12話 温かな食卓
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
美味しい料理って最高ですよね。
リビングに漂うスープの香りは、これまでの静謐な空気をごく自然に、そして色鮮やかに塗り替えていた。
ネアはトレイを持つ手に心地よい重みを感じながら、きーが丹念に磨き上げた真っ白な皿を、一人ひとりの前に、丁寧に並べていく。
長机の端にレフィーナが座り、長辺の左右には赤、青、緑、そして黄が席についている。普段はどこか超然としている彼らが、今は目の前の一皿から立ち上る湯気をじっと見つめている。
「皆さん、お待たせしました。トマトのスープと、軽く炙ったパンです。どうぞ、温かいうちに食べてください」
ネアがそう声をかけると、最初に動いたのはレフィーナだった。彼女は期待に瞳を輝かせ、優雅な手つきでスプーンを手に取った。
「ふふ、とってもいい香り。……いただきます」
真っ赤なスープを一口、口に含んだ瞬間――。
レフィーナの動きが止まった。彼女は驚いたように目を見開き、そして深く、深く溜息をついた。
「……! 美味しい……! ネア、なんて美味しいのかしら! こんなに心が満たされる味、私、初めてかもしれないわ!」
レフィーナは感嘆の声を上げ、夢中にもう一口、さらに一口とスプーンを動かした。
「すごいわ……単に味が良いだけじゃない。温かくて……優しい味……。それに喉を通るたびに、神気がどんどん満ちていく……。まるで魔法みたいな料理ね」
「そ、そんな大袈裟な」
ネアは気恥ずかしそうに、両手を控えめに振る。
しかし、レフィーナの言葉は誇張ではなかった。
彼女がスープを嚥下するたび、封印されていたことによって摩耗していた神核が修復されていく。神の力を得たネアが想いを込めて作った料理は、食した者の能力を向上させ、言葉通り、"神気を満たす料理"と化していたのだった。
レフィーナは自らの身体の奥底から湧き上がる、全能感に近い活力を、神としての本能を震わせた。彼女がこれまで口にしてきたどの供物よりも、この一皿は温かく彼女の魂を潤していた。
「みんな。食べてごらんなさい。きっと感動するわよ!」
レフィーナが促すと、精霊たちも次々とスプーンを手に取った。
まず勢いよく食べたのは緑だった。
「うおっ!? なんだこれ!? これが……"美味い"って感覚なのか!? 精霊の俺でもわかるぞ……! 身体の底から力がみなぎってくる!」
緑は興奮した様子で、こんがりと焼けたパンをスープに浸し、大きな口で頬張った。
「このパンも最高だ! スープを吸って、じゅわっとして……たまんねえな!」
続いて、赤が慎重に、だが期待を込めて一口を味わった。
そして口にした瞬間、驚愕の表情を浮かべる。
「……なんですか、これは。私が理屈で積み上げてきた"調理"の概念が、根底から覆されました。五感という概念が希薄な我らでも、この違いは大いに分かります……。なんということだ……」
赤は片眼鏡を指で押し上げ、冷静な口調を保とうとしながらも、その瞳には隠しきれない動揺が宿っていた。
青もまた、自分の提供した水がネアの手を経て、至高のスープへと変貌していることに目を見開く。
「……信じられないわ。私が濾過したときよりも、ずっと魔力の浸透率が高まっている。身体の隅々まで、澄み渡った力が染み込んでいく感覚……。ただのスープとは思えないわ」
「ええと……特別なことはしていないんです。皆さんが用意してくれた最高の食材を、丁寧に合わせていっただけで……」
ネアが戸惑いながら答えると、きーが「もぐもぐ」と音を立てんばかりの勢いでスープを口に運んでいた。彼女は一口食べるごとに、ぱあっと花が咲いたような笑顔を見せる。
「おいしい……! "おいしい"って、こういうことなんだ! ネア、これ、すっごくおいしいよ! からだがポカポカして、げんきいっぱいになるの! きー、このスープだいすき!」
きーは小さな口を一生懸命に動かし、あっという間に自分の皿を空にしてしまった。そして、キラキラとした瞳でネアを見上げる。
「ネア、おかわり……ある? もっとたべたい!」
「ふふ、もちろんです。たくさん作りましたから。はい、どうぞ」
ネアが微笑んで大鍋から二杯目をよそうと、きーは「わあ!」と両手を上げて喜んだ。
「あらあら。黄ばかり、ずるいわね。私もおかわりいただけるかしら」
レフィーナがおかわりを所望すると、精霊たちも「俺も!」「わたしも」とネアに催促する。
そんな賑やかな光景を眺めながら、ネアは胸の奥がじんわりと熱くなるのを、静かに噛み締めていた。
天界の上級貴族の屋敷で働かされていた頃、使用人仲間たちはネアの料理をこっそり褒めてくれた。けれど、そこに座る「主」たちがネアに感謝の言葉をかけることなど、ただの一度もなかったのだ。
彼らにとってネアは、あって当たり前の、替えのきく便利な道具に過ぎなかったから。
けれど、ここでは違う。
この世を司る女神も、精霊たちも、一人の生ける者としてネアに向き合い、真っ直ぐに「美味しい」と「ありがとう」を伝えてくれる。その言葉の一つ一つが、ネアの心に深く残っていた、奴隷としての日々の痛みを和らげる、温かいものだった。
「……ネア? どうしたの、そんなにぼうっとして」
レフィーナが心配そうに覗き込んでくる。ネアは慌てて首を振った。
「いえ……なんでもありません。ただ、皆さんにそんなに喜んでもらえるなんて思っていなかったので。……僕、ここに置いていただけて……本当によかったです」
ネアは溢れそうになる涙をぐっと堪え、はにかむように笑った。
ただ、こうしてみんなの力を借りて、温かな食事を囲む。その時間が何よりの宝物のように思えた。
「何を言っているの。ネアが来てくれて、一番喜んでいるのは私よ」
レフィーナが優しく微笑み、再びスープを口にする。
「美味しいものを食べると、こんなに心が豊かになるのね。これからの食事も、楽しみにしていいかしら?」
「はい! もちろん、精一杯頑張ります!」
ネアの元気な返事に、食卓はさらに明るい笑い声に包まれた。
ネアの初めての"お仕事"は、聖域に温かな火を灯したのだった。
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