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いきなりの契約結婚は運命の恋でした  作者: あいら


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19/20

19

公爵家での正式な婚約が決まった翌日。

 キャシーはクラウスの執務室へと呼ばれた。


 公爵家の本邸の奥深く――重厚な扉を開けると、そこには昨日とは違う、領主の顔をしたクラウスがいた。

 黒いジャケットに身を包み、机には山のような書類が積まれている。


「キャシー、入ってくれ」


「お、おじゃまします……」


 キャシーはそわそわしながら部屋に入り、扉を閉めた。

 クラウスが「仕事中の顔」になっているのを見るのは、何度かあったけれど……今日の空気はどこか違う。


「落ち着いて。緊張させるつもりはないんだ」


 クラウスがやわらかく言い、席を立ってキャシーのもとへ歩み寄る。


「昨日――正式に婚約を交わした。だけど、俺にはひとつ心残りがある」


「心残り……?」


「ああ。君と初めて契約を交わした時のことだ」


 キャシーの胸が、少しだけ痛んだ。


 あの時の契約書。

 “結婚から逃げるための偽装契約”、

 “家同士の圧から逃れるための口裏合わせ”――


 追い詰められていた二人が、互いを利用する形で作った──

 逃げるための契約。


「あれは、君を危険から守るためではあったが……最初から歪だった」


 クラウスは静かに続けた。


「君は無理やり巻き込まれた。逃げ場を失って、俺に頼った。俺はそれを利用した――建前として。あの時の俺は、まだ覚悟がなかった」


「クラウス……」


 キャシーは何も言えず、ただ彼を見上げる。


「だから作り直したい。

 ――今度は“互いを守るための契約書”として」


 クラウスが机に置かれた真新しい羊皮紙を持ち上げる。

 そこにはまだ文字は書かれていない。無垢な紙。


「過去の契約は破棄する。君が恐れを抱くような条文も、逃げ場としての条文も、何一ついらない」


 そして、低い声で続けた。


「君を守ることを、俺の義務ではなく――俺の意志として書きたい」


 胸が締め付けられた。






「……私、そんな……契約なんて、なくても……」


「いる。これは“俺のため”でもあるんだ」


 クラウスは珍しく苦笑した。


「君はすぐに自分を後回しにする。危険でも突っ込むし、人のためなら無茶もする。それは君の強さだが……相手が俺であっても躊躇うだろう」


「……え」


「だから書いておく。“俺が君に助けを求める権利”も」


 キャシーは瞬きをした。


(……助けを……求める……?)


 クラウスは続けた。


「君は俺を守る側に立たせようとする。でも違う。俺は君と同じ場所に立ちたい。

 君と並び、君と戦い、君と笑いたい。

 ――それを契約の形にして、互いの覚悟にするんだ」


 キャシーは胸の奥が熱くなった。


 気づけば、涙が込み上げてくる。


「クラウス……そんなの……そんなこと言われたら、泣いちゃう……」


「泣いていい」


 彼はキャシーの頬に手を添え、やさしく涙を拭った。


「これは、君と俺の未来に必要な契約だ」






 二人は机に並んで座る。

 クラウスは羽ペンを取り、キャシーはその横で静かに文字を見つめた。


「まず……“互いを対等のパートナーとして扱うこと”。これはどうだ?」


「うん……それ、すごく嬉しい」


「次に……“危険に直面したとき、どちらか一方が決定を独占しない”。

 俺が勝手に君を遠ざけたり、黙って犠牲になったり……そういうことはしない」


「私も……勝手に突っ走ったりしない」


「記しておこう」


 さらさらとクラウスが文字を走らせるたび、キャシーの胸はどんどんあたたかく満たされていく。


「……それから、“互いの本音を隠してはならない”」


「え、最近それ一番私が怒られたやつ……」


「重要だからな。俺だけじゃなくて、君もだ。無理して笑ったり、我慢したり……そういうのはもうしなくていい」


 キャシーは俯き、指先をぎゅっと握った。


「……うん。隠さない。約束する」


「よし」


 クラウスが少し笑った。





 契約書の最後の項目の前で、クラウスの手が止まった。


「……最後は、君に書いてもらいたい」


「えっ、私が?」


「君自身の言葉で。君が望む関係を、君の字で書いてほしい」


 少し迷いながら、キャシーは羽ペンを受け取る。


 紙の前で、深呼吸。

 胸に溜まっていた想いが、ようやく形になる。


 そして――書き始めた。


『互いが孤独にならないこと

 側にいることを恐れないこと

 一緒に未来を決めること

 愛を言葉にすること』


 書き終えるころには、涙がぽたぽたと紙の端に落ちた。


「……こんな感じで……いいのかな……」


 クラウスはその条文を見て、息を吸い込んだ。


「……ああ。それで十分すぎるほどだ」


 そして、


「キャシー」


 クラウスはそっと彼女の頬に触れ、真正面から見つめた。


「俺は、自分でも驚くほど君を愛している」


「っ……!」


「守りたい。ただ庇いたいんじゃない。

 君を幸せにしたい。

 誰よりも、何よりも、君の笑顔と未来を選びたい」


 涙が止まらなくなる。


「クラウス……私も……私も、あなたが好き。

 ずっと前から……でも怖かったの。

 あなたの足を引っ張るんじゃないかって……公爵夫人なんて務まらないって……」


「そんなことは一度も思ったことがない。

 君じゃなきゃ、俺の隣は務まらない」


 抱きしめられ、キャシーはクラウスの胸の音を聞く。

 強くて温かい音。





 クラウスは羽ペンを取り、キャシーの書いた条文の下に、静かに署名した。


「クラウス・セラフィス」


 続いて、キャシーも自分の名前を書く。


「キャシー・セラフィス」


 インクが乾く前に、クラウスがそっとキャシーの手を包み込んだ。


「……これで契約は成立だ」


 キャシーは涙を拭きながら、笑顔を浮かべた。


「逃げるためじゃなくて――守るための契約だね」


「そうだ。

 そしてこれは、結婚しても、人生が続く限りずっと有効だ」


 クラウスはキャシーを抱き寄せ、静かに額を合わせた。


「キャシー……愛してる」


 その言葉に、キャシーは胸の奥がじんわりと温まる。


「私も……クラウスのこと、大好き。

 これからも、一緒に……生きていこうね」


 二人の手が契約書の上で重ねられた。


 互いを縛る鎖ではなく、

 互いを守る絆として――


新しい契約は、二人の未来を照らし、始まりの証となった。

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