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天魔の落とし子と追放女神 ~命の恩人と始めた2人きりの居場所は、やがて世界を照らす最強の聖域となる~  作者: スージー・ウエストウッド
プロローグ 天魔の落とし子と追放女神

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2話 翡翠の女神

天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。二人の「居場所」がどんどん広がっていく様を描けたらいいなと思います。楽しんでいただけたら嬉しいです。

(……温かい)


 頬を撫でる空気は陽だまりのように優しく、ほんのりと甘い花の香りがした。


(……ああ、そうか。僕は死んだんだっけ)


 天魔の少年ネアは、微睡(まどろ)みの中で静かにそう確信した。


 陽も差さぬ湿った小部屋の隅で過ごした五年間。

 貴族の屋敷でありながら、あの澱んでいた空気とはあまりに違う、眩いばかりの清らかな場所だった。


 きっとここが、両親が教えてくれた「安息の地」に違いない。


 ゆっくりと瞼を持ち上げる。右目に金、左目に紫の、神秘的なオッドアイが姿を現した。


「……死後の世界にも家ってあるんだ」


 ネアは寝かせられていたふわふわのベッドの上で、ぼんやりと周囲を視界に収める。


 目に入ったのは綺麗な木造の部屋。

 簡素な内装であり、家具はベッドと木製のテーブルと椅子、部屋の隅に置かれた小さな机の上の花瓶には美しい花が飾られている。そして窓からは暖かな陽射しが部屋に差し込んでいた。


(……綺麗な部屋……ベッドもふかふか……ずっと寝ていたくなっちゃう)


 ふと、自分の手元に視線を落とし、ネアは小さく息を呑んだ。

 天から落ちる際にこびりついていた泥や血、そして服に染み付いた汚れさえもが、跡形もなく消え去っていたのだ。

 肌は驚くほど清浄に拭き清められ、ボロボロだった服の代わりに、肌触りの良い真っ白なシャツが与えられている。


 背中にも、違和感はない。

 天界と魔界、相反する二つの血を引く象徴である白と黒の翼。本来ならば異形として目立つはずのそれは、今はネアの身体に収められていた。


 しかし、一度意識がはっきりしてくると、ネアに染み付いた習性が無意識に部屋の隅々を観察し始めた。


「あ、あそこに少しだけ埃が……掃除、しなきゃ」


 ふらつく体を押さえて起き上がろうとした、その時だった。


「あら、もう起きて大丈夫なのかしら? 可愛い迷子さん」


 鈴を転がしたような、透き通る美声。

 反射的にそちらを向けば、開かれた扉の向こうに、この世のものとは思えないほど美しい女性が立っていた。


 腰まで届く翡翠(ひすい)色の髪。宝石を溶かしたような黄金の瞳。

 胸元が開いた純白の薄衣を着用し、文様の入った白いショールを羽織っていた。

 彼女が歩くたびに、衣擦(きぬず)れの音と共にフローラルな香りが鼻腔をくすぐる。


「あ……あ……」


 ネアは息を呑んだ。


「レフィーナ……様……」


 その名を口にした途端、彼女の黄金の瞳が驚きに見開かれた。

 ほんの一瞬の静寂。だが、すぐに彼女は花の蕾が綻ぶように、優しく、そして愛おしそうに目を細めた。


「あら……。私の名前を知ってくれているの?」


 彼女はゆったりとした動作でベッドの縁に腰を下ろすと、ネアの頬へそっと手を伸ばしてきた。


「あ……」


 触れられた頬から、じんわりと熱が伝わってくる。

 微睡みの中にいるネア。彼の思考の輪郭は甘く溶け、身体はまだ重く、そしてどうしようもなく心地よい。


(……温かい……)


 逃げることも、否定することもできない。ただ、頬を包む彼女の手のひらが余りにも優しくて、ネアは吸い寄せられるようにその温もりに顔を預けた。


「ふふ、甘えん坊さんね」


 彼女は嬉しそうにクスクスと笑うと、親指でネアの目尻を優しく撫でた。


「ここは私の家。そしてあなたは死んでなんていないわ」


「……僕……いきて、る……?」


「ええ。空から落ちてきたあなたを、私が受け止めたの」


 受け止めた。その言葉の意味を深く考えるよりも先に、彼女の指先がネアの前髪を優しく()く心地よさが勝ってしまう。


「……でも、レフィーナ、さま……ですよね」


 ネアがもう一度、確認するかのように夢現に名を呼ぶ。


「ええ、そうよ」


 ふわりと、視界が白に埋め尽くされた。彼女が覆いかぶさるようにして、ネアを抱きしめたのだ。


「……んぅ……」


 豊かな胸の感触と、陽だまりのような匂いが全身を包み込む。

 苦しくはなかった。むしろ、壊れ物を扱うような慎重さで、それでいて絶対離さないというような強い意志を感じる抱擁だった。

 自分という存在を、丸ごと肯定されているような安心感。


「よしよし……いい子ね」


 耳元で囁かれる声は、とろけるように甘い。

 でもネアからしてみたらこれだけは確認しておかなくてはならない。

 レフィーナの胸から顔を離し、「ぷはっ」と息を整える。そして上目遣いで確認するかのように問いかけた。



「『安息と救済の女神、レフィーナ様』……ですよね?」



 その言葉を聞いて、彼女はまたもハッとしたように目を見開いた。

 まさかその「二つ名」まで知っているとは思わなかったのだろう。


 彼女はネアから身体を放すと、とろんと微睡むネアの瞳を覗き込み、極上の笑みを浮かべて言った。


「改めて名乗らせてちょうだい。私の名は、レフィーナ・エル・アストライア。あなたの言うように、『安息と救済の女神、レフィーナ』よ」


 その笑みは、見るものに幸福を与える慈愛の笑み。

 しかしレフィーナはへにゃっと笑顔を崩しながら自虐的に呟いた。



「まぁ……元女神……だけどね」


お読みいただきありがとうございました!

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