第四話:叔父の書いた小説
「だあれも、おらんみたいやね」
母がぽつりと、安堵のつぶやきを漏らした。
昼食のときに話していたのだが、地方局の昼のニュースで、宗平叔父の死が短く取り上げられたらしい。
マスコミがやってくるのを懸念していたが、その心配は杞憂だったようだ。もちろん、自殺である、などという報道は為されていなかった。
「……母さんが、取材の電話を全部断っとる」
忌々しそうな口ぶりで、父が言い捨てた。
雨を避けるようにして、文治たちは、玄関へと走った。引き扉の鍵は開いていて、父が扉を引くと、からからと小気味のいい音を鳴らして、扉が開いた。
ふわりと、藺草の匂いがした。
「誰か、来てるんか」
父は、玄関に揃えられた黒い紳士靴を見て呟いた。確かに、どこかからぼそぼそとした喋り声が、文治の耳朶を打っていた。
上がり框の先には、薄暗い木張りの廊下が続いていて、両脇に部屋がある。
廊下を進むと洗面所や浴室といった水回りが固まっていて、廊下の左手には居間とお勝手場、右手には仏間や客間が並んでいた記憶がある。
声は、客間のあたりから聞こえていた。照明が、廊下に漏れている。
父と母は、上がり框にボストンバッグやらの荷物を置いて、靴を脱ぎ始めた。広い玄関ではないので、文治は二人を待つ間、客間の曇り硝子戸に視線を向けていた。
硝子の向こうに、人影が見えた。
立て付けが悪いせいか、戸に嵌ったガラスが揺れる騒々しい音がして、戸の隙間から飛び出た顔があった。
文治の知らない、老人の顔だった。
頭頂部は薄く、側頭部だけ髪が豊かな白髪の男性は、鼈甲縁の眼鏡を持ち上げて、しげしげとこちらを見ている。
妙な間があった。なんとなく、文治は会釈をした。
「ここの家の、梶山勲夫です」
口火を切ったのは、父だった。声に困惑が滲んでいたが、礼を失さぬ挨拶だった。
母も、父に倣って名を告げてから、文治の分も併せて紹介した。父にも母にも、旧知の人物ではないようである。
白髪の老人は、目を見開くようにしてから、深く頷いた。褪せた血色の唇から、感嘆が漏れた。
「ほお。勲夫くんか。なんしょん、はよう上がりんちゃい」
「はあ」
曖昧に頷いた父をよそに、老人は、客間を振り向いた。
「光代さん。勲夫くんじゃ」
「ほんにけぇ」
嗄れた、掠れ声がした。
客間に上がると、畳敷きの部屋にペルシャ風の絨毯が敷かれ、ソファと卓があった。
「おふくろ」
父が呟く。入口に背を向けて座っていた老婆が振り返った。
その顔には、微かな笑みが浮かんでいた。
「でえれえ、はよう来よったの」
祖母の梶山光代の姿は、思い出とさほど変わらない。丸顔で目は細く、頬が垂れ下がっている。
温雅なさまが叔父に似ている。癖っ毛の頭髪をきっちり撫でしつけていた。だが、落ちくぼんだ目や、深い皺が顔に陰影を作り、祖母の内部に潜む陰が滲み出ているように思えた。
「まあ、座りんちゃい」
祖母に促されるまま、ソファに腰かけた。
見知らぬ老人が、国木田吉秀と名乗ると、父は訝しげな顔色を変えて、はっと驚いた顔をした。
「もしかして、国木田先生ですか。大沢小の」
「じゃー」
国木田老人は、相好を崩して頷く。
父は、小学校時代の恩師だと紹介した。当時三十手前の教師だったというから、今や八十を超えるはずだ。祖母の光代とは、大沢で生まれ育った者同士、旧知の仲であるという。
「お元気そうで。わざわざ、来てくらはったんですね」
「宗平くんが、のうなったてえ聞いたけのう」
国木田老人は眉を寄せ、悲痛な声を漏らす。
文治は、その悲し気な響きに胸を圧されながらも、小学校の教師とは、これほど生徒のことを覚えているものかと、密かに感嘆措くあたわず、その職業精神に驚いた。
五十年も、昔のことだろうに。
「ほんま、よう覚えとられますね。あいつも、喜んどります」
「世が世なら武蔵じゃあ。あの子は、なんでん出来ょうたから」
武蔵、というと戦艦ではなく宮本武蔵である。大沢は宮本武蔵生誕の地でもある。
幼い頃、祖父母を含めた家族全員で、宮本武蔵の生家周辺を巡ったこともあったのを、何となく覚えている。
「そねん、褒められゆうもんじゃ」
「いんや。ちょっと変わった子じゃったけんど、光代さん、ありゃあ立派なもんじゃ。海外で医者やるゆうんは、誰にでもできることじゃねえ」
「そうかねえ」
謙遜した光代に、国木田は言い含める。
照れ臭そうな光代の姿を見て、文治は、場の緊張が緩んだ心地がした。暗い雨が家屋に閉じ込めた陰気が、吐き出されていくような。
傍らの父の顔には、申し訳程度の笑みが浮かんで、すぐまた物憂げな色になった。
「そうじゃ。こねんもん、渡そう思おて」
国木田老人は、思い出したように、小脇にあった紙袋の中から、クリップで閉じられた紙の束を出して、卓に置いた。
数十枚はありそうである。
日に焼けたせいなのか褪色し、場所によって黄ばんだり、黒ずんだりしている。
一番上をみると、紙の束は原稿用紙のようだった。
「これは?」
父が、卓に身を乗り出した。
「自作の小説じゃ。宗平くんが四年の頃か、先生読んでくれゆうけえ、もろうたんじゃ」
「はあ。宗平が、そねんもんを……。うち、初めて聞きゆうがじゃ」
光代が、深々と息を吐く。
文治の目線は、その古びた原稿用紙に吸い込まれていた。
叔父は探偵であった。
無論、叔父が自らをそう標榜したことは一度としてない。
だが、書を読めば眼光紙背に徹するが如く、人を見れば読心に当たらずといえども遠からぬ推理を働かせた。
この地で殺人事件が起きたなどという話は聞かないが、失せ人、失せ物を探すにかけては及ぶものなし、という。周りがそう誉めそやす中、かつての叔父は、馬鹿らしいと笑って相手にしなかった。
神童だなんだと、田舎特有の過剰な賛美に辟易していたのかと思えば、結果として医師の道に進んだ叔父である。
患者を診察し病状を診断する医業とは、叔父にしてみれば水魚の交わりと言うべきか、素人の浅慮ながら天職であったのではないかと思える。
高校までを過ごした叔父の部屋には書架に沢山の本があって、学問書の他に、その書架の多くを埋めていたのは、推理小説であった。
叔父は帰省で顔を合わすたび、文治に本を勧めてくれたのだ。
すべてを見通すような、子供のように澄んだ目を煌かせて、叔父が語った言葉を、文治は今でも覚えている。まだ文治が幼少の頃、初めて叔父が本を勧めてくれた時だ。
書架にずらりと並ぶ本は漢字ばかりで随分難しそうに見えて、これは何の本かと問うと、叔父は推理小説だと言った。
——推理小説って?
——多くは、探偵という人たちが活躍する話だね。
——探偵って?
叔父は、少し考えるような仕草をした。それから、はにかみながら答えた。
——探偵っていうのは……。誰かや何かのために、真実を追い求める人、だろうか。
タンテイというのは、随分ふんわりとしたものだと思った記憶がある。
でも、叔父が見せた、ひなたの草原みたいなささやかな笑みから、叔父がその本に深い思い入れを持っていることは、子供心にもよく分かった。
今になって叔父の言葉を再考すれば、実際のところ推理小説における探偵とは、私立探偵に刑事や未亡人、ときには学生までがその役回りを演じるので、叔父の答えは遠からずといった塩梅だ。
だが文治の胸に迫ったのは、叔父の言葉の奥にある含意である。
つまり、叔父が定義する探偵とは……叔父が焦がれていた理想とは、利他の精神で真実に迫る者であるということだ。
その意味では矢張り、叔父は死の直前まで、真に探偵を貫いたのだと思う。
卓に置かれた紙の束をしげしげと見つめる文治たちに、国木田老人は落ち着かない様子で居住まいを正した。
「わしが持ちゆうより、光代さんらのうちにあったほうがええじゃろ、思おてな」
「どんな内容なんですか?」
それまで黙していた文治であったが、思わず知らず口を挟んでいた。問いを投げながらも、幼少の宗平叔父は推理小説を書いたに違いないという、確信にも似た期待があった。
言うに忍びないから読んでやってくれと、至極真っ当な文句で国木田氏は多くを語らず、叔父や父の思い出話をして、小降りになった雨の中を、傘を手に歩いて去っていった。
壮健な老人である。
かくして、梶山宗平の処女小説は梶山家に舞い戻る次第となった。
それは、亡き梶山宗平の欠片であり、彼を知る端緒になり得ることを予期し、文治は矢庭に、打ち捨てられた燈篭に久しく燈火がともされたような、微かな鼓動の高鳴りを感じていた。
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梶山宗平、小学四年生の作は、なるほど確かに推理小説であった。
祖母と父、母が今後の葬儀にかかる内々の段取りを相談する間、文治は、この作を読みふけったのち、私用のPCに書き起こした。
いかに神童と言われようとも小学生は小学生であり、時折、ひらがなや漢字、慣用句の誤謬が数か所か見られたものであるから、文治はその個所を修正したうえで、それ以外はそのままに、文章の全てを書き写した。
ときおり現れる方言は、ネット検索で翻訳した。
それほどに少なくない手間を割いてまで、写したのである。
その内容は、次のように続く——