陸、別の方法
「へえ!そうなんだ!それは災難だったねえ…」
この男、本当にそう思っているのだろうか。
執拗に自分の事を聞きたがる青年に押し負け、俺は陸の上で何があったのか、これから何をしたいのか等を全てこのクレイオという青年に話してしまった。
大袈裟に肩を竦める青年に、胡乱な眼を向けることしか出来ない。
「…でも確かに、最近海の中の様子も少しおかしいんだよね」
「海の中の様子?」
そう言えば、先程セルトナドアがそのような事を言っていた気がする。
と言うか、そもそもあの大歯鮫の事であったり、プランチーの事だったりこちらとしても気になる事がいくつかあるのだが。
「それより、さっきの大歯鮫?ってのは、何物だったんだ?」
「ええ!?君、知らないのに闘ってたのかい?物好きだねえー」
「……」
それを物好きというのなら俺とお前の価値観はあまり合わないかもしれない。
「大歯鮫って言うのは、海ン中に生ぎる海獣の一種だ」
プランチーが優しく教えてくれた。一種という事は他にも存在するのだろうか。
「大歯鮫の他にも、大王烏賊だったり、帝亀だったり、色々いるんだげど」
全て見事に初めて聞く単語だった。
陸上にも、獅子だったり羆だったり、麒麟だったりなどという大きくて一部獰猛な生き物はいるが、海の中も同じようにそういう生き物がいるのだろう。
「基本的におらたちはあの海獣には勝でねえ、おらたちが海で暮らす前からこの海に棲んでいた、言わば海の主だはんで」
「…そう言えば、言っていたな海の主って」
「んだ。海獣と人間は盟約を交わす事で、互いの生息圏には侵入しないようにすてるんだ。そうでもせねば、海獣は一撃でおらたつのことを食い殺せるがらな」
確かに、先程の大歯鮫はどう見ても人間の太刀打ちできる相手ではないように見えた。
あんなのが村を襲ってくれば一溜りもないだろう。
「でも、それだと海獣側は何も得はないじゃないか。なんで盟約を交わしたんだ?」
海獣からすれば人間など赤子の手をひねる程度だろうに、それでも互いに干渉しないという盟約を交わしたというのは腑に落ちないところがある。
「そんな海獣でも太刀打ち出来ねえ人間が一人だげいるんだ」
「人間が?」
「…竜王様だ」
竜王、どうにも未知の存在でしかないのだが、それがあるから海獣はその盟約を交わしたのだと言う。
しかし、一人しかいない竜王に恐れるとは、あまりにも考え難いし、海獣が恐れるほどの人間とはいったいどんな人間なのだろうか。それこそ海獣でもなければ怖がらないのではないか。
「兎も角、その盟約のお陰で、人間と海獣は危うい距離感ながら共存すていげでたんだ」
「成程な」
思い返せば、プランチーが大歯鮫と闘っている最中、それ以上すれば竜王の怒りを買う、のようなことを言っていた気がしたが。それはつまりそういうことだったのだろう。
「でも、その均衡が最近揺らいできてるんだよ」
そこでクレイオが口を開く。
「先程の大歯鮫が良い例なんだけどね、普段ああいった海獣類は盟約の為人間を襲うってことはまずしないんだ。けど、ここ最近その盟約を破って人間を襲ったりする事例が各地で聞こえるようになっている」
「何で急に…」
「それはわからない。先程の大歯鮫を見た時に、普段の彼らに比べて少しだけ匂いが違うような気はした。一種の催眠に掛けられているかのように、興奮状態になっていたんだ」
それは小屋にセルトナドアが転がり込んできたとき、似たようなことを言っていた。
まるで錯乱状態になっている、興奮しているんだ、と。
「…じゃあ、誰かがそうなるように海獣たちを仕向けているってことか?」
「…だとしても全く持って得は無いけどね。見つかった時点でそいつの命はないのだから」
「海獣が自分たつの意志で人間を襲いはずめてるのが、それとも誰かに操られでるのが、どっちにしでもこれ以上の犠牲が出るようだと竜王様も動かざるを得なぐなる」
どうやら、海の中も過去に類を見ない程相当な危機的状況に陥っているのだという。
陸上の水が全て海に溢れ、そのまま陸地に流れ込みそうになっていたことも、今回の件と何か関係があるのかもしれない。
「それにしても、本当に君は優秀な守り人だね、まさかこんな東の果てに優秀な人材がいるだなんて思いもしなかったよ」
グラスに二杯目の水を注いで一気に飲み干しながら、クレイオはそう言ってプランチーを見た。
そう声を掛けられて、プランチーは気恥ずかし気に笑いながら頬を染める。
「守り人?」
「守り人っでのは、海獣がらもしもの事が無いか村や人々を護る人の事。おらの仕事だ」
「仕事しているのか、その齢で」
俺はその言葉に思わず目を丸くして聞き返す。
まだ年端もいかない子供だと思っていたが、まさか仕事をしていたとは、俺の住んでいた村でも子供は働き頭ではあったけれど、流石にもう少し年齢を経てからではないと働いていなかった。
「んだ。まあ…色々あっだんだけど、元は……父ちゃんがこの仕事をすてたんだ」
「お父さんが?」
「だけんど、二年前に父ちゃんと母ちゃんが大歯鮫に食われつまっで……それがらおらが守り人の仕事をするようになっだんだ」
「……そうだったのか」
ずっと父親と母親の姿が見えないとは思っていたが、まさかそういうことだったとは。
それなのにしっかりとその任を続けているというのは、非常に真面目な子供なのだろう。
「大歯鮫の事…恨んでないのか?」
「恨んでねえっで言っだら、嘘になる。 …だけんど、これがおらたつの仕事だがら、身をもってこの村と人々を護るんだ」
「…偉いな」
自分よりもかなり年下だろうに、胸を張ってそう言うプランチーが眩しく見えた。
「全く、よっぽど王都の守り人よりも優秀だよ、君は。スカウトしたいくらいだ」
「へへ…でもおらはこの村さ好ぎだがら」
「はは、それが一番だな」
クレイオの手に錆青磁の毛髪を撫でられ、プランチーは猫のように目を細めていた。
「お前、王都にいたのか?」
クレイオの発言に少し気がかりな所があったのでそう聞けば、プランチーの頭を撫でていた手を一瞬停めたクレイオは「ああ」と返事をしてから茜色の眼をこちらに向けた。
「俺の出身は王都だからね、そこから今は旅をしているって感じ」
「へえ!王都出身なんだな!そりゃすげえ人に出会っつまっだ!」
その言葉に、何故かプランチーが妙に目を輝かせて身を乗り出していた。
クレイオはその反応に少し困ったように眉根を下げる。
「いや、凄いって言っても俺は王都の外れの方だからね、あぶれ者だよ」
「んだげど、王都っでごとには変わらない!」
「そんなに凄い事なのか?王都に住むというのは」
海の中に落ちてきて、まだこのヒトデ村しか知らないので王都がどんなところなのかは全く分からないが、そんなに目を輝かせるほどの所なのだろうか。
地方の村出身である俺が、都に憧れるようなものだろうか。
「王都ってのは、選ばれだ人しが住む事が出来ねンだ。竜王様のお眼鏡に敵う人しが住めねぇっで話も聞いだ事あるげど」
「…まさか、それはないよ。単純に生まれた所が王都ってだけ。俺は会った事は無い」
プランチーの興奮具合に対し、クレイオは少し後ずさる。
「…それより、俺は君が言っていた話の方が聞きたいんだけど」
そうして、そのまま逃げるように目線をこちらへと向けた。
俺の話はもう既に終わった筈なのだが、何か有益な情報があるのだろうか。
「…なんだ?」
「俺は陸上に海水が溢れそうになっているってことは分からないけど、もし君が陸地に戻りたいっていうのなら、もっと別に方法があるかもしれない」
「え?!本当か?!」
その言葉に俺は今まで以上の食い付きを見せる。
テーブルに身を乗り出してクレイオを見れば、クレイオはまた後ずさりをしながら答える。
「…正直、こっちの方が出会える確率が高いと思う」
「誰に会えばいいんだ?」
身を乗り出す俺から逃げるように身を引きながら、クレイオは人差し指を宙に向けて上げた。
「竜宮の巫女だよ」
「竜宮の…」
「巫女…??」
聞き慣れないその言葉に首を傾げる。隣に座るプランチーも初耳だったようで、同じように首を傾げていた。