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――どうしよう、どうしたらいいんだろう。
棗は『理性とか感情をコントロールする方法を一番知ってる』と言ってくれたけれど、実際に面と向かってフォークだと言われたらどうやって冷静になればいいのか分からずに俯いた。
「杏さん、大丈夫ですか?」
「あっ、は、はい……すみません」
「フォークについては昔から色々と言われていますが、今は抑制剤もありますのでそんなに深刻な顔をしないでください」
「そう、ですよね……」
「抑制剤は副作用が出る場合がありますので、一旦7日分処方しておきます。また一週間後に受診をして経過を見せていただきたいです」
「分かりました……」
混乱している蜜夏を置いてけぼりにして医師は淡々と説明を続けていく。ただ蜜夏は医師の話を半分程度にしか聞いていなくて、薬に副作用があるかもということしか理解できなかった。
「ちなみに、周りにケーキの方はいらっしゃいますか?」
「いや……高校の同級生にケーキの知り合いがいるくらいで、最近はいません。でもカウンセラーとして働いているので、クリニックにはフォークやケーキの患者さんが多くいらっしゃいます……」
「なるほど。ただ、ケーキの方はほとんど匂いがないですが……稀に"相性がよすぎる"ケーキの匂いは分かることがあります。そのような場面に遭遇したときに決して取り乱さないよう、しっかりと抑制剤の服用をお願いします」
「相性がよすぎるケーキ…?」
「はい。まるでそのフォークのために生まれてきたようなケーキ……つまり、あなたにとって極上の食事になる個体がいるかもしれない、ということです」
仕事柄、ケーキとフォークについては勉強をしてきたけれど、フォークにとって相性がよすぎるケーキが存在するという話は聞いたことがない。
フォークにとって極上なケーキは『シェリ・ケーキ』と呼ばれ、ふわっふわのスポンジに上質なクリームはバターの風味が豊かで、高級なフルーツをふんだんに使っているような、まさしく『フォークにとって最愛のケーキ』なのだという。
そういう相手に出会ったら普段はしないケーキの匂いもふわりと香ってくるらしく、一口食べたら最後、そのケーキなしでは生きていけない体になると説明された。
『最愛のケーキ』なんて可愛らしい名前がついているし、そのフォークの唯一のようで一見すると誇らしささえあるように聞こえるけれど、フォークに『食べ尽くされる』率が上がるだけだ。
そんなケーキと出会ったら、抑制剤はきちんと効くのだろうか。
いくら蜜夏が心理カウンセラーでも、シェリ・ケーキと出会ったら自分のフォークとしての本能をどう抑えたらいいのかと、蜜夏は今から思案した。
「ただ、そんなケーキに出会うのは稀です。日常生活で出会うケーキにいかに手を出さないか……それが重要です。今は抑制剤の他にもケーキと共同開発された食べ物もありますし、上手く付き合っていきましょう」
最近は抑制剤の他にもフォーク専用の食事というのが発売されているのだ。ケーキの味や匂いを再現した専用の食事は高価だけれど普及していて、蜜夏の患者の中にもケーキの再現料理でなんとか保っている人もいる。
蜜夏はそのまま薬局で抑制剤とフォーク専用の栄養ドリンクを買って、ふらふらと家に帰った。
「………フォーク、かぁ」
家に帰ってきてすぐベッドにダイブして枕に顔を押し付ける。
帰りながら色々と考えた蜜夏の頭の中は病院にいる時よりもわずかにスッキリしていて、この世の終わりとは思わなくなった。
「ちゃんと上手く付き合ってる人も多いし、きっと大丈夫……」
ぼーっとしながら栄養ドリンクが入っている袋を手繰り寄せ、コンビニで買ったプリンも袋の中から取り出す。
本当に味がしなくなったのかきちんと確かめるために買ってきたものだが、たかが一口食べるだけの行為がこんなに怖いと思ったことはない。
病院での診断が間違っているというわけではないけれど、やはり自分でも『味覚』で確認しないと信じれられないのだ。
「いただきます」
買ってきたプリンの蓋を開け、付属していたプラスチックスプーンにひと匙すくう。こうやってみると昔から変わらないどこにでもあるプリンで、蜜夏も子供の頃から何回も食べてきたから味も覚えている。
ひと匙すくったプリンを口の中に入れるとたっぷりとした甘さが広がって、後半にはカラメルと混ざり合って少し苦い大人の味がするのだ。
「……味しない、なぁ」
プリンの味なんて簡単に想像できるほど食べてきたのに、口に入れた瞬間の甘さはない。
ただただ柔らかい『何か』を食べているだけで味も何もなく、全く美味しいと思わなかった。
その後、薬局で買った栄養ドリンクを飲んでみた。
「わ、本当に味がするんだ……」
これできちんと、自分はフォークに転換したのだと確認できた。フォークに転換したことは何をどうやってもひっくり返らないことなので、これからどう付き合っていくか考えよう。
とりあえず抑制剤を飲んで体を慣らし、高額なのは分かっているけれどフォーク専用の食事を取り寄せて『生身』のケーキへの欲求を抑えなければ。
「クリニックはいいとして、学校は違う人に代わってもらったほうがいいよなぁ……」
さすがにフォークが学校関係者として生徒のメンタルケアをするなんて話、聞いたことがない。
きっと自分じゃないほうが学校としても安心だろう。
自分がフォークと分かった今、蜜夏にできるのは学校にいる子供たちを『守る』ことだった。