表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いきなりの契約結婚は運命の恋でした  作者: あいら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/20

17

王太子襲撃事件から一夜。キャシーは王宮の一室――客間としては破格に広い、ほとんど“姫宮”のような部屋に留め置かれていた。


 厚手のカーテン、ふかふかの絨毯、香草の香りのする寝具。何もかもが上質で、どこか現実離れしている。


(……帰りたいなあ)


 朝陽が差し込む窓辺で、キャシーはぽつりと呟いた。

 昨夜、王妃と宰相から直接「当面は王宮に滞在してほしい」と頭を下げられたのだ。


『聖女様の安全確保が何より大事です』


 そう言われてしまえば断れなかった。

 ――でも、私は“聖女”なんかじゃない。


(ただ魔法を使っただけなのに。回復魔法が珍しいのは分かるけど……)


 胸の奥に、不安だけがどんどん積もっていく。


 ノックもなく扉が開き、侍女が三名、列を成して入ってきた。


「聖女様、本日の朝食をお持ちいたしました」


「身支度の用意も整っております。髪はどうお結いしましょう?」


「本日の予定は、侍従長付きの執務官による“回復魔法の再現実験”となっております」


「え、え、待ってください! 一度に喋らないで!!」


 キャシーが両手を振ると、三人の侍女は見事にぴたりと同時に口を閉じた。


(こ、怖い……プロすぎる……)


 王宮の侍女の仕事っぷりは、細かさも、丁寧さも、圧倒的だった。

 キャシーは慣れない距離感にそわそわしながらパンを口に運ぶ。


(美味しいけど……なんていうか……)


 落ち着かない。


 誰もが丁寧すぎて、まるで自分が別の人間になってしまったようだ。


「聖女様、ドレスのお直しが完了しております。本日はこちらを」


「え、これ……昼間から着るんですか?」


「ええ。“聖女様らしい装い”をとの王妃様のご意向でございます」


(聖女様……聖女様……)


 自分の名前を呼ばれなくなって、三日目。

 その響きに怖さを覚え始めていた。





 用意されたドレスに袖を通し、侍女に導かれて大廊下を歩く。向かう先は、王宮騎士団の詰所付近にある訓練場だ。


(クラウスさんに……会えるかな)


 期待と不安で胸がぎゅっとなる。

 しかし――


「……あ」


 廊下の先に、第二騎士団の団員が数名見えた。見知った顔ばかりだ。

 キャシーはほっとして声をかけようとした。


「あ、あの――」


 しかし彼らは、揃って歩みを止めた。

 そして頭を下げる。


「聖女様」


 その声は、いつもの朗らかさとはまったく違う。

 敬意と、畏れが入り混じった、固い響き。


「聖女様が通られます。道を開けろ」


「っ……そんな、普通に……!」


 困って戸惑うキャシーをよそに、騎士たちは壁際へぴたりと寄る。距離はまるで“触れてはいけない存在”のようだった。


(いつもみたいに、笑ってくれない……)


 胸がぎゅうっと縮み、視界が揺れる。


(クラウスさんにも……こう見えるのかな)


 そんな不安が頭をかすめた。

 昨日、彼は抱きしめるように支えてくれた。けれど、あれは緊急時だったからこそ――。


(職務中のクラウスさんは……近づけない立場だし)


 距離を置かれた現実が、ひどく寂しかった。


 




 やがて訓練場に着く。

 そこには、第一・第二騎士団の面々が整列し、王宮魔術士、執務官たちも待機していた。


 キャシーが入ると、その場にいた全員が一斉にひざまずく。


「聖女様に、敬礼!」


「っ……そんな、頭を上げてください!」


 広すぎる敬意が、逆に胸を締めつける。

 視線の海に溺れそうだった。


(クラウスさん……)


 探すと、列の端に彼がいた。

 第二団隊長としての装い。顔は凍ったように無表情。職務中のそれ。


 キャシーの胸がどくん、と跳ねた。


 ――目が合った。

 けれど彼は、一瞬だけまばたきし、何もなかったように姿勢を正す。


(……そっか。そうだよね)


 彼は王宮騎士団の隊長。

 “聖女”への礼儀を欠けば問題になる。


 分かっている、分かっているのに。


 涙がにじみそうになる。


 




 執務官が恭しく近づき、書類を差し出す。


「聖女様。本日は先日の奇跡のご様子を、再度ご確認させていただきたく――」


「待て」


 鋭い声が響いた。

 クラウスだった。


「治癒魔法を強制するつもりか。聖女様は一晩の拘束で疲労している。再現を求めるのは時期尚早だ」


 訓練場の空気がぴりりと張り詰める。


「だ、隊長……! しかし王妃陛下のご指示が――」


「だからと言って、無体な要求を通す理由にはならん」


 冷え切った声。

 “氷の騎士”と呼ばれる所以が、そのまま形になったような眼差し。


(クラウスさん……)


 誰よりも距離を取らなきゃいけない立場の彼が、

 誰よりも強く、キャシーを守ろうとしている――。


 胸が温かくなり、同時に締めつけられる。


(会いたい……声が聞きたい……)


(でも、近づけないんだ)


 聖女として扱われるほど、クラウスとの距離は広がる。

 皮肉にも、彼を救いたいと思った結果が、二人を遠ざけてしまった。






 その後、再現実験は中止となったものの、キャシーはずっと王宮内で“保護”され続けた。


 会話は、侍女や執務官の丁寧すぎる言葉ばかり。

 騎士たちは皆、壁のように距離を取る。

 クラウスも職務中は近づけない。


 夕食も一人。

 寝るときも、一人。


(……クラウスさん、帰ってくるかな)


 窓の外を眺めても、彼の姿は見えない。


(会えないの……こんなに……寂しいんだ)


 胸の奥が、じんわり痛む。

 彼と過ごした新居の日々が、こんなにも温かくて優しかったなんて――今になって気づく。


 回復魔法を使ったあの日から、世界が変わってしまった。


(私のせいで……クラウスさんにも負担がかかってるかもしれないのに……)


「……会いたいよ」


 ぽつりと、声が漏れた。


 しかし返事はない。

 豪華な部屋は静まり返っているだけだった。


 




 深夜。

 眠れずにベッドから出たキャシーは、窓辺に寄り、小さくため息をついた。


(聖女なんて……違う。私は、ただの付与師で……)


 あのとき助けたのは、本当にただの“反射”だった。

 けれど一度でも“聖女”と呼ばれたら、もう元には戻れない。


 侍女たちが敬語で距離を置くたびに、

 騎士たちが膝をつくたびに、

 自分がどんどん“キャシー”じゃなくなっていく気がした。


(クラウスさん……どう思ってるんだろう)


 問いかけても答えはない。


 そのとき――


 外の回廊から、小さな足音が聞こえた。


「……?」


 近づいてくる。

 軽い、静かな、けれど落ち着いた足音。


 キャシーは思わず扉へ向かう。

 心臓が高鳴る。


(まさか――)


 扉の向こうに、彼がいる気がした。


 会いたい。

 今すぐにでも。


 でも、扉の取っ手に触れたその瞬間――


「聖女様。お休みのところ失礼いたします」


 現れたのは、執務官だった。


 胸の奥で、期待がしぼんだ。


「明日、王妃陛下とのお話し合いがございます。ご準備を」


「……はい」


 扉が閉まる。


 静寂が落ちた。


(……会えないんだ)


 その事実が、胸に深く沈んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ