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王宮騎士団第二隊の詰所は、朝から慌ただしく活気に満ちていた。
本来ならクラウスは部下へ指示を出し、隊長らしい厳しくも的確な指揮を取っているはずだった。
だが今日の彼は、どこか様子がおかしかった。
普段なら微動だにしない背筋がわずかに揺れ、
歩くたびに肩の力が抜けていく。
「隊長、大丈夫ですか?」
部下が声をかけるが、クラウスは短く首を振るだけだった。
「問題ない。持ち場に戻れ」
声は普段通り冷静なのに、わずかにかすれている。
それに気づいた部下たちは心配そうな目を向けたが、
“氷の騎士”の表情は、それ以上何も言うなと伝えていた。
しかし、本当に問題がないわけがなかった。
その日の夕方。
キャシーは工房での仕事を終え、新居へ戻っても、部屋は暗いままだった。
(クラウス、今日は遅いな……)
普段なら連絡はなくても、帰りが遅い日は大体決まっている。
けれど今日は空気が違った。
(なんか……胸騒ぎがする)
ふと、昼頃のメッセージを思い出す。
――今日は詰所の仕事が立て込んでいる。少し遅くなる。
文面はいつも通りだったが、妙にそっけない気がした。
(……迎えに行こう)
キャシーは外套を羽織り、王宮へ向かった。
「すみません、第二隊の……クラウス隊長は今日は――」
「キャシーさんっ!? よかった……!」
詰所の兵士が血相を変えて近づいてきて、
キャシーは逆に驚く。
「ど、どうしたんですか?」
「隊長、朝から様子がおかしくて! 無理に仕事を続けてるんです!」
「無理に……?」
「ええ。昼過ぎから熱があるようで……立っているのがやっとで……」
(やっぱり……!)
キャシーは迷うことなく詰所の奥へと駆け込んだ。
そこにいたクラウスは――
いつもとまるで違う姿だった。
机にもたれ、額に手を当て、
普段なら見せないほど苦しげな表情。
「クラウスさん!」
キャシーが駆け寄ると、
ゆっくりと顔を上げたクラウスは、驚いたように目を細めた。
「……キャシー? なぜここに」
声が弱く、かすれている。
顔色は悪く、汗がにじんでいた。
「そんなの……迎えに来るに決まってるじゃないですか!」
「いや……大丈夫だ。あと少しで……」
「少しじゃありません!」
キャシーは彼の腕を掴んだ。
その腕は驚くほど熱かった。
「熱、かなりありますよ……!」
「平気だ」
「平気じゃありません! 立ててないじゃないですか!」
部下たちも不安げに見ているが、誰も隊長を止められない。
クラウスは気丈に椅子を立とうとしたが――
足元がふらりと揺れ、前のめりに倒れそうになる。
「クラウスさんっ!!」
キャシーが慌てて支え、
部下たちが慌てて駆け寄った。
抵抗するクラウスを、キャシーは一切容赦なく押し出した。
「医務室に行きます。歩けますか?」
「い、いや……そこまで……」
「クラウスさん」
にっこりと笑ったキャシーの目は、全然笑っていない。
「行きますよ」
「……はい」
氷の騎士が、完敗した瞬間だった。
医師に診られた結果、クラウスは明らかな発熱と過労。
薬を飲み、半ば強制的にベッドに横たえられた。
「隊長、明日明後日は休んでください」
「残業も禁止だ。部下にも伝えておく」
部下たちが次々に宣言し、クラウスは苦い顔をする。
「……情けないな」
「そんなことありません」
キャシーは椅子に座り、彼の額に手を置いた。
「いつも無理してるんですから。倒れて当然です。
それに……倒れるの、初めてじゃないでしょう?」
クラウスは視線をそらし、小さくため息をついた。
「君には……隠せないな」
「隠せません」
キャシーは微笑む。
「ほら、ちゃんと寝てください」
「……そばにいてくれるのか?」
その問いに、キャシーは一瞬だけ言葉を失ったが、やさしく頷いた。
「もちろん。帰りませんよ。
クラウスさんが寝るまで、ちゃんと見てますから」
クラウスの頬にわずかに赤みがさす。
「……ありがとう、キャシー」
照れたように呟く声が静かな医務室に落ちていく。
キャシーは薬を飲ませ、水を渡し、毛布を整えた。
“お世話をする”なんて、今まで距離があったはずなのに。
それが今、自然にできてしまう。
手と手が触れるたび、
キャシーの胸はどきりと鳴った。
(……こんなに近いのって、初めてかも)
クラウスもまた、穏やかな目でキャシーを見ている。
(君がいてくれると……安心する)
声にならない想いが、部屋に満ちる。
クラウスの呼吸がゆっくりと落ち着き、
まぶたがゆっくりと閉じられる。
「……キャシー」
眠りに落ちる直前、彼が呟いた。
「……いつも……助けられてばかりだな……」
キャシーは小さく微笑んで、彼の手をそっと握る。
「そんなこと……ありませんよ」
「……そうか……」
そのまま、クラウスは静かに眠りについた。
キャシーはその寝顔をしばらく見つめた。




