく。

 レフィーナの心音が、世界で一番優しい子守唄のように響いていた。


 二人はしばらくの間、言葉を交わすこともなく、ただ互いの体温と存在を確かめ合うように抱き合っていた。


 ただただ甘く、ただただ優しい時間に身を委ねる。


 昨日まで奴隷同然だった自分がこんな穏やかな時間を過ごすだなんて予想もしなかった。


 しかし、ずっとこうしているわけにはいかない。

 ネアは断腸(だんちょう)の思いでレフィーナに告げた。


「レフィーナ様。僕に仕事を与えてくださいませんか?」


お読みいただきありがとうございました!

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