11話 黄金の神気石とトマトの調べ
天界を追放された天魔少年と、森の奥で暮らす元女神様の、温かく甘甘なお話です。
赤の試練と美味しいスープの話です。
赤に案内されて足を踏み入れた厨房は、ネアの想像を遥かに超えた空間だった。
「うわぁ……すごい……」
木の温もりに包まれたリビングとは対照的に、そこには継ぎ目のない漆黒の大理石が鎮座する、どこか無機質な厨房。
壁際には、緑が里から譲り受けてきたという無骨な調理器具が並んでいる。それらは黄の手によって丹念に磨き上げられ、打ち直されており、使い込まれた道具特有の鈍い輝きを放っていた。
「まるでお城の調理場のようです。僕なんかが、ここを使わせてもらってもいいんでしょうか」
「構いません。ネアが使いやすいようにしていただいて結構です」
赤が端正な仕草で示す先には、宝石のような石が置かれていた。
「こんな美しい神気石、初めて見ました……」
"神気"
それはこの世界を司る自然や、神々の力の源そのものだ。
この世界で魔法を行使するには、大気に満ちるこの神気を借り、自らの魔力と編み合わせなければならない。そのため、魔法は"選ばれし者"にしか扱えない大いなる力であった。
その"選ばれし者の力"を、誰にでも使えるように加工したのが神気石だ。
これはいわば神気の結晶であり、石そのものに神気を込めて固定化した道具である。しかし、一般に流通するものは神気の容量が少なく、非常に高価で貴重な代物だ。
だが、ここにある石は別格だった。
女神レフィーナや、四精霊たちが直に神気を注ぎ込んだであろう結晶は、そんじょそこらの王宮に眠る家宝すら掠んで見えるほどの、超純度の物。
ネアが天界で奴隷として暮らした上級貴族の館で見かけた石とは、比べ物にならないほどの「格」を纏っていた。
「この石が、火の代わりなんですね」
「ええ。私の火力を直接食材に向ければ一瞬で炭へと変えてしまいますから。出力を固定できるこの石は重宝するのです」
赤の説明に、ネアはゴクリと息を呑んだ。
何気ない言葉だが、それはこの執事がとてつもない力を秘めていることを示していた。おそらく他の精霊たちも同様なのだろう。
――赤は淡々と説明しながら、内心でネアを"試して"いた。
この厨房にある神気石は、あまりにも純度が高すぎる。並の者が触れれば、石に蓄えられた神気の奔流に押し返されるか、制御できずに火柱を上げさせてしまうのが関の山だ。
(レフィーナ様が拾われた少年……。その身に宿る力が本物か、見極めさせてもらいましょう)
ネアは「ふぅ」と一息つくと、緑が村から持ち帰ったばかりの麻袋を覗き込んだ。
中には赤々と輝くトマトの他に、卵、土のついた玉ねぎや人参、じゃがいもといった大地の恵みが詰め込まれている。
「……よし。精一杯、頑張ります。それにしても不思議ですね。天界と地上は、光も空気も全く違うって教えられてきたのに……火を使い、お湯を沸かして野菜を切る"やり方"そのものは、どこへ行っても同じなんですね。なんだか、少し安心しました」
ネアがぽつりと零した言葉に、精霊たちは意外そうに顔を見合わせた。天界の元奴隷である彼にとって、生きるための技術が地続きであることは、大きな救いのように感じられたのだ。
ネアはさっそく、きーが磨き上げた頑丈な鍋を火の神気石の上に乗せる。
「えっと……確か天界のときはこうやって……」
ネアはごく自然な動作でその結晶に手をかざすと、神気石はぽうっと美しく輝いた。
(……なっ!?)
傍らで見守っていた赤の瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
狂暴なまでの熱を秘めた結晶が、ネアの指先が触れた瞬間、まるで懐くかのように穏やかな黄金色に姿を変えてしまった。
「わっ。さすが女神様や精霊様たちの神気石ですね。手に馴染むかのように使いやすいです」
(この少年……)
淡々と料理を始めるネアだが、それがどれほど異常な光景か、ネア本人は露ほども気づいていない。
呆然とする赤の横に緑がひょいと顔を出す。すると、硬直した赤の肩をポン、と軽く叩いた。いたずらっぽく笑うその目はとても楽しそうだ。
ネアを見つめる赤だけが、言葉を失い立ち尽くしていた。その意味を理解できているのは、精霊たちだけだった。
青は赤を一瞥すると、涼しげな顔で透き通った水が満ちた瓶を差し出す。
「……ネア、水はこれを使って。最高純度まで濾過したものよ」
「ありがとうございます、青さん。助かります」
「……別に。最高の食材には、最高の水が必要だと思っただけよ」
青は素っ気なく答えるが、その瞳はネアの手元を興味深そうに追いかけている。
ネアはきーが研ぎ澄ませた包丁を手に取ると、トマトの皮に薄く切れ目を入れ、青の清らかな水で満たした鍋へと滑らせた。
スルッ、と皮が弾ける心地よい音が響く。
湯剥きされたトマトは、まるでルビーのように瑞々しい輝きを放っている。ネアはそれを、リズムよく作業台の上で刻んでいく。トントントン、と規則正しく響く包丁の音は、かつて奴隷として厨房に立ち続けた月日が、彼の身体に刻み込んだ精緻な技術の証だった。
「わあ、きーさんが磨いたこの包丁、すごく使いやすいです。吸い付くように切れますね」
「きーがといだの。すごい?」
厨房の隅から様子を伺っていたきーが、小首を傾げて問いかける。
「きーさん、ありがとうございます。おかげで、とっても綺麗に切れました」
言葉を弾ませるネアに、少女は嬉しそうに目を細めた。
刻んだ野菜を鍋に投入し、じっくりと煮込んでいく。ネアが料理に思いを込めれば、無意識下で青の魔力が不純物を浄化し、緑の風が濃厚な旨味を鍋の中で穏やかに対流させる。
立ち上る湯気と共に、まずはトマトの爽やかな酸味が。続いて、煮込まれたことによる濃厚な甘みが、厨房の空気を支配していく。仕上げに新鮮な卵を割り入れ、黄金色の黄身がトマトの赤にふんわりと溶け込んでいく。
「……いい香りだ。なんだ、この匂いは。我らの作る物とは違う、もっと……温かい何かを感じる」
赤が困惑したように呟く。食事を必要としない彼らにとって、それは未知の感覚だった。散らされた香草が、熱によって弾けるように鮮烈な芳香を放つ。
コトコトコトと、幸せな音が厨房に響き渡る。
スープを作る少年と、それを見守る四人の精霊たち。そこには、何とも言えない温かい時間が流れていた。
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