15話 神を騙す結界
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
神をも欺く力
三百年もの間、レフィーナを閉じ込めていた『神獄の檻』が砕け、そこにあるのは、どこまでも高く、目が覚めるほどに澄み渡った本物の青空だった。
砕け散った結界の破片が、ダイヤモンドダストのように森へ降り注ぐ。その光の粒に触れた枯れ木は次々と黄金色に芽吹き、足元の草花は生命の奔流となり、色鮮やかな絨毯となって広がっていく。それは単なる破壊の跡ではなく、天地創造の奇跡を目の当たりにしているかのような、圧倒的な光景だった。
「……あ……」
ネアは、震える手で自身の胸元を握りしめたまま、茫然と空を見上げていた。地上から仰ぐ青空は、あまりにも美しく、そして眩しかった。
「……壊れ、ちゃった……」
ネアの口から、掠れた声が漏れる。忌むべき破壊の力でしかなかったはずの力が、こんなにも美しい景色を生み出した。その感動と同時に、とてつもない事実がネアの理性を揺さぶる。
(ど、どうしよう……! 女神様を閉じ込めていた檻ってことは、神界でレフィーナ様を追放した人たちが作ったもののはずなのに……!)
聡明な彼は、即座に事態の深刻さを理解していた。この檻が消えた事実は、すなわち彼女を追放した存在に「異変」を知らせる狼煙に等しい。もしその傲慢な存在が、自分たちがここにいることを知れば、ようやく自由を手に入れたレフィーナに再び魔の手が伸びるかもしれない。
ネアは青ざめながら振り返った。
「も、申し訳ありません、レフィーナ様! 僕が……あんなに派手に壊してしまったせいで……!」
パニックになりかけたネアの唇に、ふわりと温かな指先が添えられた。
「ネア。落ち着いて」
「ふぇ……?」
鼻をくすぐったのは、柔らかなフローラルな香り。目の前には、慈愛に満ちた黄金の瞳があった。レフィーナは、結界が消え去った空を見上げ、眩しそうに目を細めると、再びネアに向き直り、陽だまりのような温もりのある笑みを浮かべた。
「いいのよ、ネア。謝らないで。あなたが私を救おうとしてくれた結果だもの。それに、三百年ぶりの青空……とても温かいわ」
「で、ですが……! これでは、レフィーナ様をここに閉じ込めた人たちに、バレてしまうんじゃ……っ」
不安に押しつぶされそうなネアの横から、静かな、けれど現実を突きつけるような声が響いた。
「……恐れながらレフィーナ様。ネア殿の懸念は、もっともかと存じます」
火の精霊である赤が、片眼鏡の位置を直しながら一歩前に出た。その表情は、いつになく真剣だ。
「この檻は、神界との接続を維持するための標でもありました。幸い、ここから神界までは距離がある。この結界が消え、情報の断絶が確定するまで数刻の猶予はあるかもしれません。しかし、監視していた神々が異常に気づくのも時間の問題かと存じます」
赤の言葉に、ネアは顔を伏せ、歯を食いしばった。
この場所は、レフィーナが三百年もの孤独を耐え抜き、そして僕を拾ってくれた大切な場所だ。ここを汚させたくない。レフィーナが今感じている、この陽だまりのような安らぎを、何者にも邪魔させたくはない。
(守らなきゃ。僕を救ってくれた、この人の笑顔を……。そのためなら、僕は世界だって騙してみせる!)
ネアはすぐさま顔を上げ、黄金と紫の双眸に揺るぎない覚悟を宿した。
「レフィーナ様、罪滅ぼしというには足りませんが……僕に、新しい結界を作らせてください!」
「結界を……作り直す?」
「はい。正確には結界を直すのではありません。外から見たときだけ檻があるように見える偽りの空間……言わば、世界を騙す新たな結界で上書きします!」
ネアはそう言うと、再び天へ向かって両手をかざした。
意識するのは、体内で優しく循環している三つの力。母から受け継いだ『天』。父から受け継いだ『魔』。そして、レフィーナから分け与えられた『神』。
それらは今、一つの奔流となってネアの意思に応える。
(イメージして……あの、冷たくて、寂しい檻を。でも、その内側にある僕たちの居場所は、白く輝く、温かい聖域に……!)
ネアがカッ、と目を見開く。右目に金色、左目に紫色を宿したオッドアイの双眸が、神秘的な光を帯びて輝きだした。
「――天蓋偽装!」
ネアの手から放たれたのは、純白の、神々しいまでに透き通った光だった。
瞬間、眩い光が――天を衝いた。
フローラルな香りが突風となって吹き荒れ、光の波が空へと駆け上がり、破壊された檻の残骸を包み込んでいく。神が創り上げた絶対の牢獄を、一人の少年が「模倣」し「改変」する。それは本来、神ならざる者には不可能な事象であり、神にも等しい権能の行使に他ならない。
「な、なんて真似を……。あの方の術式を完全にトレースした上で、別の定義を書き換えているというのか!?」
赤が、驚愕に息を呑み、即座に空中に浮かぶ魔力回路の分析を始めた。他の精霊たちも、愕然と空を見上げていた。
数秒の後。空を覆っていた大穴を埋めるように、白く輝く光の膜が広がっていった。それは元の禍々しい檻とは異なり、内側は宝石の粉を散りばめたような美しい『聖域の結界』。
内側からは相変わらず綺麗な青空が見えるが、外からは、以前と変わらない不気味なドームが維持されているように見える『一方通行の幻影』だ。
「――よし。できました……」
パチン、と指を鳴らす。空に輝いていた白光が霧散し、見た目には静寂が戻った。
「す、凄い……。私には分かります。この術式の美しさは、もはや芸術品ですわ」
青が潤んだ瞳で見惚れる横で、緑が呆れたように笑いながら呟く。
「おいおい、マジかよ。神様の目を欺くなんて、俺たちが束になっても勝てねぇほど、とんでもねぇ魔法じゃねぇか」
そして、レフィーナは――。
「ネア……あなたはどこまでも私を驚かせてくれるわね。……ありがとう、私の大切な信徒さん」
彼女は胸の前で手を組み、愛おしそうにネアを見つめた。その瞳には、深い感情が揺らめいている。
ネアは皆の反応に少し照れくさそうに頬をかき、レフィーナに振り返ろうとした。
――その時だった。
ズンッ。
不意に、ネアの視界が急速に歪み、脳髄を鉛のような重さが襲った。
「――あ、れ……?」
世界の理を書き換えるほどの演算を行った脳が、限界を超えて悲鳴を上げたのだ。足元の感覚が消え、思考が霧の中へと沈んでいく。
「視界が……揺らいで……。意識、が……」
「ネア!? たいへん、ネアがたおれちゃうー!」
真っ先に異変に気づいた黄が悲鳴を上げて駆け寄る。
その声を聞き届ける間もなく、ネアの身体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
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