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ある探偵 ~ディテクティブ・ストーリー~  作者: OST
第二章:美術室のミヤコさん
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第二十話:コンゴ民主共和国

 コンゴ盆地の深い熱帯雨林に囲まれた、アフリカ大陸の心臓部に悠然と位置するコンゴ民主共和国。


 赤道直下にあるこの緑豊かな熱帯雨林の規模は、かのアマゾンにも比肩すると言われている。四七〇〇キロに及ぶコンゴ川が流れる、自然溢れる国だ。


  アルジェリアに次いでアフリカで二番目となる広大な国土を持っていて、現代社会に不可欠なレアメタル等の鉱物をはじめ、豊富な天然資源にも恵まれている。


 一方、自然だけがこの国の持つ一面ではない。


 反政府武装勢力の活動が活発な一部地域は、日本国外務省により危険レベル4に指定され、避難勧告が出されている。そうした深刻な政情不安の国でもある。


 かつてのコンゴは、平和な地だった。国の歴史の大きな転換点は、十五世紀末に遡る。


 当時アフリカの地で、コンゴ王国という国が栄華を誇っていた。言うに及ばず、現コンゴ民主共和国と、コンゴ共和国の前身となる国である。


 コンゴ王国は、王であるマニ・コンゴを頂点とする国だった。

 

 この国には平和があった。王と親族関係のある大首長が各地を治め、歴代マニ・コンゴは宗教的・親族的な権威の象徴として人々から崇拝される。

 精神的紐帯で結ばれた彼らは、分権的できわめて整備された統治をおこなっていたという。


 しかし、時あたかも大航海時代。この時、異なる文明同士が邂逅を果たした。


 ヨーロッパはポルトガルの宣教師団がこの地を訪れたことを嚆矢として、コンゴ王と、ポルトガル王の兄弟王の契りが結ばれたのだ。

 当初はあくまでも両国は対等で、その関係は良好と言えた。コンゴにはキリスト教が布教され、コンゴからポルトガルへの留学が行われたこともあった。


 だが、およそ百年続いたこの均衡関係は、突如として崩壊する。

 この時こそが、苦難の歴史の始まりだったのかもしれない。


 ヨーロッパで芽吹いた資本化・産業化の波が、コンゴ王国にも押し寄せたのである。


 対等であった両国の関係性は、次第に主従関係に変容した。

 コンゴ王国の衰退は、この従属関係の誕生に端を発したと言えるだろう。


 コンゴは奴隷貿易の売り手として国内から奴隷を徴収した。その過程で、王国内の有力民族らは、王に差し出す奴隷を用意するため、周辺民族を強襲したのだ。

 しかりしこうして、国内至るところで民族間の内戦が勃発した。国は急速に力を失っていった。


 以後、コンゴ王国はヨーロッパ社会に取り込まれ、否応なく騒乱の歴史に巻き込まれていくことになる。


 それは圧倒的な力による支配の歴史だった。


 その最たるものが、ベルリン会議である。


 十九世紀。列強諸国十三ヵ国によってアフリカの()()()()()を議論するベルリン会議が開かれる。

 平和的などという耳障りの言い枕詞の実態は、強国による弱者支配の象徴といえる、横暴極まりない会議だった。


 この、アフリカ人の存在を徹底的に無視したベルリン会議は、ある歴史家によってこう述べられている。


『一大陸の国家が寄り集まって、他の大陸の分割と占領について、これほど図々しく語ることが正当化されると考えたというのは、世界史に例がない』


 かくして、ベルリン会議ののち、コンゴ王国はフランス領とベルギー領に二分される。

 フランス領コンゴが現在のコンゴ共和国の、ベルギー領コンゴが、コンゴ民主共和国の前身となる。


 件のコンゴ民主共和国……すなわちベルギー領コンゴにおける植民地支配は、一九六〇年にベルギーから独立するまで続いた。


 独立とは、何と甘美な響きであろうか。

 独立が、きっと、コンゴに平和と自由をもたらしてくれる……。


 十五世紀から続く搾取の歴史を背後に、人々はようやく、安寧に満ちた幸福を夢見ることができたはずだ。


 しかし、日ならずして、安寧の日々は蜃気楼のように霞む。人々の目の前で、掻き消えたのである。


 新たに目前に現れたのは、血の霞だった。


 独立と同年に発生したクーデターを皮切りに、冷戦下のアメリカ、ソ連の介入によってコンゴ国内で代理戦争が起こった。

 中東や東南アジアなど、冷戦期に世界中で発生した代理戦争と同じく、コンゴは長きに渡って政治危機に陥る。


 政治危機はまた、反政府勢力による更なる反乱を助長した。

 社会主義を賛美した反政府勢力は、かのキューバの革命家チェ・ゲバラの支援も受け、国民軍と対峙した動乱を引き起こす。動乱は動乱を呼び、民間人を巻き込んで激化の一途を辿ることになる。


 動乱は五年近く続いたが、アメリカ軍とベルギー軍が国民軍に加勢したことで、戦況は動いた。

 国民軍が勝利し、動乱はいったんの決着を迎えることになった。


 だが、反乱がもたらした騒乱の火は途絶えることはなかった。

 各地に燻ぶり、燎原の火のごとき勢いで燃え上がったのだ。


 首相の暗殺。

 クーデター。

 長期独裁政権。

 賄賂の黙認や公的資金横領を始めとした中央政府の腐敗……。


 乱れた政治は、インフラ整備を遅らせ、衛生環境の悪化と反政府感情の膨張をもたらした。


 二〇二〇年代を迎えた今なお、コンゴ民主共和国は世界最貧国の一つと呼ばれる苦難の国である。

 現代社会に欠かせないレアメタルを巡って、アメリカや中国といった強国間の思惑に翻弄されている。


 希少金属は隣国ルワンダやウガンダにとっても垂涎の的である。

 希少金属を取引材料として隣国からの支援を受けているとされる反政府組織との対立、重篤な人権侵害や貧困。

 コンゴ民主共和国には、交々の紛争の種が、国内あらゆるところに散らばっている。


 そうして、あたかもコンゴ川の流れのように……。


 この地を巡る物語は、時に緩やかに、時に大きく湾曲しながら、紡がれていくのである。


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