5話 2人きりの居場所
プロローグの最終話です。
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
二人の「居場所」がどんどん広がっていく様を描けたらいいなと思います。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
精霊たちが作ったスープ。
ネアはそれを、震える手ですくい、口へと運んだ。
――味は、ほとんどしなかった。
ただ野菜や肉を煮込んだだけの、塩気もコクもない、お湯のような味。
かつて天界の屋敷で料理番をしていたネアの舌からすれば、それは「料理」と呼ぶにはあまりに未熟な代物だった。
だけど――。
(……あたたかい)
喉を通る熱が、冷え切っていた身体の芯に染み渡っていく。
ネアは「穢れた子」として天界の貴族に拾われてから五年間、奴隷同然の雑用係として生きてきた。
もちろん、全てが地獄だったわけではない。
同じ屋敷で働く使用人たちは、末端のネアに対しても優しかった。主人の目を盗んでパンの端切れを分けてくれたり、怪我をすれば心配してくれたりもした。
ネアが作る賄い料理を楽しみにしてくれる彼らの笑顔は、孤独なネアにとっても大切な支えだった。彼らの優しさに、ネアは何度も救われてきた。
けれど、ネアはいつだって「誰かのために尽くす側」だった。みんなの食事が終わった後、少し冷めてしまった料理を厨房の片隅で一人、静かに口にするのが、ネアにとっての当たり前。
だから。
こうして清潔なベッドに横たわり、誰かが自分のためだけに用意してくれた「温かい食事」が目の前にあるということが――今のネアには、信じられないほどの奇跡のように、ただただ優しく胸に響いた。
「……う、ぐ……っ」
視界が不意に滲んだ。スプーンを持つ手が震え、カチャカチャと食器と触れ合う音が鳴る。
「……おいしい、です……っ」
ネアは必死に声を絞り出した。
味気ないスープだ。けれど、今のネアにとっては、どんな高級料理よりも胸に迫るご馳走だった。
ポロポロと、大粒の涙が零れ落ちる。
「……不可解です」
青い髪の精霊――青がわずかに眉を動かした。
彼女には理解できなかった。なぜ、栄養補給を行っている最中に、この個体は水分を排出しているのか。
「おいしい、と言語出力しながら、泣いています。……赤、加熱処理のミスでは?」
「否。温度管理は完璧だったはずだ」
精霊たちは顔を見合わせ、首を傾げる。彼らの光のない瞳には、ネアの複雑な感情など映らない。
けれど、その不可解な現象――理屈に合わない涙に、彼らは釘付けになっていた。
「たぶん……あったかいから、だよ」
一番小さな黄色い少女――黄が、ぽつりと呟いた。
彼女だけが、大きな鉄槌に顎を乗せ、興味深そうにネアを見つめていた。
ネアの震えは止まらない。
一度決壊した感情のダムは、簡単には修復できなかった。
天界での記憶が、まだ鎖のように心を縛っている。泣いてはいけない、弱みを見せてはいけない。役に立たない者は捨てられる。その恐怖が、温かさに触れたことで逆に浮き彫りになっていた。
「あ、う……ごめ、なさ……申し訳、ありませ……っ」
その時だった。
ふわり、と。
陽だまりのような甘い香りが、ネアを包み込んだ。
「――いいのよ」
耳元で、鈴を転がしたような優しい声が響く。
気づけば、ネアはレフィーナの豊かな胸に抱きしめられていた。
彼女の華奢な腕が、ネアの背中に回され、あやすように優しくトントンと叩かれる。
「レ、レフィーナ……さま……?」
ネアの身体が強張る。汚れた自分が、神である彼女に触れていいはずがない。
けれどレフィーナは離れない。むしろ、その抱擁をより強く、より深くした。
「泣いていいわ。謝る必要なんてない。……もう、誰にも遠慮しなくていいの」
レフィーナは、ネアの涙で自身のドレスが濡れることなど気にも留めず、愛おしそうに彼の銀髪を撫でた。
「天界も、魔界も、あなたを手放したことを後悔することになるわ。だってあなたは、私のかけがえのない恩人なのだから」
彼女は少しだけ身体を離すと、濡れた瞳で自分を見上げるネアの頬を、両手で包み込んだ。
黄金色の瞳が、慈愛に満ちた光でネアを射抜く。
「ねえ、ネア」
「……は、い」
「世界があなたを拒絶しても、私があなたを肯定する。あなたが帰る場所がないなら、私があなたの家になる」
レフィーナは、まるで宝物を扱うように微笑んだ。
「ここがあなたの『居場所』よ。……いいえ、違うわね」
彼女は首を横に振り、言い直した。
それは、主従の契約よりも深く、血の繋がりよりも濃い、魂の誓いの言葉。
「ここを――『私たち二人きりの居場所』にしましょう」
ネアの瞳が大きく揺らぐ。
「追放された女神と、天から見放された少年。……ふふ、お似合いだと思わない? ここから始めるのよ。誰にも邪魔されない、誰にも奪われない……世界で一番温かい居場所を」
「二人きりの……居場所……」
その言葉は、どんな魔法よりも強く、ネアの魂に刻まれた。
ずっと欲しかった言葉。
誰からも与えられなかった、「ここにいていい」という許し。そして、「あなたと共にいたい」という願い。
「……はい、レフィーナ様……っ!」
ネアは再びレフィーナに身体を預けた。
今度の涙は、悲しみではなく、魂が救われた温かな涙だった。
窓の外では、終焉の森が二人を祝福するように、優しくざわめいていた。
それは、たった二人の小さな温もりから始まった場所が、やがて世界を照らす「最強の聖域」となる――その始まりを告げた瞬間だった。
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