14話 神獄の終焉と、三百年ぶりの青空
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
ちょっと長くなってしまいましたが、ネアの追放の原因と、檻の終焉。
是非最後までお楽しみくださいませ。
背後から包み込むレフィーナの柔らかな温もりと、耳元をくすぐる甘い吐息。その言葉の内容があまりに現実離れしていて、ネアは「…………へ?」と間抜けた声を出すのが精一杯だった。
レフィーナはくすくすと楽しげに笑うと、ネアを抱きしめたまま、その細い首筋に顔を埋めるようにして深く息を吸い込んだ。
「レ、レフィーナ様……。皆さんの前で、その、近いです……っ」
顔を真っ赤にするネアだったが、レフィーナは離れるどころか、彼の手を優しく取って指先を絡ませた。
「いいじゃない。こうしてあなたの脈動を感じていないと、私の神核が退屈してしまうもの。……それよりネア、『魔法が使えない』というのは、あなたの思い込みよ」
精霊たちは椅子に座ったまま、あるいは壁に背を預けたまま、二人のやり取りを見守っている。その視線に、ネアは気恥ずかしさに身を縮めながらも、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「……嘘じゃないんです。僕は、天界の学院にいた頃、座学だけは誰にも負けませんでした。魔導理論も術式構築も、神気学も。でも……いざ実技として"体内の魔力"と"自然の力である神気"を合わせ、魔法を使おうとすると何もできませんでした。先生たちは僕を『知識ばかり詰め込んだ、中身のない空っぽの器だ』と笑いました」
ネアは、自身の内に渦巻く"嵐"について語る。
「僕の中には、二つの性質が流れています。天使であるお母様から受け継いだ"天"と、悪魔であるお父様から受け継いだ"魔"の力。……これらが、魔法を使おうとするたびに体内で猛烈に反発し合うんです。まるで体内で爆発が起きているような……そんな感覚に襲われてしまい、『これは発動してはいけない力だ』と抑え込んでいました」
属性の相克。天界と魔界、通常なら決して相容れない二つの因子を宿してしまったがゆえの、避けられない不協和音。知識があろうと、魔力の流れに逆らうのは至難の業だった。
「……一度だけ、その力を発動したことがありました」
ネアのトーンが、重く沈む。
「それが原因で、"僕はこの地上に落ちたんです"」
その言葉に、レフィーナは思わずネアを抱く力を強めた。
四精霊も、ネアの言葉を淡々と聞いている。
数刻の間があり、ネアが意を決したように言葉を吐いた。
「奴隷として仕えていた主様が、強大な魔物に襲われたんです。『助けなくちゃ!』と思って、必死で……反発する二つの力を、痛みを無視して強引に行使しようとしました。そうしたら――」
ドクン、とネアの記憶の中で心臓が跳ねた。
「制御を失った二つの力が身体の中で混ざり合って、ただの『暴発』になったんです。なんとか魔物は倒せましたが、衝撃で屋敷の壁を吹き飛ばし、主様に……大怪我をさせてしまいました。……それが原因で、館から追放され、罪人として追われる身になってしまったんです」
ネアは唇を噛みしめる。
あの日。大怪我を負った主や、周囲の上級貴族たちは恐怖に歪んだ顔でネアを断罪した。
それが、ネアが館を追われ、執拗な追っ手の天使たちによってその翼を貫かれ、天界からこの"地上"へと叩き落とされた理由なのだった。
リビングを沈黙が支配する。青は静かに目を伏せ、緑は無言で拳を握った。
レフィーナは、震えるネアの肩を慈しむようにさすり、その耳元で再び優しく囁いた。
「……怖かったわね、ネア。――でも、もう大丈夫よ」
「え……?」
レフィーナは、慈しむようにネアの頭へ手を添えると、柔らかな手つきでその髪を撫でる。まるで幼子をあやすかのように。
「あなたが死の淵でこの森に落ちたとき。私はあなたに、女神としての神気を分け与えたわ。それも、私のすべてと言ってもいいほどの高純度の神気を」
背後からふわりと包み込むレフィーナの体温が、ネアの強張った心を優しく溶かしていく。
ネアが昨日、精霊たちから聞かされた話。
レフィーナが命を賭けてネアを助けてくれたという事実。その力が今、ネアの体内に宿っているのだ。
「それはあらゆる属性を超越し、全てを調和させるための絶対的な触媒。あなたの内側にあった天と魔の激しい反発は、私の命そのものである"神の力"で一本の軸になったことで、今や完璧な循環を始めているのよ」
ネアの内で傷つけ合い、反発し合っていた天使と悪魔の力は、レフィーナの神気を架け橋として、初めて手を取り合ったのだ。
「私の神気があなたの内で理を繋ぎ止めているの。……試してみましょう。でも、このお家の中では少し手狭かもしれないわね」
レフィーナは悪戯っぽく微笑むと、ネアの手を引いた。
「外へ出ましょう、ネア」
導かれるままに、ネアたちは屋敷の外へと出る。
そこは、ネアの力で浄化された森と、空を覆う半透明のドーム状の壁――レフィーナを三百年にわたり閉じ込めてきた絶対の封印、『神獄の檻』の境界線だった。
レフィーナを封じるためだけに創造した神の牢獄。
物理的な攻撃はもちろん、魔法や空間転移すらも無効化し、地上のいかなる強大な人間も、最高位の魔物の力も通用しない"絶望の壁"だ。
「あの壁に向けて、力を放ってごらんなさい。怖くないわ。私の温もりを感じながら、ただあなたの力をぶつければいいだけよ」
レフィーナの手が、ネアの震える手を優しく包み込む。
背中から伝わる彼女の規則正しい鼓動。
そして首筋をくすぐる翡翠色の柔らかな髪から漂う、甘く安らかなフローラルの香り。
「はい……レフィーナ様」
ネアは覚悟を決めた。
かつて恐怖の対象でしかなかった体内の熱を、指先へと静かに導いていく。
――心臓を抉るような、あの拒絶反応はない。
そこにあるのは、苦痛ではなく、甘美なほどの全能感だった。
ただ、静かで底知れないほど巨大な熱量が、レフィーナの神気という回路を通って、滑らかに流れ出していく。
その矛先は、頭上高く、空を覆う絶対不可侵の『檻』だ。
ネアは、ほんの少しだけ。
例えばそれは――閉ざされた扉をノックするようなつもりで、指先に集った魔力を解き放った。
一粒。たった一粒の光と闇が混ざり合った結晶が、不可侵の檻を叩いた。
――刹那。
――ズ、ドオオォォォォォォォォンッ!!!!!
大気が爆ぜたような衝撃が、森全体を揺るがした。
「なっ――!?」
ついて来ていた四精霊たちが、即座に主を守ろうと身構え――そして、その必要がないことを悟り、愕然と動きを止める。
続いて、これでもかと言うほどの極大の黄金の奔流が、ネアの手のひらから放たれる。
それはレーザーのように真っ直ぐに、『神獄の檻』へと直撃した。
バッキィィィィンッ!!
耳をつんざくような破壊音が響き渡った。
三百年間、傷一つ付かなかった『檻』に――巨大な蜘蛛の巣のような亀裂が走り、砕け散っていく。
さらに精霊たちが驚愕したのは、その『余波』だった。
砕けた結界の破片がキラキラとダイヤモンドダストのように降り注ぐ中、あふれ出した黄金の粒子が、波紋のように広がっていく。
すると、ネアの力が及んでいなかったはずの『神獄の檻』の外――瘴気で淀んでいた空気が一気に浄化され、森の木々が、光に触れた端から一気に黄金色に輝き出し、枯れ果てていた大地には色とりどりの花々が爆発的に咲き乱れ始めたのだ。
たった一呼吸の間で、瘴気に塗れた『終焉の森』が、『神々しい楽園』へと書き換えられてしまっていた。
「……な、なんてことだ……」
赤が、呆然と呟く。常に冷静沈着な彼が、震える指で片眼鏡の位置を直す。
「美しい……。これは魔法などという次元ではありません。まるで、世界そのものが書き換えられているかのような……」
青が口元を両手で覆い、潤んだ瞳で周囲を見渡す。美しく広がる光景に、感情が希薄な精霊ながら心を震わせていた。
「へっ、マジかよ……! あのでっかい壁が、紙切れみたいに吹き飛びやがった!」
緑が乾いた笑い声を上げ、信じられないといった様子で頭をガシガシとかく。
「すごい! すごいよネア! キラキラだー!!」
黄は無邪気に跳ね回り、空から降り注ぐ光の粒子を捕まえようと手を伸ばしている。
精霊たちが各々の反応で驚愕を示す中、当の本人であるネアは、震える手で自分の胸元を握りしめていた。
「……痛く、ない……?」
ネアの瞳が揺れる。
かつて魔法を使おうとした時に感じた、あの身を引き裂くような苦痛がない。誰かを傷つけてしまったという、あの忌まわしい爆発の感触もない。
目の前に広がるのは、破壊された跡ではなく、美しく生まれ変わった花々と、黄金に輝く森。
「……これが……僕の……魔法?」
恐怖の象徴でしかなかった自分の力が、こんなにも美しい景色を作れた。
その事実に、ネアの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「あらあら……ふふっ。まさか『神獄の檻』を、これほど派手に壊してしまうなんて」
レフィーナは驚いたように目を丸くし、それから慈愛に満ちた瞳で微笑んだ。
彼女にとっても、この威力は想定外だったのだ。けれど、それは決して不快な驚きではない。
彼女はそっとネアの背後に近づくと、震える少年を優しく抱きしめた。
「ほら、見てごらんなさいネア。あなたの力は、もう誰かを傷つけるためのものじゃないわ」
「レ、レフィーナ、様……っ」
「こんなにも素敵な景色を作れる、優しい力なのよ。だから――もう、怖くないわ」
その言葉は、ネアの心の奥底にこびりついていた呪縛を、温かく溶かしていく。
「う、うぅ……っ!! レフィーナ様ぁ……っ!!」
ネアは、堪えきれなくなった感情を吐き出すように泣きじゃくり、導かれるままレフィーナの豊かな胸元へと顔を埋めた。
レフィーナはよしよし、とネアの背中を一定のリズムで叩き、その涙を受け止める。
地上へ突き落とされた少年は今、女神の腕の中で、自分自身の力を初めて肯定することができたのだ。
***
ひとしきり泣き、ネアが落ち着きを取り戻した頃。
レフィーナは人差し指を口元に当てながら、亀裂が入って崩壊した空の『穴』を見上げた。
「……とはいえ。少しばかり、張り切りすぎてしまったかもしれないわね」
そこからは、三百年ぶりに本物の『青空』が覗いている。
それは希望の光景であると同時に、ある一つの懸念を意味していた。
「この檻を作った『あの子』は……自分の所有物が壊されたことに、目ざとく気づく性格だったかしら」
レフィーナの呟きに、精霊たちの空気がピリリと凍りつく。
この『神獄の檻』を作ったのは、レフィーナを地上に追放した張本人。神界でも最強と謳われる混沌の女神だ。
もし彼女がこの異変を察知すれば、ただでは済まないだろう。
だが、レフィーナはすぐにふわりと微笑み、愛しい信徒の頭を撫でた。
「ま、その時はその時ね。今はただ、この美しい景色と、あなたの新しい始まりを祝いましょう?」
ネアがその「無自覚な一撃」で、自身を救った女神を封じ込める理の檻に、決定的な亀裂を入れたこの瞬間。
それは、二人の幸せな聖域の始まりであると同時に、世界を巻き込む波乱の幕開けでもあった。
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