15
昼下がりの柔らかな陽光を感じながら、キャシーは磨き上げた魔石を並べていた。
「うーん……この組み合わせ、もっと効率あげられないかな」
独り言をつぶやきながら、魔力の流れる回路を指先でなぞる。集中しはじめたその時――
コン、コン。
家の扉を叩く音。普段の客よりも控えめで、妙に礼儀正しい。
「はーい、今開けます!」
扉を開けると、そこには王宮騎士団の制服を着た青年が立っていた。見覚えはないが、クラウスと同じ青銀の意匠が入っている。
「セラフィス夫人、でしょうか?」
夫人。そう呼ばれると、なんだかくすぐったい。
「は、はい。何かご用ですか?」
「こちらをどうぞ」
そう言って差し出されたのは――金色の封蝋で閉じられた、上質な封筒だった。王家の紋章が刻まれている。つまり、これは。
「……王宮から?」
「左様でございます。急ぎではございませんが、どうか本日中にお目通しいただければとのことです」
騎士は深々と頭を下げ、去っていった。
キャシーは封筒を手にしたまま、しばらく呆然としていた。
王宮から直接、しかもクラウスを通して。
胸の奥に、じわじわと緊張が広がっていく。
「……え、これ、どういうこと?」
封を切ると、優雅な筆致で招待状が書かれていた。
『王宮主催・春の社交パーティに、キャシー・セラフィス殿を招待する』
「パ、パーティ……っ? 私が??」
手が震えた。
貴族とはいえ田舎子爵家出身、これまで招待されたことなど一度もない。王宮の社交パーティといえば、煌びやかな令嬢と名門の子息が集う世界だ。
自分がその場に立つ姿が、想像できない。
心臓が落ち着かないまま、夕方、帰宅してきたクラウスを迎えた。
「ただいま――キャシー?」
彼は玄関に入るなり、キャシーの顔色を見て目を細めた。
手には書類鞄だけで、鎧は付けていない。仕事帰りの穏やかな姿だ。
「ね、ねえクラウス。これ……」
キャシーが招待状を差し出すと、クラウスはごく自然に受け取り、淡々と頷いた。
「届いたか。急な話ですまない」
「す、すまないって……あの、これ……本物の王宮パーティ……?」
「本物だ。毎年行われる社交の場だ。出席すべき事情ができた」
「事情?」
クラウスは少し視線を逸らした。珍しい表情だ。
「……第一騎士団長から、“妻を正式に紹介しろ”と言われた」
「!」
キャシーは思わず胸の前で手をぎゅっと握った。
妻。
契約結婚のはずなのに、その言葉が妙に重く響く。
「で、でも、私、こういう場って……無理っていうか……」
「大丈夫だ」
クラウスは短く言い、部屋の奥へ戻ると――
細長い箱を抱えて戻ってきた。
「な、なにそれ?」
「……開けてみてくれ」
キャシーは恐る恐るリボンを解き、箱の蓋を開けた。
その瞬間、息を呑む。
「……っ、きれい……!」
箱の中には、夜空を思わせる深い紺のドレスが静かに横たわっていた。
胸元には銀糸の刺繍が星のように散り、スカートには淡い青のグラデーション。触れれば溶けてしまいそうなほど柔らかい。
「キャシーの瞳に合わせて選んだ」
「……っ」
頬が一気に熱くなる。
クラウスが……?
彼が自分のためにドレスを?
「き、聞いてない……! 買ってくれたの?」
「頼んだだけだ。王都の仕立て屋の職人が急ぎで仕上げてくれた」
どうしてこんな……どうしてここまで。
「私……似合うかな……」
「似合う」
即答だった。
迷いが一つもない声音に、キャシーは胸が跳ねるのを感じる。
「キャシー、君が恥をかくような場には絶対にしない。安心していい。俺が横にいる」
その言葉が、何より心強かった。
しかし――
翌日には、街中で早速 噂 が広まり始めていた。
「聞いた? 氷の騎士様の奥さん、王宮パーティに出るんだって!」
「え、あの付与師の子? 意外よね~」
「しかも旦那さんがドレスを贈ったって……!」
「クラウス様があんな人を気にかけるなんて、何かあるのかしら?」
工房にまで噂は届き、キャシーは顔から火が出そうだった。
だが――
その日の夕方、迎えに来たクラウスは噂を聞いても、表情をほとんど変えなかった。
「気にするな。噂など風だ」
「クラウスは……そういうの、慣れてるよね……」
「慣れてはいない。だが、気にする必要もない。俺が君を選んだ。それだけで十分だ」
また、平然と心臓を射抜いてくるようなことを言う。
「……っ、ほんとに、そういうの慣れてないんだから……!」
「何がだ?」
「なんでもない!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向くと、クラウスはわずかに口元を緩めた。
笑った。
その穏やかな笑みは、氷の騎士と呼ばれる彼のものとは思えないほど優しい。
その夜、夕食の後。
食器を片づけながら、キャシーは思い切って尋ねた。
「クラウス……」
「なんだ?」
「どうして……そこまでしてくれるの?」
自分のために、ドレスを選び、準備を整えてくれた。
――契約夫婦なのに。
その疑問が胸の奥でずっと引っかかっていた。
クラウスはわずかに動きを止める。
静かに皿を置き、キャシーの方を向いた。
「……言っただろう。君が恥をかかないようにするためだ」
「それは……わかるけど……」
「それだけではない」
「え……?」
クラウスは一拍置き、言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「君が隣に立つことを……誇りに思うからだ」
「っ……!」
その言葉は、胸にすとん、と落ちて、
そしてじんわりと広がっていく。
キャシーは目を瞬かせ、唇を震わせた。
「……クラウス」
「だから、堂々としていればいい」
「……うん」
そしてキャシーは思う。
特別扱いに戸惑うけれど――それでも、嬉しい。
クラウスの隣に立つ未来を、ほんの少しだけ想像してしまう自分がいた。




