第二十三話:新たな調査へ
宗平の葬儀を終えた梶原文治は、岡山から神戸に向かっていた。他ならぬ梶山宗平の取材のためである。
期限は一週間。
そう、文治は思いを定めていた。
少しばかり財布は痛むが、しばらくの間は会社に頼らず、独断で取材するつもりだった。
係長には以前、叔父の取材について、はぐらかされている。もう一度叔父の取材を申し出ても許可が下りるかは分からなかったし、もし取材内容に、開示情報の取捨選択が求められる事情を知り得た場合には……つまりは叔父にとって不名誉な結果が得られた場合には、記事にする気はなかった。
業務となれば、係長に逐次報告を求められるために、手渡した情報を後から改めるのは困難になる懸念があった。叔父や、家族のことを思えば、独力で取材をやりきるのが、最適に違いない。
大沢駅から、智頭急行に乗り兵庫県方面へと向かう。車内は外のカンカン照りなどどこ吹く風と、冷房が効いていて涼しかった。
気動車は、山々を縫うように走る。地上を遥か下方に見下すような高架橋を走り、長いトンネルを越え、変化に富む車窓は見ていて飽きない。非電化区間で電線が無く視界が開けていることも、開放感ある車窓に一役買っている。
佐用駅でJR姫新線に乗り換えて、進路を東に取った。あとは、目的地である姫路市まで一本だった。
しばらくすると平野部に差し掛かり、田園風景が広がるようになった。まばらだった民家の数も徐々に増え、集落を形成し始めていく。
都会的な光景がグラデーションのように移り変わる車窓を眺め、学生時代の宗平を自らに重ねた。
目前に姿を顕わす新世界に、叔父は何を思っただろうかという疑問が、頭をよぎる。
叔父は、小学校、中学校と地元の大沢にある学校に通っている。高校はというと、大沢地区に住む子供は、同じ学区内の公立高校まで机を並べるのが常であったのだが、叔父はそうしなかった。
叔父は越境した。選んだのは、県を跨いだ兵庫県姫路市の私立高校である。
この頃から医学部を志望していたのかは定かではないのだが、中学時代の教師の勧めもあって、両親に強く希望したらしい。
名を周峰学園高等学校という。
大沢から通学するには遠すぎるその私立学校は、遠方に住む学生のために寮まで備えた、近隣で随一の進学校だった。
旧帝国大学や国立大医学部に進学する生徒を数多排出した実績を有する学校で、さしもの叔父も井の中の蛙大海を知るかと思いきや、あっさりと、学費免除の特待生で入学を決めた。
その才たるや、推して知るべしである。
トンネルに侵入し、車窓の外が塗りつぶしたような暗闇に覆われた。覇気のない顔が窓にさっと浮き上がったのを見かねて、文治は手元に握っていた紙に視線を移した。
握っていた個所が汗でふやけているのに気がついて、慌てて指で押し伸ばす。
葬儀の芳名帳をコピーしたものだった。参列者の氏名と住所がずらりと並んでいる。所々には手書きの文字も書き込んである。
葬儀の受付台の下にレコーダーを隠し持っていた文治は、受付でのやりとりを密かに録音したうえで、文字に起こしていた。
得た情報をコピーに手書きで追記することで、今や文治の貴重な取材用資料と化している。参列者から聞き取った、叔父と参列者との関係性は書き加えてあった。
勝手に録音など、参列者に悪いとは思ったが、致し方ない。
葬儀には、周峰学園高校時代の同級生も幾人か参列していた。幸いにも、そのうち数人は、今でも兵庫県内に居を構えていることは、確認できている。
車体が、トンネルを抜けた。目が眩むほどの陽光に、思わず目を瞬く。
じわじわと、日差しが肌に熱を伝えてくる。車窓からは緑が減り、灰色のコンクリートが目立ち始める。
すぐ近くを、国道2号が走り、大型トラックが列をなして行き交っていた。歩道には、日傘をさして歩く女性の姿があった。
いよいよ姫路に到着する。自然と気が引き締まる思いで、文治は深呼吸した。今日は、暑い一日になりそうだった。
衣類の入った大型のボストンバッグを駅のコインロッカーに預けて、姫路駅を出た。
すぐさま、熱波が全身に襲い掛かってくる。腕時計に目をやると、時刻は、十時を回っていた。まだまだこれから、暑くなるに違いない。初夏とは思えない暑さに、文治は思わず顔をしかめた。
行くべき住所は頭に入っているが、具体的な場所の特定は、現地を探さないと分からない。汗まみれで自宅を訪問することは避けたいものだが、これでは万やむを得まい。
駅を出て北に向かう。正面には、真白を更に白く透かしたような、白鷺城の別名を持つ世界遺産、姫路城が視界を占めている。
駅から見ると随分近くに感じられたが、歩くと思いのほか時間がかかった。
電車の冷気で冷やされていた身体は、数分歩く間に熱を持ち、背中がじんわりと汗ばんでいるのが分かった。
携帯電話に表示した地図を見ながら、目的の住所へ向かう。
芳名帳には、住所の後に『工藤法律事務所』と職場の名前が書かれていた。
平日の昼間に職場に突然押し掛けるのは無礼かとも思ったが、時間が惜しかった。もっとも、その自宅兼事務所であろう住所に微かな違和感もあって、最初の訪問を決めたのだった。
そして、目的地に向かうにつれ、嫌な予感は明確に増していった。
大通りに立ち並んでいたテナントビルが減り、次第に高さを失って、視界が開ける。付近には緑の無いただっ広い公園と、土産物屋らしき平屋の建物が立っている。
文治は、目を凝らして周囲を見回した。とてもではないが、法律事務所があるようには見えない。そもそも、芳名帳に書かれた住所は文治の正面の建物だったのだが、そんなものは見るまでもなかった。
目の前では、姫路城が堂々と鎮座し、こちらを睥睨していた。




