エピローグ
季節が巡り、再び桜の花が咲き誇る季節。
出会いと別れの季節は、先に別れがやってくる。
「杏先生、卒業式も来ていただいてありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございます。みんなが旅立っていく姿が見られて嬉しいです」
蜜夏は結局、あの事件のあと再びスクールカウンセラーとして復帰した。
棗から『フォークとしてじゃなくて、蜜夏さんとして考えて』と言われ、背中を押されたからだ。
結局、自分はこれから死ぬまでフォークとして向き合っていかなくてはいけない。どうしようもない体質のことを悲観するより、これから自分には何ができるかを考えた。
自分はフォークだからこそ、同じフォークにもケーキにも助言できることがあるのではないか、と。
だから蜜夏は自分の意思で生徒にもクリニックの患者にも、自分はフォークだと公言したのだ。怖かったら無理に会いに来なくて大丈夫だと言ったのだけれど、なぜか逆に患者も相談者も増える結果となった。
『杏先生は信頼できる』と言われたことが何よりも嬉しかったし、ケーキの相談者に関してはフォークと普通に接することができるという一種の行動療法になっているらしい。
自分が何者でも『杏蜜夏』であることが重要であったのだと気付かされたものだ。
「そういやお前、女子からボタンくださいって言われてたのに一個もあげなかったな」
「いや、あれって学ランだから意味あるんじゃねーの?俺らブレザーだし、第二ボタンがなんちゃらっていうやつ、絶対意味ないと思う」
「確かに」
「ていうか、施設の年下の子がうちの高校入るから譲るんだよね。ボタンがないとか可哀想じゃん?綺麗な状態であげないと」
「それなら俺も施設に寄付しようかな?」
「いらね。入学するの一人だし」
「なんだよ〜」
そんな話をしている男子学生は卒業証書が入った黒い筒をスクールバッグに入れ、渡り廊下で紙パックのいちごオレを飲みながら談笑していた。
蜜夏が帰ろうとして二人を見つけた瞬間にぶわりと強い風が吹いて、すぐ側に立っている桜の木から花びらが風に乗って視界を奪ってくる。
風が止んでから目を開けると、二人のうちの一人がこちらを優しく見つめていた。
「ももせんせー、今から帰るんですか?」
「うん。二人とも卒業おめでとう」
「ももせんせーに会えなくなるの寂しいっす!」
「古藤くんはあんまりおれに会いに来てくれたことないじゃない」
「棗から話は聞いてたんで!」
「ふふ。卒業しても元気でね」
「はい!ももせんせーもお元気で!」
「二人はこれから帰るの?」
「クラス会にちょっと顔出してから帰ります」
「そう、楽しんで」
甘い視線が一瞬絡み合って、蜜夏は桜の花びらが敷き詰められている道に一歩踏み出した。
「ももせんせー!」
「うん?」
名前を呼ばれたので振り向くと、いちごオレの紙パックもスクールバッグも地面に置いた棗が真剣な顔をして蜜夏を見つめていた。
「俺、ももせんせーと会えてよかったです。2年間ありがとうございました!」
蜜夏に頭を下げる棗を見ると、彼が初めてカウンセリング室に来たあの春の日を思い出す。
そして今、蜜夏が立ち止まっているのはまさしくカウンセリング室の前。棗との2年間が走馬灯のように蜜夏の頭の中に駆け巡った。
「おれも、ありがとう。君にはたくさん、感謝してるよ」
そう言って別れた数時間後、蜜夏は自分の家のベランダで愛おしい人に抱きしめられていた。
「本当だ、霞みたいに見える。ライトアップされてるのが余計に」
「そうでしょ。明日あそこらへん散歩する?」
「いいですね」
『クラス会にちょっと顔出してから帰る』と言っていた彼は、夕方には蜜夏の家に帰ってきていた。去年の夏、蜜夏の家から見える桜並木が『花霞』に見えるのだと教えたら『来年の春、ここで見たい』という約束をしたので、それを叶えたところ。
本当は朝のほうがもっと霞っぽく見えるけれど、明日の朝も一緒に見えれば問題ない。それに今はライトアップされている桜のほうが霞に見えるので、夜でも雰囲気は味わえただろう。
「蜜夏さん、もう一つの約束を叶えてもいいですか?」
今まで後ろから抱きしめられていたけれど、くるりと体の向きを変えられて棗と向き合う。いつも優しい棗の瞳は真剣そうで、蜜夏は思わず彼の唇に軽く口付けた。
「……生まれてきた意味ってなんだろうって、去年の春、人生で一番考えた。でも、うん……棗くんのおかげで分かったよ」
「え?」
「これから先ずっと一緒にいて、寿命がきた時に証明しよう。おれたちはお互いのために生まれてきたんだって。一緒に生きていくために、生まれてきたんだって」
「みつか、さ……」
ぼろぼろと涙を零す棗の目元を拭って、蜜夏はとびっきりの笑顔を見せた。
「愛してる、棗くん。棗くん以外いらないから、これからもずっと一緒にいて。君はおれの最愛の人、だから」
「俺も、俺も愛してます、蜜夏さん……ずっと一緒にいてください……!」
花霞が浮かび上がる夜にしたキスは、涙のしょっぱい味がした。
終




