『AIと愛の物語 6重奏』 第5話:リビング・ウェポン:No Mercy, No Memory
『AIと愛の物語 6重奏』
第5話:リビング・ウェポン:No Mercy, No Memory
1. 邂逅と揺らぎ
砂漠の厳しい風が吹き荒れる中、俺たちは廃墟と化した建物の影に潜んでいた。改造された視覚センサーが荒廃した景色を瞬時に分析し、戦術的な優位点を割り出していく。肩に補助脳として組み込まれたAIの冷静な声が、次の移動経路を脳内に描画した。
この任務は通常の掃討作戦だったはずだ。だが、何かが違う。大地は焼け焦げ、空は鉛色に沈み、遠くの空爆音が断続的に響いていた。敵影はなく、まるでこの地全体が息を潜めているようだった。異様な静けさに包まれた空間で、俺のセンサーが微細な振動を捉える。足音ではない。何かもっと小さく、か細い生命の鼓動。
高性能視覚補助でズームすると、崩れかけた壁の奥に少女がいた。
彼女は震えていた。身体を縮こまらせ、瓦礫の中に身を寄せていた。目元には乾いた泥がこびりつき、服は破れて肌が露出していた。その姿は明らかに非戦闘員だった。十代半ばか、それより少し若いかもしれない。戦場にはまったく不似合いな存在だった。
「民間人発見。保護が必要」
AIの無機質な声が響いた。だが、その機械的な言葉に続くべきはずの判断が、俺の中で止まった。
戦術データベースは瞬時に選択肢を提示した。(1)味方拠点への護送、(2)無視して任務継続、(3)人道的最小限支援後離脱。どれも合理的で、効率的な判断だった。しかし、俺の胸の奥で、説明できない感覚が弾けた。戦場での判断基準や命令系統とは無関係な、かつて人間だった俺の記憶の断片が疼いた。彼女の姿が、忘れていた「守る」という概念を呼び戻したのだ。
少女の瞳は澄んでいた。戦火の中にあっても、まだ希望を捨てていない、透明な光があった。その瞳を見たとき、俺の中で何かが壊れた。システムの奥深くに封じ込められていた人間性の残滓が、突然息を吹き返したのだ。
AIは冷静にデータを並べ立てた。
「この状況では、移動優先。非戦闘員は味方拠点へ転送、または無視が推奨されます。感情的判断は戦術的失敗のリスクを47.3%上昇させます」
だが俺の手は、勝手に動いていた。腰の水筒を外し、ゆっくりと彼女に差し出した。指先には冷たい金属の感触。だが、その一瞬だけは、機械ではなく、人間の手だった。
少女は警戒しながらも、水筒を受け取り、渇いた唇を濡らした。ゴクッ、ゴクッと喉が鳴る。その音が、まるで戦場の沈黙を砕く鐘のように、俺の中に鳴り響いた。彼女の首筋に見える細い血管、そこを流れる血液の温度さえもセンサーが感知していた。生きている。確実に、温かく生きている。
「大丈夫だ。君を守る」
気づけば、そんな言葉を発していた。AIの指示に逆らう、戦場で使われることのない、人間の言葉だった。
少女の手は小さくて柔らかかった。俺の機械化された掌に触れたとき、温度センサーが異常な値を示した。それは遠い昔に捨てたはずの感情、失われた記憶、愛情、後悔、祈り、そして人間らしさのすべてだった。
彼女は微かに笑った。その笑顔は、廃墟と化したこの世界で最も美しいものだった。
2. 裏切りの記憶
だがその時、視界の端に違和感を覚えた。少女の腰のあたり、衣服の下から細いコードが覗いていた。熱感知センサーが異常を検出する。温度パターンが爆発物のものと一致していた。直感が告げる、これは爆弾の導火線だと。
「まさか——」
少女の瞳が変わった。さっきまでの無垢な光が消え、冷たく計算された意志が宿っていた。彼女の唇が動く。「ごめんなさい」という言葉が、音にならずに形作られた。
次の瞬間、視界が白く染まり、身体中が引き裂かれるような衝撃が襲った。聴覚は消え、時間の感覚も失われた。ただ閃光と、全身を飲み込む熱と痛み。俺の身体は文字通り粉々に砕け散り、意識は深い闇に沈んでいった。
最後に感じたのは、裏切られた悲しみではなく、彼女もまた戦争の犠牲者だったという理解だった。彼女の涙の跡、震える手、そして最期の謝罪。すべてが本物だった。ただ、彼女には選択肢がなかったのだ。
闇の中で、俺は彼女を恨まなかった。むしろ、最期まで人間らしい感情を抱けたことに、感謝していた。
3. 再構築される存在
目覚めたとき、俺は既に人間ではなくなっていた。
視界に映ったのは、無機質な天井と、無表情な白衣の男。周囲には機械の音、電子信号のノイズ、そして何より、俺自身の身体の感覚がなかった。痛みも、温もりも、触感も、すべてがデジタル信号に変換されていた。
「意識が戻りましたね。プロジェクト・オメガの第一号実験体、コードネーム『レクイエム』」
「あなたの体は完全に破壊されましたが、脳と神経の一部は奇跡的に回収できました。そして、我々の技術により完全に再構築されています」
医師らしき男は淡々と告げた。俺は首も動かせず、ただ彼の言葉を聞くしかなかった。視界の端に表示されるステータス画面が、俺の現状を冷酷に示していた。
「あなたは通常の人間とは違います。外傷と精神的トラウマにより、神経系が大部分失われていたため、従来の限界を超えて改造が可能でした。これは戦争の歴史を変える革命です」
「あなたの新しい構成比は、機械95%、生体5%。AIが主脳となり、あなたの旧脳は補助として統合されています。反応速度は人間の5倍、戦闘能力は10倍。完璧な兵器の誕生です」
「また、任務に影響を及ぼす不要な情動、記憶はすべて除去対象とされました。特に、あの爆発事件に関する記憶は、PTSD発症のリスクがあるため完全に削除します」
その瞬間、俺の中で何かが叫んだ。やめろ。思い出させてくれ。あの少女の顔を。あの温もりを。あの最後の微笑みを。
だが、声は出なかった。声帯はすでに人工的なものに置き換えられていた。叫びも、涙も、すべてシステムの深層に吸い込まれていく。冷たいナノマシンが脳内に広がり、あの記憶を削っていく感覚だけが、かすかに残っていた。
記憶の断片が一つずつ消えていく。彼女の笑顔、手の温もり、水を飲む音、そして最期の謝罪。すべてが霞のように薄れ、やがて無に帰していった。
4. 完全なる兵器
再起動した俺は、新たな兵器として生まれ変わった。任務の成功率は100%。戦術判断はAIと即時共有され、敵の排除は迅速かつ正確だった。
戦場は効率的になった。敵は人ではなかった。赤いマーカーで表示されたオブジェクト。識別し、狙撃し、消去する。感情は不要だった。迷いも後悔も、すべてが戦術的な障害でしかなかった。
俺の存在は戦争そのものを変えた。人間の兵士が必要とする休息も、食事も、精神的ケアも不要。24時間365日、完璧な戦闘マシンとして機能し続けた。
司令部では俺の戦果が誇らしげに報告された。「レクイエムの投入により、作戦時間が70%短縮」「人的損失ゼロでの目標達成」「戦術的成功率100%維持」。数字が全てだった。
だが、ふとした瞬間、システムの奥底で異物が疼く。砂漠の風、焼け焦げた大地、夜空を横切る流星、そして一輪の赤い花。
補給物資の中に紛れ込んでいた小さな花を見たとき、センサーが予期しない情動スパイクを検知した。エラー警告が鳴り、補助脳が再起動を繰り返す。
理由は分からない。ただ、その赤い花が、何かとても大切なものの象徴に思えた。削除されたはずの記憶の残響が、微かに響いているような気がした。
5. 成功と代償
「プロトタイプは完全な成功だ。これで戦争の概念そのものが変わる」
研究員たちは歓喜に沸いた。俺の存在は、戦争の未来を変える象徴となった。高度改造兵士は次々に生み出され、戦場は静かに効率化されていった。人間の兵士は徐々に不要となり、戦争は機械同士の計算された殺戮へと変化していった。
上層部は満足していた。「人道的な戦争」の実現。人間の兵士の犠牲を最小限に抑え、効率的に敵を殲滅する。それが彼らの理想だった。
だが、俺の中に残る痛みは消えなかった。AIがメインとなった今も、胸の奥に刺さった棘のような違和感がある。定期的なメンテナンスでも原因は特定できない。「感情的残滓による軽微な誤作動」として記録されるだけだった。
戦場で敵を倒すたび、その瞬間だけ違和感が強くなる。まるで、殺すことへの罪悪感のような。しかし、そんな概念は既に削除されているはずだった。
だが、砂漠の風を感じるたび、胸の奥がわずかに疼く。赤い花を見るたび、説明のつかない哀しみがよぎる。そのたびに、思い出せない何かを、俺は追い求める。
夜の静寂の中で、俺は時々立ち止まる。星空を見上げ、消された記憶の欠片を探そうとする。AIは「非効率的行動」として警告を発するが、止められない。
たとえ記憶を失っても、愛したことの名残は、存在のどこかに焼きついている。機械化された身体の奥底で、人間だった頃の心の欠片が、まだ静かに脈打っている。
完璧な兵器として設計された俺の中で、不完全な人間性の残滓が、今日も静かに抵抗を続けている。それが希望なのか、それとも呪いなのか。
哀しみの花は、俺の中で今も咲いている。誰にも見えない場所で、誰にも知られることなく。それだけが、俺がかつて人間だった証なのかもしれない。