17話 風の道と、初めてのお使い
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
「うん、これなら大丈夫ね。とっても可愛い旅人さんだわ」
屋敷の玄関先。
レフィーナが、ネアの着ている厚手のフード付きローブを整えながら、満足げに微笑んだ。
ネアは天魔の子であり、通常は背中に白と黒の対になる翼を宿している。
しかし、今はその影も形もない。
魔法で隠しているのではない。ネア自身の意思で光の粒子へと還元し、体内の奥深くへと収納しているのだ。これもレフィーナから受けた女神の力によるものだった。
特徴的な金と紫の双眸は隠すことができなかったため、フードを目深に被ることにした。
これで外からは、少し顔立ちの整った普通の少年のように見えるはずだ。
「ありがとうございます、レフィーナ様。……変じゃ、ありませんか?」
「ええ。完璧よ。でも、可愛いお顔が見えなくて少し寂しいけれど」
レフィーナは悪戯っぽく言うと、フードの隙間からネアの額に、ちゅ、と音を立てて口づけを落とした。
「……っ!?」
「私の加護よ。気をつけていってらっしゃい、ネア」
「は、はひっ……!! い、行ってまいります!!」
ネアは顔を真っ赤にして直立不動で敬礼する。
そんな主従のやり取りを、緑がニカッと笑って眺め、黄が「あははー」と楽しげに笑う。
だが、出発の直前、緑の表情がふっと真剣なものに変わった。
「ネア。行く前に一つ、大事な忠告だ」
緑がネアの肩に手を置き、その緑色の瞳で射抜くように見つめる。
「はい、何でしょう。緑さん」
「お前が天魔であることは隠すこと。翼は体内にしまっているからいいが、不用意に出すなよ。それと……一番重要なのは別だ」
緑の声のトーンが一段下がる。
そこには、明確な警戒と緊張が含まれていた。
「この森の奥に主様がいることは、絶対に内緒だぜ」
「……!」
「人間に知られれば、噂はすぐに広まる。そうなれば、巡り巡って悪い神々や、面倒な連中にここがバレるかもしれねえ。俺たちが今こうして穏やかに暮らせているのは、ここが『死の森』だと思われているからだ」
「……はい。肝に銘じます」
ネアはごくりと喉を鳴らし、強く頷いた。
自分たちが守るべきは、レフィーナの安寧。
そのためには、自分たちの正体――特にここが「女神の聖域」であるという事実は、トップシークレットなのだ。
「よし、いい返事だ。あと、村ではあんまり派手な魔法は使うなよ? 人間ってのは臆病な生き物だからな、お前みたいな規格外を見たら腰抜かすぜ」
「あはは……気をつけます」
緑は「よし」と短く頷くと、屋敷の前の広場に向かって指を鳴らした。
ヒュオオオオオッ!!
突如として一陣の風が巻き起こり、周囲の空気が圧縮されていく。
風は渦を巻き、やがて人が数人乗れそうなほどの大きさの、半透明な『雲』のような形を形成した。
「さあ乗りな。俺様の特製、『天駆ける雲』だ」
「わあ……! これ、風でできてるんですか?」
「おうよ。歩いて森を抜けるのは日が暮れちまうからな。こいつでひとっ飛びだ」
ネアがそろりとその雲に足を乗せると、見た目に反してしっかりとした弾力があった。
「わあー! みどりのフワフワだいすきー! ネア、これおもしろいねー!」
続いて黄がぴょんと跳び乗り、最後に緑が乗り込む。
かつてこの森を覆っていた『神獄の檻』は、レフィーナという女神ただ一人を閉じ込めるための結界だった。そのため、精霊や動物たちの出入りは制限されておらず、三百年の間、彼らが外界から物資を調達し、彼女の世話を焼いていたのだ。
だが、ネアが書き換えた今の結界は違う。レフィーナと、彼女が認めた眷属だけが自在に行き来できる、最強の防壁となっていた。
「しっかりと捕まってろよ。舌噛むなよー」
「え、あ、はい! ではレフィーナ様、行ってまいりま――」
ドンッ!!
「うわああああああああっ!?」
ネアの返事を待たずして、雲は弾丸のような速度で空へと射出された。
凄まじい加速がネアの体を襲い、悲鳴が風に置き去りにされる。
「ネア、行ってらっしゃい――って、もう、緑ったら乱暴ね」
レフィーナは一瞬で姿を消したネアたちを見送りながら、クスリと笑みを零した。
「人間と仲良くなれるといいわね。ネア」
レフィーナは慈愛に満ちた瞳でネアの行く末を見守るのであった。
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「ハハッ! 風になる気分はどうだ、ネア!!」
「み、緑さぁぁん!? は、速すぎますぅぅぅ!!」
ネアは振り落とされないように、必死で緑の腰にしがみついた。
彼ら四精霊は、元はただの精霊だった。
だが、三百年にわたり女神レフィーナの神気を浴び続け、彼女に献身的に仕えることでその加護を受け、今や上位精霊すら凌駕する力を得ている。
この規格外の速度も、彼らにとっては通常運転だ。
景色が飛ぶように後ろへ流れていく。
目が慣れてくると、ネアはその眼下に広がる光景に息を呑んだ。
「……綺麗……」
上空から見下ろす『終焉の森』の中心部――レフィーナの屋敷がある一帯だけが、まるで暗闇に浮かぶ宝石のようだった。
ネアの魔法によって浄化されたその領域では、木々が瑞々しい新緑の葉を茂らせ、咲き誇る花々が大地を彩っている。
しかし、その楽園を一歩外れれば、そこには依然として灰色に淀んだ枯れ木と、濃密な瘴気が渦巻く『死の森』が広がっている。
美しく輝く聖域は、広大な死の世界に守られた、ほんの小さな揺りかごのようだった。
「すげえだろ? お前がやったんだぜ、ネア」
緑が風の音に負けない声で言う。
「かつては誰も寄り付かない死の森だった中心部が、今は生命が溢れる場所になった。……しかも、お前の魔法で外からは『今まで通りの死の森』に見えてる。だから誰も、あの中に女神様がいるなんて気づかねえ」
「緑さん……」
ネアは胸が熱くなるのを感じた。
自分の力は、破壊のためじゃない。こうして大切な人を守る場所を作るために使えたのだと、改めて実感できたからだ。
ふと、ネアは隣にいる黄に視線を向けた。
黄は雲の縁に座り、じっと下界の灰色の森を見つめていた。その横顔は、いつもの無邪気な笑顔ではなく、どこか物憂げな、切ない色を帯びているように見えた。
「……黄さん?」
「……あ、えへへ。なにー? ネア」
ネアの声に気づいた黄は、ハッとしたように振り返り、いつものニコニコした笑顔を作った。
「いえ……楽しそうだなって」
「うん! そらとぶの、きもちいいもんね!」
黄は明るく答えたが、その小さな手は、膝の上でぎゅっと握りしめられていた。
ネアは少しだけ違和感を覚えたが、緑がそっと黄の頭をポンポンと撫でるのを見て、今はそれ以上踏み込むことはしなかった。
「おっ、見えてきたぞ。あれが目的地、『ルズの村』だ」
緑が指差した先。
森を抜けた先の平原に、こじんまりとした集落が見えてきた。
石と木で作られた小さな家々。土と緑に覆われた田畑。煙突から立ち上る細い煙。
それは、天界の荘厳な神殿とも、魔界の禍々しい城とも違う。
あまりにも小さく、儚く、それでいて温かい『人間』の営みだった。
「あれが……にんげんの、むら……」
「そうだ。人間ってのは、精霊や天使、悪魔に比べたら弱い生き物だ。寿命も短いし、強大な魔法を使えるのはごく一部だ」
緑は雲の速度を緩め、ゆっくりと高度を下げながら言った。
「だけどよ。あいつらは、短い時間の中で必死に生きて、笑って、何かを残そうとする。……そういうところ、俺は嫌いじゃねえんだよな」
緑の言葉には、人間への不器用な愛着が滲んでいた。
ふわ、と浮遊感が消え、『天駆ける雲』は村から少し離れた森の入り口に音もなく着地した。
「さあ、着いたぜ。ここからは歩きだ」
地面に足をつけたネアは、ふらつく足取りで一歩を踏み出す。
森の澄んだ空気とは違う、土と草、そしてどこか懐かしいような生活の匂いが風に乗って漂ってくる。
薪を燃やす匂い。
家畜の声。
……しかし、風に乗って運ばれてきたのは、穏やかな生活の音だけではなかった。
「……?」
ネアの耳が、ピクリと反応する。
カンカンカンカンッ!!
けたたましく打ち鳴らされる半鐘の音。
そして、人々の悲鳴と、大気を震わせる不穏な魔物の咆哮。
「み、緑さん……これって……」
「……チッ。まずいな……!」
緑が舌打ちをし、表情を険しくした。
先ほどまでの快活な笑顔は消え、聖域を守護する眷属の顔になっている。
「村の結界が襲われてやがる。……しかも、あの数は普通じゃねえぞ」
どうやら、ネアたちの初めてのお使いは、一筋縄ではいかないようだった。
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