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新居に移って三日目の夕方。
玄関の扉が開くと同時に、ふわりと肉の香りが漂ってきた。
「キャシー、ただいま。今日はいい肉が手に入った」
クラウスが大きめの紙袋を抱えて帰ってくる。
「えっ、お肉ですか!? 高級品じゃ……?」
「害獣討伐訓練の差し入れだ。分けてもらった」
袋の中を覗くと、立派な鹿肉と鳥肉がぎっしり。
普通に買えば数万ルークはするはずだ。
「すごい……! これ、当分お肉買わなくて済みますよ……!」
「だろう? 俺も助かる」
キャシーの節約心が歓喜した。
この三日間、新居の使い心地は抜群で、広いキッチンは料理がしやすい。
それなのにクラウスは毎日なにかしら食材を持って帰ってくるため、食費が思った以上にかからない。
(……これは本当にありがたいわね)
家賃十二万という数字に最初は震えていたけれど、支出のバランスは思ったより悪くない。
夕食作りのためにキャシーがエプロンを着けると、クラウスが当然のように袖をまくった。
「俺、切る係する。肉は俺の方が慣れてる」
「じゃあ、野菜をお願いしていいですか?」
「ああ」
まったく無駄のない動きで包丁を扱うクラウス。
キャシーも手際よく調味料を準備し、二人の動線は一度もぶつからない。
(こういうのって……意外と相性が出るんだよね)
料理は立派な共同作業だ。
遠慮しすぎればぎこちなく、踏み込めば邪魔になる。
だがクラウスは程よい距離感で、必要なところだけ手伝ってくれる。
その姿に、キャシーは何度も胸の奥が温かくなるのを感じた。
「クラウスさん、包丁うまいですよね? 騎士団って料理もするんですか?」
「寮では誰かが作らないといけないからな。俺はよく早朝当番をしていた」
「へぇ……! じゃあ上手いわけですね」
「いや、君の方が上手い」
淡々と言われ、キャシーの頬が熱くなる。
「そ、そんな……」
「褒めたら照れるのか?」
「照れますよ!」
微笑むクラウスに、キャシーの胸がまた温かくなる。
食事を終え、クラウスは自然に皿を運び、キャシーはその背中に「ありがとう」と言う。
洗い物を二人で並んでするのも、もう日常の一部になりつつあった。
「キャシー、スポンジ足りるか?」
「あ、じゃあそれお願いします。私は油汚れの方やりますね」
ほんの少し、手が触れる。
その瞬間、お互い小さく声が重なる。
「「あっ……」」
以前なら気まずさで避けたかもしれない。
だけど今は自然に微笑み合える。
(……なんだろ、この感じ)
(……距離が近い)
静かな洗い物の音だけが、二人の間に心地よいリズムを刻む。
寝る前、リビングのソファに腰掛けると、クラウスがカップに入れたハーブティーを差し出した。
「今日は疲れただろう。温かいのを淹れた」
「わぁ……ありがとうございます」
キャシーの隣に腰を下ろすクラウス。
同じソファに座るだけで、妙に落ち着く。
家の中の空気が優しく包んでくるようだ。
「……この家、静かでいいな」
クラウスがぽつりと呟く。
「気に入りました?」
「ああ。仕事から帰ってきて、こうして落ち着ける場所があるのは……悪くない」
その言葉に、キャシーの胸があたたかくなる。
「私も……です。
今まで一人で暮らしてたので、帰ってきて電気を点ける時の空気が寂しかったんですけど」
「今は?」
「今は……なんだか、安心します」
クラウスが、少しだけ目を見開いた。
「……そうか」
「はい」
「……なら、よかった」
その声は、ほんの少し柔らかかった。
リビングのランプの光の中、二人は自然と語り合った。
仕事のこと。
好きなエールの話。
王都の美味しいパン屋の情報。
気づけば二時間が過ぎていた。
「……そろそろ寝るか」
「あっ、そうですね」
立ち上がり、寝室に向かう前に軽く会釈する。
「おやすみ、クラウスさん」
「ああ。おやすみ、キャシー」
扉を閉める直前、
キャシーはなぜか少し胸がどきりと跳ねるのを感じた。
(……居心地がいい)
(こんなの……契約なのに)
一方、クラウスも同じように扉の前で立ち止まり、低く呟いた。
「……居心地が、良すぎるな」
氷の騎士と呼ばれる彼が、そんな言葉をこぼす日が来るとは誰が予想しただろう。
だが確かに、確実に、
ふたりの距離は近づき始めていた。




