第三話:葬儀へと
父の運転する車に乗り、家を出たのは十三時を過ぎた頃だった。
母の荷造りが終わると、昨晩の残り物だという品々で昼食を済ませ、足の早そうな食品を始末した。
その間、口数の多い母と文治の間には、父から受けたのと同じような問答があった。父は、時折相槌を打つ以外、黙っていた。
窓を打つ雨音が激しさを増して、叩きつけるほどになった。
車は、六甲を北上して中国自動車道に入ったところだった。
車内のラジオが、名も知らぬ女性歌手のバラードを鳴らしている。幾つもの音が入り混じった車内は、どこか物寂しかった。
ぼうっと窓の外を眺める。先ほどから、変化のない山々が後ろに流れて消えていくばかりだった。後部座席の文治は、絞るように唸った父の言葉を思い出していた。
——宗平は、自殺したらしい。
自殺。
文治が想像したどのような死因からも、その二字はかけ離れていた。父は答えたきり黙ってしまったので、文治はその先を追及できずにいる。
その死にざまは、およそ叔父には、似つかわしくない。
余程の理由があったのだろうか。
様々な疑問が、文治の頭に沸き起こった。そのどれも、明確な答えはなかった。
「雨、大丈夫やろか」
母が、篠を突く雨に目をやり、ぽつりと言った。助手席のシートと車体の狭い間に、母の横顔が見えた。
「電車が止まるような雨やない」
ハンドルを指で叩きながら、父が返す。
今日の夜、兄の邦彦と、弟の博之が岡山に到着するという話だった。母がその心配をしていると思ったのだろう。
兄弟と顔を合わせるのは、やはり大学卒業以来かもしれなかった。
「お義母さんは、大丈夫?」
母の心配は止まない。叔父の死に直面し、言い知れぬ暗雲が、母の胸に立ち込めている。
「電話は、しゃんとしよった」
やや間があって、うん、と母の声が聞こえた。
母の声は、父の返事には納得していない様子だった。祖母の安否に関する母の問いの含意は、文治にも分かった。それを、父が分からないはずはなかった。
二年前に祖父を亡くしてから、今年九十幾歳かになる祖母は、岡山で一人暮らしを続けている。
岡山の美作市にある大沢地区は東西南北を山に囲まれた盆地で、南北に中国自動車道と国道が走る。
因幡国と播磨国を結ぶ因幡街道の宿場として江戸時代より栄えたのだ、と父は語っていたが、今を以て栄えているとは言い難かった。
病院もスーパーもあり困ることはない、というのが祖母の言い分で、神戸に同居しようという父の申し出を断ったと聞いた。
文治が前に祖母と会ったのは、かれこれ十年近く前になるはずだが、盆であっても、くたびれた麦わら帽子を被って農作業に勤しむような、気骨ある祖母の姿が印象深い。
祖母は、その実、便不便よりも土地や馴染み近所から離れ難いのだと文治は思う。代々の墓も、その地にある。
父はというと、祖母の意を汲んだ。最寄りに駅もあれば、中国自動車道のICまであるという、恵まれた交通網も、その決断の一端だろう。
よし何かあったとしても、すぐに駆け付けることができる。
一時間半もして、車は大沢ICで自動車道を降りた。国道を北に向かう。
重い雲が空を覆い、雨が街を灰に塗り潰していた。彩度を失った家々を通り過ぎて、国道を脇に逸れる。古びたガソリンスタンドに見覚えがあった。
西の山麓に向かうにつれ、人家は減っていく。家と家の間に広い水田が挟まるようになって、道も細くなった。
視界を通り過ぎていく水田は、田植えを終えてさほど間がないようで、若い苗が整然と並んでいるのが分かった。
水面に、雨粒が痘痕を作っている。
道の先に、合掌造りのように急勾配の傾斜を作った、臙脂色の屋根が見えた。
舗装された道から、車は無舗装の庭に乗り入れる。じゃりじゃりと、タイヤが土とも砂利とも知れぬ地面を踏みつける音がする。
さっ、と肌が粟立った。幼い自分は、いつもここで、目を開けるのである。
「着いたぞ」
父の声は、思い出の中の声よりも、重く沈んでいた。