20話 初めての友達
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
ルズの村が、美しい茜色に染まり始めていた。
戦いの興奮が冷めやらぬまま、村の広場には大きな鍋が据えられ、宴の支度が始まっていた。
村人たちが総出で解体した『剛針の突進猪』の肉は、たっぷりの根菜と共に大鍋の中でぐつぐつと煮込まれている。
溢れんばかりの灰汁を丁寧に取り除き、味噌に似た地元の調味料で味を調えれば、たちまち辺りには食欲をそそる芳醇な香りが漂い始めた。
「さあさあ、英雄さん! まずはあんたが食べなきゃ始まらないよ!」
恰幅の良いパン屋の女将ポリーが、湯気の立つ大盛りの木のお椀をネアに差し出した。
「あ、ありがとうございます……っ」
お椀を受け取ったネアに、隣に座っていたユウが興味津々といった様子で身を乗り出してきた。
「……なあ、さっきのあの魔法、俺、生まれて一度も見たことないんだけど。君、本当はどっかの国の宮廷魔導師とかだったりするのか?」
「いえ、そんな。僕はただの……」
ネアは言葉を濁して、少し困ったように笑った。
まさか「天界を追放された天魔です」などと言えるはずもない。それに、レフィーナ様のことは絶対に秘密にしておかなければ。
「僕はネアといいます。えっと……ちょっとこの近くでお世話になっているただの魔法使いです」
「ただの魔法使い……にしては、ちょっと強すぎるけどな」
ユウは頭を掻きながら苦笑した。
「よろしくな、ネア! 俺はユウ。こっちは俺の母さんのポリー」
「よろしく、ネア」と、ポリーはニカッと笑い、お玉を振って歓迎の意を示した。
続いて、穏やかな微笑みを浮かべて名乗り出たのは、先ほどまで村の結界を守っていた女性だった。
「私はカリーナよ。この村で結界の管理をさせてもらっているの。今日は結界を破られてしまって……あなた方が来てくれなかったら、どうなっていたことか」
彼女の声には品があり、しかし決して近寄りがたくはない、あたたかみがあった。
そのカリーナの隣で、一人の少女が凛とした所作で立ち上がり、丁寧にスカートの裾を摘んだ。
「初めまして、ネア。私はエリと申します。カリーナの娘で……」
エリは礼儀正しく一礼すると、隣で早々に肉にかぶりついているユウへ視線を流し、悪戯っぽく唇の端を上げた。
「……そこの無鉄砲なユウの、お世話係をさせていただいております」
「ぶふっ!? お、お世話係ってなんだよ! 幼馴染だろ!」
ユウがお椀を持ったままむせ返り、抗議する。しかしエリは涼しい顔で「あら?」と小首をかしげるだけだった。
「だってユウ、放っておくとすぐ無茶をするでしょう? さっきも足が震えていたくせに、格好をつけて飛び出すから」
「うぐっ……そ、それは……」
「ふふっ。でも――そんなところが、私が一番信頼している理由でもあるんだけれど」
エリは鈴を転がすように笑うと、真っ赤になったユウの背中を、愛おしそうにそっとさすった。からかってはいるものの、そこにはユウへの深い信頼と愛情がはっきりと滲み出ている。
その様子を見て、村長のバルトが「ガッハッハ!」と豪快に笑いながら割り込んできた。
「俺は村長のバルトだ! ようこそルズの村へ! ここには王都みたいな派手なもんはないが、美味い飯と気のいい仲間がいる。みんな家族みたいなもんだ。いい村だろ!」
村を結界で守っているカリーナと、その娘のエリ。
パン屋のポリーと、その息子のユウ。
そして、村をまとめる豪快な村長のバルト。
血の繋がりがある者も、ない者も、この村では一つの大きな家族のように寄り添って生きているのだ。
「あの、ユウさん、エリさん。改めて、よろしくお願いします」
ネアが丁寧に頭を下げると、ユウとエリは顔を見合わせて笑い合った。
「さん付けなんていらないって。俺たち、同い年くらいだろ? 気を使わなくていいよ」
「ええ、私もエリと呼んでちょうだい。ネア、これからよろしくね」
ネアの目がわずかに開かれる。
同年代の人間と、名前で呼び合う。それだけのはずなのに、何故だか胸が熱くなった。
「うん。……よろしく、ユウ、エリ」
「おう! さあ、冷めないうちに食べよう!」
ユウに促され、ネアは猪の肉を口に運んだ。
(……! 美味しい……)
口いっぱいに広がるのは、厳しい魔の森で育った猪肉の力強い弾力と、大地の恵みをたっぷり吸い込んだ野菜の甘み。そして何より、作り手の温かみがその一杯に丸ごと詰まっていた。
「どうだ、美味いか!?」
バルトが、ネアの背中をバシッと叩く。
「はい……すごく温かくて、美味しいです」
「ガッハッハ! だろう! この村の料理は世界一だからな!」
ネアの隣では、黄が「あついっ、あついよー!」と言いながら、一生懸命にお肉を頬張っていた。
「でも、おいしい、おいしい! ネアのごはんとはちがうけど『あじ』が、もっとよくわかるみたい!」
黄は無邪気に笑いながら、味覚という新しい感覚を心底楽しんでいるようだった。
「みどり、これおいしいよ!」
「ああ、分かってる。……確かに、な」
緑は木陰に腰を下ろし、静かにスープを口に運んでいた。その細い目がわずかに和らぐ。
「神気を得るわけじゃないが……心を満たすためのメシってのも、悪くない贅沢だな」
彼ら精霊もまた、ネアという特異な存在と関わることで、これまで知らなかった「人間らしい情緒」を少しずつ学び始めているようだった。
村人たちも、精霊である彼らに「きーちゃん」「緑さん」と親しげに話しかけ、おかわりを勧めている。もともと村人との交流があった緑と黄だったが、ネアとの出会いと今日の出来事を経て、その距離がさらに縮まったように見えた。
種族の垣根を超えた、穏やかな宴の光景だった。
「……ねえ、ネア」
不意に、カリーナが静かに声をかけてきた。
夕日に照らされた彼女の横顔は、美しさと同時に、母親としての慈愛に満ちていた。
「改めて、お礼を言わせてほしいの。あなたがいなければ、この村は、そして私の大切な家族はどうなっていたか……。本当に、ありがとうございました」
カリーナが深々と頭を下げる。
「やめてください、カリーナさん。僕は……皆さんの戦う姿を見て、ただ、力になりたいと思っただけですから」
ネアが首を振ると、カリーナはふっと目を細めた。
「あなたは……不思議な子ね。それほどまでの力を持ちながら、まるでお日様のような温かさを持っている。……ふふ、もしかしたら本当に、どこかの神様が遣わしてくれた天使様なのかもしれないわね」
その言葉に、ネアはドキリとした。
神の使いなどでは、断じてない。むしろ天界からは不要とされた、弾き出された存在だ。
けれど――この温かい場所では、そんな自分の出自さえ、些細なことのように思えてくるから不思議だった。
カリーナは、そんなネアの寂しげな、けれど真っ直ぐな瞳の奥に何かを感じ取ったように、少しだけ声のトーンを落とした。
「……ネア、あなたに家族はいるの?」
カリーナが優しく問いかけてくる。
「家族は……今はいません。でも、一緒にいてくれる方が、います」
ネアはそっと答えた。詳しく話すことはできないけれど、嘘をつくつもりもなかった。
「そう。……大切に、してあげてね」
カリーナが温かく微笑む。
ネアは静かに頷いた。
やがて、宴は賑やかさを増し、笑い声が夜風に乗って広場を満たしていく。
ネアはその輪の中に座りながら、ふと自分の胸の中に、じわりと滲むものがあることに気づいた。
(……ああ、会いたいな)
温かな食卓を囲んで、でもどこか、ポツリとした気持ちが生まれていた。
こんなに楽しいのに。こんなに満たされているのに。
それなのに、心のどこかにぽっかりと丸い穴が空いているような感覚。
その小さな空洞を埋めてくれる温もりを、ネアは世界でただ一人しか知らなかった。
(レフィーナ様と一緒に食べたかったな。この猪鍋、きっと喜んでくださっただろうな)
火に照らされた空を見上げながら、ネアは自分を待っているだろう女神のことを思う。
ルズの村で得た経験と、心に刻まれた温もり。
今すぐ帰って、あの麗しの女神様の隣で、全部話したくて仕方がなかった。
一番星が輝き始めたその夜空を、ネアはひとり、静かに見上げていた。
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