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第十三話:「隠しごと」⑨

 その日の放課後、ぼくは、国木田先生と宗平くんを生徒指導室に呼び出した。

 すべての決着をつけるために。


 生徒指導室は、机も何もかも、あの日のままだった。三人で三つの席に座り、空いた一つの席を見る。


 ただ、四人目の姿だけが、そこにはない。

 もう、永遠にないのだ。


 彼女の影を振り払うように、ぼくは、顔を上げた。


「先生は、亜里沙ちゃんが転校するのを、あの日、すでに知っていたんですよね」


 太い眉を八の字に寄せている先生に、ぼくは訊ねる。


「だから、亜里沙ちゃんに、犯人探しをするかどうかを聞いた。亜里沙ちゃんが学校に来るのは、あと、たった四日のことだったから」

「……そうじゃ。転校の話は、前もって亜里沙と、亜里沙のご両親から、聞いとった」


 観念した様子で、先生は答えた。


 とても悔しい思いが喉にあがってきて、でも、ぼくはそれを抑え込んだ。


「転校の話は、誰にも話さないでくれ、と?」


 国木田先生は、頷く。


 ここまでは、考えていた通りだった。次は、宗平くんだ。


「宗平くん。一学期の終わり、亜里沙ちゃんの靴と教科書が無くなって、靴は、その翌日に出てきたよね。あれを最初に見つけたのは、宗平くんなんでしょ?」


 宗平くんは、机の上で揺らしていた目線を、こちらに向けた。


「そうじゃ」

「あれは……誰が持ってたの? 宗平くんじゃあ、無いよね」

「やっちもねえことじゃ。……まあ、もう当人もおらんけえ、言うてもええんやろな」


 ちらりと、宗平くんは、目線を先生に向けた。

 でも、その視線の意味を、先生は理解できていないようだった。


「亜里沙の上履きを持っとったんは、用務員の茂男さんじゃ」


 ぼくは言葉を失った。そして、はっとする。朝に感じた、違和感の正体に気付いたのだ。


 いつも始業式や終業式では、用務員である茂男さんは、先生たちの一番最後に並んでいた覚えがあった。

 薄青色の作業着が印象的だったから、覚えている。

 でも、今日の始業式にはいなかった。


「茂男さんは、どうしたんですか。先生は、何か知ってるんじゃないですか?」


 慌てて先生を向いたぼくは、ぼく以上に、驚いていた。


「そ、そねん話、聞いとらんがじゃ。家族の都合で、退職するゆう話を教頭が聞いたゆう、そんだけで……。

 でえれえ急な話や思おとったが、そうか。じゃけえ茂男さんは、そねえ急に……」


 国木田先生は、納得したように何度も頷いた。


「じゃ、じゃあ、亜里沙ちゃんの上履きと教科書を盗んだのは、茂男さんってこと?」

「違う」

「え?」


 わけがわからない。茂男さんは、盗んでもないのに、上履きを持っていたのか。


「慎二。あの日の放課後、わしら二人で帰りよったとき、話したじゃろ。犯人は、盗んだことをすぐに気づいてほしかったんやなかろうか、と」

「うん。だから、すぐにわかる上履きと、六時間目の国語の教科書が選ばれたんだろうって……」

「わしは、言うたじゃろう。すぐに気づいてほしいだけなら、上履きだけでよかろうて」

「それは……うん。そうだけど。それがいったい」


 宗平くんは、もぞもぞと、椅子に座り直した。


 声を低くする。


「茂男さんが盗んだんは、上履きだけなんじゃ。上履きが隠された理由と、教科書が隠された理由は、まったく別なんじゃ」

「それって……!」

「そうじゃ。あの事件は、二人の人間が関わって、上履きと教科書が隠されたんじゃ」


 ぼくは、言葉が出てこなかった。そんな偶然が、あるだろうか。


 学校で何かが盗まれる、なんて話を、ぼくは今まで聞いたことがなかったというのに、それが同じ日に、立て続けにだなんて。


「でも、なんで? どうして茂男さんは、亜里沙ちゃんの上履きを盗んだりなんか」


「それが、わしらと、あの人の勘違いなんじゃ。茂男さんは、亜里沙の上履きを盗むつもりじゃあなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()なんじゃ」


「惠香ちゃんを?」


 余計に、わけがわからない。

 惠香ちゃんと茂男さんに、何の関係があったんだろう。想像もつかない。


 頭がぐるぐるとするぼくをよそに、宗平くんは続ける。


「全ての始まりは……茂男さんかもしれん。あん人が女子に嫌われゆう話は、覚えとるじゃろ?

 そりゃあ、たしかにいつも作業着で、よごれおったけんど、そねんだけじゃあねえ。


 あん人は、水泳の授業がある日なんぞは、照明の取り換えゆうて、よく廊下で作業しよったらしい。

 女子が着替えて部屋から出て来ゆうと、茂男さんと目がおうて、気味が悪いと、そんな話があったらしいんじゃ。


 あの日、茂男さんは、やっぱり、五年生の教室の前辺りで、作業しよった。わしらの四年生教室の、すぐ隣じゃな。


 着替えを終えて晴美が出てきて、入れ替わりに今度は恭介が入る。そして、恭介が出て行く。

 二人とも、部屋には自分しかおらん思おとったんじゃろうが、実は、教室には他の人間がおった。


 それが、惠香じゃ。


 惠香は掃除用ロッカーに、隠れとったんじゃ。誰にも、見られんようにあることをするために。


 ところが、ロッカーから出てきて作業をしようとした惠香は、廊下からの視線に気がついた。

 少し開いたドアから、茂男さんが覗いとったんじゃ。


 惠香は、茂男さんが気味悪いゆう話を、クラスの女子から聞きおったけえ、すぐぴんときたんじゃろうな。

 それに、惠香は、自分が隠れゆうところを見られたと思って、カッとなったんじゃろう。


 恵香本人が言わんで、なんと言うたかは知らんが、茂男さんに、酷いことを言うたがじゃ。

 あん気いの強いおなごのことじゃ、溜まり溜まったものもあって、よほどのことを言うたんじゃろう。


 結局、茂男さんに見られたせいで目的は達成できんと、惠香はそん場を後にした」


 その光景が、手に取るように浮かんできた。


 ぼくは、はっとした。茂男さんの言葉そのものが、宗平くんの語った物語を、説明していたと言えないだろうか。


「そういえば、茂男さんは、ちょっと空いた扉から、教室の中を見ていたと言ってたね。

 でも茂男さんの言葉を信じるなら、茂男さんが立っていた場所は、五年生教室のあたりだ。


 そんな角度から四年生の教室を見て、『髪の赤い女の子が、教室の真ん中あたりにいた』なんてことが、わかるはずない。

 茂男さんは、もっと長く、しっかり、教室の中を見ていたから、惠香ちゃんの居た場所まで良く見えたんだね」


「そうゆうことじゃ。じゃけえ、茂男さんは惠香に馬鹿にされて、ついつい、惠香に復讐しよう思ったがじゃ。

 惠香が立っておったのは、亜里沙の席じゃった。あとは茂男さんが、亜里沙の上履きを恵香のものと勘違いして、持っていったがじゃ」


「じゃけん、靴を間違えて取ったゆうのんは、そねんこと、靴を見ればすぐ間違いに気づいたんやねえか? 名前が書いてあるじゃろ」


 先生は青ざめた顔で、口を挟んだ。茂男さんの一件が、よほど信じられないらしかった。


「だれでん、分かる。四年生や、先生やったらすぐ。じゃけん、用務員の茂男さんには分からん。

 靴の名前が女子の名前じゃったから、もう、自分を馬鹿にしたのは『久住亜里沙』ゆう女子じゃと、思い込んだじゃろうな。

 まあ、そねんあたりなんも聞かんと、わしは上履きを返すようゆうただけじゃから、詳しい事情は知らんけんど」


「その話、惠香ちゃんには……」


「聞いた。……惠香も、亜里沙が転校する話は、もう聞きおったらしい。

 じゃけえ、恵香は自分の書いた手紙を、こっそり亜里沙の机に仕舞いようとしよったんじゃと。

 それがまあ、わしらが見た放課後も合わせて、二度も失敗したわけじゃ。恵香も、災難じゃ」


 ぼくらが見たのは、恵香ちゃんが、亜里沙ちゃんの机に手紙を隠そうとしていたところだったのか。


 ぼくは、あの時の恵香ちゃんの気持ちを思って、苦しくなった。


 転校だけでなく、教科書と上履きが無くなるという災難にあった亜里沙ちゃんを、恵香ちゃんは、応援したい一心だったのではないか。


 恵香ちゃんのことを疑っていた自分を、責めたくなった。


 すると、先生が思い出したように声を上げた。


「いや。待ってくれ。そうなると、教科書を隠したんも、松木や茂男さんじゃないんじゃろ?

 いったい、だれが教科書を隠したんじゃ? 

 それに、なんでえ、久住はノートなんか破いて、逃げたんじゃ。

 そねんわしらに、見られとうないモンゆうがは、なんじゃ?」


 先生は落ち着かない様子で、身を乗り出す。


「それは……」


 それまで、川が流れるみたいにすらすら話していた宗平くんが、急に、口をもごもごさせた。

 やがて、おそるおそる、噛むように話し始める。


「先生や慎二には……四年生のだあれも、いや、学校のだあれも責めてほしくないけえ、言う。

 教科書を隠したんは……亜里沙、本人じゃ」


 言葉が、出てこなかった。

 わけがわからなかった。亜里沙ちゃんが、どうして。


「なんでか。……そらあ、わからん。ただ、亜里沙は自分の教科書を、自分で隠した。そんだけじゃ。

 破れたノートのことも……わからん。ただ、なんかが描いてあったとしても、それは亜里沙本人が書いたもんじゃ。

 心配いらんけえ。……これで話は全部終わりじゃ」


 宗平くんは、それだけを言うと、逃げるように部屋を出て行った。


 ぼくと先生は、その姿を目で追い、部屋に取り残されて、しばらくぼけっとしていた。


 やがて、顔を見合わせて、いったいどういうことだろうと二人で言い合ったものの、答えは出てこなかった。

 でも、宗平くんが言うのなら、もう、分からないものなのだろうと話して、それ以上考えるのはやめた。


 ぼくは、先生と別れて学校を出て、一人で、夕日が沈みかけた畔道を歩いた。


 大沢町は東西南北を山に囲まれているので、夏でも日暮れが早いのである。


 ぼくは、赤く染まる山に、恵香ちゃんの赤い髪を思い出した。

 そして、比べるような白の、亜里沙ちゃんを思い出した。彼女の教室の最期の姿を頭に浮かべようとする。


 最後の授業は、結局、あの国語の授業だった。教科書を無くした……教科書が無いふりをした亜里沙ちゃんが授業を受ける姿だった。


 亜里沙ちゃんが机を動かし、隣の宗平くんの机とくっつけている。


 教科書を、二人で共有する。二人の肩は自然と、数十センチの間に近づいて……。


 ——ぼくは、溜息をもらした。

 

 ながい、ながい、息を吐いた。胸が締め付けられるように苦しくなったのは、息を吐ききったせいに違いない。


 ヒグラシが、悲しそうな声で鳴いていて、その音が耳の奥に残る。


 亜里沙ちゃんによって破かれたノートが、突然、ぼくの目の前に現れたような気がした。


 そこに書かれていたものが、ふわりと頭に浮かんだ。


 亜里沙ちゃんが、先生や、宗平くん、ぼくに見せたくなかったもの。

 とりわけ、本当に見せたくなかったのは……。


 ぼくは、空を見上げた。


 空は晴れ、遠くの山にかかる雲は、赤と眩しいばかりの金色に照らされている。

 雨は、降りそうにない。

 

 傘の出番はなさそうだった。


 ~~~


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