金曜日の霞
出会いと別れの季節。
学生だと卒業式だったり社会人だと転勤や異動などが度重なる季節だが、その後にやってくるのは新しい人との出会いだ。
別れをただ寂しいだけだと思うか、新たな出会いがあるはずだと前向きな気持ちになるかは人それぞれだと思うけれど、ある飲食店の前に立っている蜜夏はふうっと息を吐いて、これからの出会いに覚悟を決めた。
「お、お邪魔します!」
木の温かみを感じるウッド調の外観で、カーテンが閉まって『Close』というプレートがかかっているガラス扉を押し開けると、ふわっとした甘い香りが蜜夏を支配した。
「そんな、たのもう!みたいなテンションで入ってくるとは思わなかったよ」
気合いを入れて店内に入った蜜夏を迎えてくれたのは、カウンター席の向こう側にいる棗がくすくす笑っていた。
24歳になった棗は念願だった自分の店をオープンする予定で、今日は誰よりも早く恋人である蜜夏が招待された。棗がまだ高校生の頃に夢の話を聞いた時『蜜夏さんが最初のお客さんになってくれる?』という話をして、その時の約束を本当に果たすことになったのだ。
棗がこだわった店の内装も木の温もりを感じる居心地のいい空間だが、カウンター席に座った蜜夏はどこか落ち着かないというようにそわそわしながら店内を見回した。
「そこまで緊張しなくても……俺たちしかいないんだから」
「それはそうだけど、明日オープンするんだなって思ったら緊張もするよ」
「蜜夏さんが緊張すんの?可愛いね」
「コラ、からかわないで」
「ふはっ」
制服である白シャツに、腰下に巻き付けるタイプのエプロンをつけた棗は高校生の頃より大人っぽくなって、恋人としてはとても心配だ。
高校を卒業してからの棗は琥珀の師匠だという人の店で修行していたのだが、そこでも相変わらずモテていた。修行を終えて琥珀の店に戻り、またカフェ・ブランで仕事をし始めてからはより一層モテていたのを知っている。
『これだからイケメンは……』とぶつぶつ文句を言っていたら『ヤキモチなんて可愛い。俺には蜜夏さんだけなのに』と言いながら抱きしめられ、たくさんキスをしてもらうまでがセットの流れ。
この数年で蜜夏も棗も大分お互いに甘えられるようになったし、素直になったなと思う。蜜夏はすでに30歳を超えてしまったけれど、年齢なんてただの数字でしょと言って変わらず愛してくれる棗に、蜜夏はもう骨抜きにされていた。
そして、店のオープンを機に、二人はやっと同棲を始めたのだ。
「この近く、桜があるのいいね」
「でしょ。物件探ししてる時、ここしかないって思ったんだよね」
「棗くんって本当、桜が好きだねぇ」
「そりゃ、蜜夏さんと出会った季節の花だから」
「……そういうの、サラッと言うのずるい。罪深い」
「罪深いって…ふっ、ほんと可愛いね」
「可愛い可愛いってうるさいよ、30超えの男に!それよりおれはお腹が空きました!」
「はいはい、お待ちください」
照れ隠しでそう言うと、棗は笑いながらカウンターテーブルにクリームパスタを出した。
「わ、おいしそう……!」
「和食もあるんですけど、看板メニューはパスタにしようかなと思ってて。今日のはチーズクリームパスタです。あとはサービスで焼きたてのパン」
「いただきます」
きちんと手を合わせ、フォークに綺麗にパスタを巻きつけて一口。
濃厚なチーズの味が口いっぱいに広がって、蜜夏は目を見開いた。
「う、わ……これ、過去最高に味がはっきり分かる……!」
「でしょ?でもそれ、蜜夏さんが調合したやつだからね」
「え?調合?なんの話?」
「甘味とか塩味とか、それぞれフォーク用の栄養剤アンプルを組み合わせて作った味なんだよね。蜜夏さんに普段のご飯で出して反応見てた」
「それならちゃんと言ってくれたらよかったのに!」
「言ったら意識して味覚チェンジしそうだなと思ったから」
「う……」
フォークの味覚変化についてはまだ解明されていない部分も多いけれど、基本的には自分が好きなものの味がするらしい。
だから蜜夏にとって最愛のケーキである棗は『ショートケーキの味』がするけれど、料理などを前にすると『その料理の味』を思い出したり想像したりして味覚が変わることもあるのだと言う。
蜜夏はここ数年で甘味だけではなくきちんと塩味も感じられるようになり、今は酸っぱいとか苦いを習得中だ。棗は『甘味と塩味だけでもいいんじゃない?』と言ったけれど、蜜夏は前と同じように色んな味を分かるようになりたい。そんな蜜夏の思いを汲んでくれた棗が料理を作って協力してくれている。
その甲斐もあり、棗が出してくれたチーズクリームパスタは濃厚なチーズの味を感じられたので、作った本人である棗の期待通りだったらしい。
高校生の時の彼が言った『ケーキもフォークも笑顔になれる店を作りたい』という言葉の通り、棗は本当に努力していた。それを側で見ていたので、蜜夏は感極まっていつの間にかほろりと涙をこぼしていた。
「み、みつかさ……」
「ごめん、泣くつもりじゃなかったんだけど……棗くん、頑張ったなって…おれ、棗くんと一緒にいられて嬉しいって思ったら、涙が……」
「……ほんと、蜜夏さんってずっと優しくて、愛おしい人だね」
蜜夏の瞳から流れる涙を棗の指が優しく拭う。
雫がついた指先を彼はぺろりと舐め取って、その指を蜜夏の指にふにふにと押し付けた。
「泣かないで?特別なデザートも用意してあるから」
「……どうせ棗くんだもん」
「俺じゃ嫌なの?」
「いやじゃないから、いや……」
カウンターから出てきた棗は蜜夏の隣の椅子に腰掛け、後頭部を優しく引き寄せられて唇が重なった。
「これからもずっと一緒にいるんだから、泣くのはもったいないよ」
「うん……」
「蜜夏さんがいてくれたから俺は自分の店を持てて、本当に感謝してる。これからも、蜜夏さんが側にいてくれたらなんでもできるし、幸せな人生でいられる自信があるよ、俺」
「棗くん……」
「蜜夏さんは?」
「おれ、おれも…棗くんと一緒にいられたら、幸せな人生になるよ……!」
「うん、嬉しい。ありがとう」
棗の店のオープンは明日、あたたかい春の金曜日。
店の名前は『HANAKASUMI』。
この店ではフォークの人も自然な料理の味が楽しめる、誰もが笑顔になれる場所。
店主はケーキ、店主の恋人はフォークの心理カウンセラー。
きっとあなたの心も癒されるはずだと、彼と出会って癒された蜜夏がこれから先の人生をかけて証明していこうと誓った。
番外編 終




